正道有理のジャンクBOX

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レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート(第四回)

【四】経済主義者の手工業性と革命家の組織

第四章は、ロシア社会民主労働党の党組織はどうあるべきかについて述べている。

「およそ、どのような団体でも、その組織の性格は、この団体の活動の内容によっておのずから、また不可避的に決まるものである」

経済主義者たちの主張は政治活動の狭さのみならず、組織活動の狭さにも表れる。レーニンは経済主義と組織活動における「手工業性」の不可分の結びつきを明らかにすることによって、全国的に統合された民主集中的な党組織の建設を呼びかけている。

 

冒頭で革命家の組織の性格について二つの規定が与えられている。

①「政治的反対や抗議や憤激のありとあらゆるあらわれを結びつけて、一つの総反攻にする全国的で中央集権的な組織」

②「職業革命家からなりたち、全人民の真の政治的指導者たちに率いられる組織」

前者は政治的な任務との関係を、後者はその組織の内部的な性格、構成を示すものといえる。そして、『ラボーチェエ・デーロ』は「雇い主と政府とにたいする経済闘争」のためには、こうした組織などは全然必要ないと述べている、という形で経済主義者を批判している。

1)手工業性とはなにか?

 レーニンはここで、1890年代ロシアの革命的インテリゲンチャが、労働者と連絡をつけサークルを組織していった時代を描写している。青年達は全く無防備な形で、しかし精力的献身的に労働者大衆の中に入り込み組織化を展開した。彼らは労働者や社会の教養ある人々と一定の結びつきをつくり出し、宣伝や扇動に移り、他のサークルや革命家グループと連絡をとりあい、リーフレットや地方新聞を発行し、デモンストレーションに打って出ようとする。すると、たちまち「根こそぎの一斉検挙」がやってきて組織と指導者を奪われてしまうのである。  こうしたサークル的闘いは「根棒で武装した百姓の群れが近代軍隊に立ち向って出征するのにたとえないわけにはいかない。しかも驚嘆するほかないのは、戦闘員が…まったく訓練を欠いていたにもかかわらず、運動がひろがり、成長し、勝利を獲得していった、その生活力である」(P151)。これは、歴史的には避けられないことで、はじめのうちは正当でさえあるが「近代軍隊をうち倒すには、それなりの強固な革命組織の建設に着手しなくてはならない」。 

2)手工業性と経済主義

「手工業性」は、革命運動の成長につきまとう、早期に克服されるべき「病気」であった。ところが、経済主義者はその克服に反対し、これを理論的にも正当化しようとしたのである。

レーニンが述べている「手工業性」とは以下の4点にまとめることができる。

①訓練の不足

②全体としての革命的活動の範囲が狭隘であること

③そして、こうした狭隘な活動によっては、すぐれた革命家の組織などつくれるはずもないということを理解できないこと

④この狭隘さを正当化して、特別の理論にまつりあげようとしていること――この点でも自然発生性のまえに拝跪している。

→(当時のロシアにおける)危機の根本原因は大衆の自然発生的高揚にたいする指導者の立ちおくれである。しかし経済主義者は大衆運動の高揚をもって、指導者が革命的積極性を発揮する必要性を免除されたかのように勘違いしてしまうのである。彼らには労働者大衆の政治意識を高めることも、全面的政治暴露の意義も何一つ理解できないだけでなく、その必要性すら感じられないのである。

→こうした「手工業性」の克服のためには、計画性と統一性のある、理論的にも政治的にも組織的にも訓練された「確固さと継承性を保障できるような革命家の組織」が必要であり、それは政治警察との闘争を抜きには語ることができない。そのためには訓練された職業革命家の組織がどうしても必要になるのであるが、これに反対し、拒絶し、それを正当化するために特別の「理論」まで作り上げてしまうところに「経済主義」の特徴と結びつきが生まれるのである。

3)労働者の組織と革命家の組織

社会民主党の政治闘争は、経済闘争よりずっと広範で複雑である。したがって、これに対応する社会民主党の組織もまた、経済闘争のための労働者の組織とは別のものである。党は労働者階級の利益を代表はするが、理論においても、活動範囲においても、また組織それ自体においても独自性をもっている

