正道有理のジャンクBOX

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憲法前文は平和主義・国民主権という理念の変更を認めてはいない

憲法改正論議を阻害してきた9条改憲

 憲法第96条は、あくまでも憲法の「改正」を規定したものであり、憲法の理念を覆すような自民党の「改憲」は憲法が認めていない。憲法前文の成立過程はそれを証明している。

立憲民主党の登場によって現実的には「改憲」そのものに絶対反対という勢力(いわゆる護憲派)は少数派になりつつある。

ただ、これまで「護憲派」と言われてきた人々は憲法の改正(修正)に絶対に反対だったのだろうか。現在は方針を転換したかに見える日本共産党だが、天皇制に反対していた当時、象徴天皇制を規定した憲法を望ましいと思っていただろうか。社会党社民党自衛隊違憲論と容認派の間で揺れ動いたとき、憲法の矛盾に整合性を求めようとしなかったのだろうか。

あるいは、国家公務員法という法律が、憲法の規定する公務員の規定、つまり国民による選定と罷免の権利(憲法第15条)を満たすものではないが、この矛盾をどうするのか。

また、NHK出身の極右の参議院議員和田正宗氏が改憲を言う時によく持ち出す憲法第11条と第97条の重複も、その指摘自身は間違ってはいない。

憲法第11条)
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 
憲法97条)
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

「この憲法が(日本)国民に保障する基本的人権は」「侵すことのできない永久の権利として」「現在及び将来の国民に」与えられる、という部分は全く同じである。

 97条は、基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ」て勝ち取られたものだという事を強調したかったに違いない。それがGHQの意思だったとしても不思議ではない。しかし、憲法の理念は前文に表現されているのだから、今日的に見た場合、敢えて97条が必要なのかというのは論議を必要とするだろう。

このように、憲法自体の見直しが必要なことは、論理的にも語学的にも絶体的に否定すべき事でないことは自明のことだ。

では、何故「護憲派」と言われてきた人々が、「改憲」に是が非でも反対を貫こうとしたのか。

それは改憲を主張してきた自民党の主要な狙いが、9条の改憲=軍隊と交戦権の容認にあることが明らかだったからだ。
護憲派の人々が、憲法96条に改正手続きが規定されていることを知らなかった訳でも、また憲法は未来永劫一切の改正も許されないものだと考えていた訳でもないだろう。

戦後一貫した保守支配体制の中で、うっかり改憲論議に加われば9条改憲に道を開くかもしれないという護憲派の危機意識が憲法全体を見直す改正=修憲のための論議をタブー化してきたのである。

 ところが、最近では自民党日本会議に所属する議員の中に、戦争放棄を規定した第9条の改憲のみならず、ブルジョア革命=市民革命以来続いている近代国家の在り方そのものを否定し、基本的人権国民主権は「自主憲法」を作るうえでの障害だと言い出す者まで現われる始末である。

また「緊急事態法」も、人民は国家の意思に従うのが当たり前という人権意識を下敷きにして出されてくるのは明らかである。

そこで、ここでは憲法前文の成立過程の検証を通して、憲法の理念を変えるような「改憲」はこの憲法が認めていないという事を明らかにしたい。

憲法制定に至る総司令部と日本政府の攻防

 はじめに憲法成立過程の流れを資料に沿って整理しておきたい。
(以下の図表は衆議院憲法審査会事務局 資料。詳細はリンク先参照)   http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf 

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【1】松本四原則  1945年12