②この、労働組合的組織と政治的組織のちがいは、もともと政治的自由の国においては、自明であり、明瞭なことである。

→「ところが、ロシアでは、一見したところ専制の圧制が社会民主主義的組織と労働者団体のあいだのあらゆる差異を消しさっているかのようである。なぜなら、あらゆる労働者団体、サークルは禁止されて」いたからだ。(P167)

経済闘争そのものが政治的性格をおび、社会民主党内の経済主義者が「政治闘争という概念を『雇い主と政府に対する経済闘争』という概念と一致するものと考え」ていたため、「彼が『革命家の組織』という概念を多かれ少なかれ『労働者の組織』という概念と一致するものと考え」るだろうことは当然であった。このような「意見の相違が明らかになるやいなや、もう総じてどのような原則上の問題についても『経済主義者』と意見の一致」をみることはできなかった。(P165)

 

【労働者の組織と革命家の組織との区別と関連

①経済闘争のための労働者の組織

一般的に言って、労働組合は労働者の直接的な経済的利益を守る階級的組織である。

・職業的組織であること

   ・できるだけ広範なメンバーから構成されていること

   ・できるだけ秘密でないものでなければならない。

②職業革命家の組織、あるいは革命家の組織

・ 第一に、また主として、革命的活動を職業とする人々をふくまなければならない。

「だから私は、社会民主主義的革命家を念頭において、革命家の組織と言っている」…レーニンが革命家の組織、あるいは職業革命家という場合、これは社会民主党の党員一般について言っているのではなく、その中心となり革命のために訓練された人々によって指導される中核組織と理解すべきなのだろう。

 権力の弾圧から組織をまもりつつ、広範な人民を党のもとに結集させるということを考えるならば、高度の秘密性が要求される任務をすべての党員に等しく与えることは不可能であり、危険なことである。これはレーニン党組織論の特異性でもあり、経済主義者が「陰謀組織」といって批判した根拠でもあろう。にもかかわらず、ボリシェヴィキが他方では、広範な労働者大衆と結びつき、多くの労働者党員・革命家を結集していたのは事実である。

 つけ加えれば、本質的に非合法である革命運動において職業的革命家が中心となり党を指導し、階級闘争の先頭にたつべきだということは、今日においても、またどの国においても何ら変わりはない。(「職業革命家」の意味については後に詳しく検討する)

・このような組織の成員に共通な標識(共産主義者マルクス主義者?)をまえにしては、労働者とインテリゲンチャのあいだのあらゆる差異はまったく消え去れねばならず、まして両者の個々の職業の差異については言うまでもない。

・この組織は、必然的に、あまり広範なものであってはならず、またできるだけ秘密なものでなければならない。

③党と労働者組織との関係

・ いろいろな国で、それぞれの歴史的、法律的その他の条件に合わせて変化するが、できるだけ緊密であり、複雑でないもの

労働組合の組織と社会民主党の組織とが一致するというようなことは自由な国では問題にならない

つまり,レーニンは,マルクスの中では漠然とていた「政治運動」を厳密に区分けし,そのことによって労働組合運動と社会主義運動との関係についての最大の難問を正しく提起したのである。

《→それを自由な国において「党と労働組合」の関係を漠然としたものに引き戻し、混同させようというグループさえ現れている、なんということだ!》

・革命的組織は労働者の組織にあらゆる援助をあたえ、社会民主主義的労働者は労働者の組織に協力して、その中で積極的に活動しなければならない。だが、社会民主主義者だけが「職業」組合の一員となることができるような条件を要求することは、決してわれわれの利益にならない。それは大衆にたいするわれわれの影響範囲をせばめることになるからだ。

・労働者の組織が広範であればあるほど、経済闘争のために役立つだけでなく、政治的扇動と革命的組織のために極めて重要な補助者としての役割を果たす。

 

専制下のロシアで労働者の組織をどう作るのか

成員が広範なことが必要なのに、また厳格な秘密活動も必要だというこの矛盾をどうやって調和させたらよいか? 職業組合をできるだけ秘密でないようにするにはどうしたらよいか?」

(前半部分は他の国においても言える普遍的な課題を含んでおり、後半は特殊ロシア的歴史的課題と言うことができる。)

そして、このロシア的特殊性において二つの道をあげているのだ。すなわち、

①職業組合を合法化する道

②秘密活動がほとんどゼロになってしまうぐらい「ルーズな」つかみどころのない組織にしてしまうこと

・職業組合を合法化する道……この決定権はツアーが握っている。そして、非社会主義的、非政治的な労働者団体の合法化はすでに始まっている。また、合法化運動はブルジョア民主主義者、挑発者らが旗を振り、労働者や自由主義インテリゲンチャにも追随者がでており、この分野を社会民主主義者が無視するわけにはいかない。

 では何をするのか。ここで、われわれが行うべきことは、この運動内の「毒麦」と闘い、「小麦」を刈り入れ、またその「刈り入れ人」たちを養成すること。

 「毒麦」とは、労働者をわなにかけるために権力が送り込んだ挑発者や、階級調停的・協調的思想を吹き込む輩を暴露すること。「小麦」とは広範な、政治的意識の低い労働者層の意識を引き上げ、政治問題に注意を向けさせること。それを労働者組織の中でおこない、労働者革命家を養成することである。

 「今日われわれのなすべきことは、室内の植木鉢のなかで小麦をそだてることではない。われわれは毒麦を抜きとり、それによって小麦の種子が発芽できるように土壌をきよめ」それができる「刈り入れ人」を養成しなければならない。(P171)

 

 「だから、合法化によってはわれわれは、なるべく秘密でない、できるだけ広範な労働組合組織をつくりだす問題を解決できないのである。…しかし、部分的な可能性でもひらいてくれるなら、われわれは大喜びするだろう」「…あとに残るのは秘密の労働組合的組織《→つまり②の「ルーズな労働組合的組織》だけである」(P172)

 

レーニンは労働者の組織と革命家の組織(つまり労働組合と党)を区別し、非合法という条件のもとで、まず革命家の組織から着手すべきこと、革命家の組織がしっかりとしたものとしてつくりあげられさえすれば、《むしろ》労働組合は「ルーズ」な形のほうがその機能を果たすであろうと述べている。

「もしわれわれが強固な革命家の組織をしっかりうちたてることからはじめるなら、運動全体に確固さを保障し、社会民主主義的な目的をも、本来の組合主義的な目的をも、両方とも実現することができるであろう。もしこれに反してわれわれが、大衆に最も『近づきやすい』と称する(そのじつ、憲兵にとってもっとも近づきやすく、そして革命家を警察にもっとも近づきやすくするところの)広範な労働者組織からはじめるなら、手工業性を脱却することもできないで、我々自身がちりちりばらばらになり、いつも壊滅状態になる……」。

 

→今日、自由主義諸国のほとんどの国で労働組合の権利が認められている。にもかかわらず、労働組合社会主義的綱領を掲げたのは、コミンテルンの指導下でつくられた赤色労働組合以外にはほとんどなかった。しかも、この政治組織と労働組合を一体化させようという誤った試みは当然のこととして失敗に終わった。そして今日、ほとんどの労働組合は例外なく「労働条件と労働者の社会的地位の向上」という、それ自体ブルジョア民主主義の枠内での活動を目的として掲げている。

レーニン労働組合の合法化が切り開く可能性について否定しなかったし、ブルジョア民主主義的権利をも積極的に利用するべきであると主張している。

しかし、同時に、労働組合の合法化にいささかの幻想も抱かなかった。確かに、ロシアの圧制という特殊歴史的条件のもとではあったが、それでは合法化された国々において社会主義運動が前進しただろうか。それどころか、経済主義と労働組合主義が革命運動の足かせとなり、妨害物にさえなってこなかっただろうか

レーニンは次のように述べ、早くから合法化されたイギリスの労働組合が「経済主義」「労働組合主義」に陥ったおかげで、マルクスの当初の期待にも反して、労働者階級を革命的政治闘争からそらしてしまったこと批判しつつ、革命のための政治闘争と経済主義的政治闘争を区別することの必要性を述べているのである。

「徹底的な学者である(そして『徹底的な』日和見主義者である)ウェッブ夫妻の著作〔『イギリス労働組合の理論と実践』〕を一読すれば、イギリスの労働組合がすでにとっくの昔から『経済闘争そのものに政治性をあたえる』任務を自覚して、それを実現しており、とつくの昔からストライキの自由のため、協同組合運動や労働組合運動にたいするありとあらゆる法律上の障害をとりのぞくため、婦人や児童の保護の法律を発布させるため、衛生法や工場法の制定によって労働条件を改善する、等々のためにたたかっていることがわかるであろう」

このことを考えるなら、ここで述べられている党と労働組合の関係が特殊非合法時代のロシアにおける戦術であり、労働組合が合法化されている現代のわれわれにとっては考察の対象ではない、と考えるのは誤りだろう。

初期のレーニンには労働組合論がなかった、労働組合を重視したのはずっと後からだったなどと、レーニン労働組合論の変遷を批判する論もあるが、労働者組織の中に党の影響力が広く深く浸透し、実質的に労働組合の意思を代表するようになれば、おのずと労働組合組織と党との緊密さが増すのは当然であり、それでも労働組合と革命党のあいだに一線を画し、労働組合を固定した概念に閉じ込めようとすることのほうが非現実的であり、反動的である。つまり「緊密な結びつき」は、労働者のなかでの革命党の影響力の程度に応じて変化するのであり、だからこそ、革命家の組織をうちたてることから始めなければならないのである。

 

4)組織活動の規模

経済主義者は「社会は革命的活動に適した人物をきわめて少数しかうみださない」「工場で十一時間半も働く労働者は扇動家としての役割しか果たしえない」と言って、せまい経済闘争の立場から、革命家は工場の労働者の中からしか生みだされないと考え、また労働者が職業革命家へと飛躍することを否定するから革命的人材を見つけることができないのだ。

「人がいない、しかも人はたくさんいる。…人がたくさんいるというのは、労働者階級ばかりではなく、ますます多種多様な社会層が、不満を持つ人々、抗議したいと願っている人々、絶対主義との闘争に応分の援助をあたえる用意のある人々を年ごとにますます数多く生みだしてくる」という意味であり、「人がいないというのは、指導者がいず、政治的首領がいず、また、どんなにわずかな勢力でもあらゆる勢力に働く場をあたえるような、広範であると同時に統一ある、整然たる活動を組織することのできる、才能ある組織者がいない」ということだ。(p189)

 

つまり、行動に適した革命的勢力の不足という問題は、人材がいないのではなく、彼らを活用する才能を持った指導者がいないということなのだとレーニンは指摘している。

そして、その結果「革命的組織の成長と発展は、…労働運動の成長に立ち遅れているだけではなく、さらに人民のすべての層のあいだの一般民主主義的運動の成長にも立ち遅れている」

そして、専門化と集中化の問題、および労働者革命家を育てることを提起している。

<専門化と集中化>について(p190-191)。

① 「政治的扇動家だけでなく、社会民主主義的組織者も『住民のすべての階級のなかにはいって』いかなければならない」(→単に扇動の対象にするだけでなく)

② 「組織活動の幾千のこまごまとした機能を、種々さまざまな階級に属する個々の人たちに分担させること(――専門化が足りないことは、われわれの技術的欠陥だ)。

  共同事業の個々の「作業」が細かくなればなるほど、この作業を果たす能力のある(そして、大多数の場合に職業革命家になるにはまったく適していない)人物をますます多く発見できるし」、警察がこれらの局部的な働き手を一網打尽にすることは不可能である。

③ 運動の機能を細分しながらも、運動の全体性、計画性を保障し、この運動そのものは細分させず、さらにこの機能を担う人々が「自分の仕事の必要性と意義とに対する信念―そういう信念がなければ彼らは決して仕事をしないだろう―」をいだくことが必要である。そのためにも「試練を経た革命家の強固な組織」によってしっかりと秘密が守られること、それが党の力に対する信念を高める。

④    運動に引き寄せられる「外部の」分子によって、運動が軌道からそれされる危険性を避けるためには確固たる理論的基礎にたって機関紙を駆使する組織が必要である。「一言で言えば専門化は必然的に集中化を前提し、また逆に専門化によって集中化が絶対の必要になる。」

→そして、このような細分化=専門化と集中化が組織できる党であるならば、こういう(職業革命家に対する)補助者をあらいざらい矢おもてに晒したり、むやみに非合法活動の中核に引き入れたりせず、逆に彼らを特に大切にし、また学生の場合には、短期の革命家としてよりも役人になって、補助者としてより多く党に貢献できる者も数多くいることを念頭において専門化を養成するだろう。

(運動は)すでに、サークル的活動では間にあわないほどに成長しているために、「サークル的活動は、こんにちの活動にとっては狭すぎるものとなり、法外な力の浪費をもたらしている。一つの党に融合することだけが、分業と力の節約との原則を系統的に実行する可能性をあたえるであろう。そして、犠牲者の数をへらし、専制政府の圧制とその必死の迫害とに抗して多少とも堅固な防砦をつくりだすためには、これを達成しなければならないのである。」(レーニン全集第4巻「緊要な問題」)

 

 <労働者革命家を育てること>

① 党活動の面で(*)インテリゲンチャ革命家と水準を同じくする労働者革命家の養成をたすけることが、われわれの第一の、もっとも緊急な義務である。だから、「経済主義者」が、労働者への政治的扇動を「中程度の労働者」にあわせると称して否定し、労働者が革命家に進む道を断ち切っていることはきわめて反動的なのである。

 *労働者革命家とインテリゲンチャは職業・知識その他の面において、おなじ水準であるとは限らないし、それを求める必要もない。だが党活動の面においてはいかなる階級、階層の出身であれ労働者革命家とまったく対等である。

→「経済主義者」は職場の中で、ときに資本との関係では戦闘的に闘いながら、労働者に向かっては政治的扇動をせず、予め自分を職業革命家から切断する点でも日和見主義なのである。

② さらに、労働者革命家も、自分の革命家としての仕事について完全な修業をつむためには、そこにとどまることなく、やはり職業革命家になることが必要である。

 また指導者は、すべての能力のすぐれた労働者革命家をたすけて、職業的な扇動家、組織者、宣伝家、配布者などにさせるという任務を自覚的に行わなければならない。

 じっさい、運動が高揚すればするほど、労働者大衆は、才能ある扇動家だけではなく、才能ある組織者や宣伝家、実践的能力をもった革命家が生み出されてくる。

 彼が、労働運動のなかで培った経験や手腕、広範な人間関係をも利用し、ひとつの職場からひとつの地方、さらに全国へと仕事の場を与え、そのために、いっそう広い見識と専門的訓練を積む機会を組織の力で保障すること。

 このような労働者革命家をどれだけつくれるかが、この事業の規模を決定づけるのである。

 →「経済主義者」は、労働者革命家となるべき有能な労働者を、狭い労働組合活動家の位置に押しとどめることで、ますます活動の規模を狭いものにしているのである。

 では、どのようにして労働者革命家をつくるのか。レーニンはドイツの例を出して次のように述べている。

 「有能な労働者と見れば、すぐさまその能力を十分に発揮し、十分にはたらかせることのできるような条件のもとに、彼をおこうとつとめる。彼は職業的扇動家とされる。その活動舞台をひろげて、ひとつの工場からその職業全体へ、一つの地方から国全体へとおよぼしてゆくよう励まされる。彼は自分の職業についての経験と手腕を獲得し、その視野と知識をひろげる。他の地方や他の党のすぐれた政治的指導者を身近に観察する」。自分でも同じ水準に到達しようとつとめ、敵の頑強な隊列にたいして闘争をおこなうことのできる職業的修練に自分を結び付けようとする。(p197)

 「われわれが、労働者にも『インテリゲンチャ』にも共通の、この職業革命家としての修業の道へ労働者を『駆りたてる』ことが少なすぎ、労働者大衆や『中程度の労働者』にはなにが『とりつきやすい』かなどという愚論によって労働者を引きもどしている場合がおおすぎる……」(こうしたことを含めて、いろいろな点で)「組織活動の規模が狭いことは、われわれの理論やわれわれの政治的任務がせばめられていることと不可分の関係があることは、疑いをいれない。」それは、自然発生性への拝跪であり、大衆から一歩でも離れてしまうことに対する恐怖があるからだ。(p197)

 

(以下第五回に続く)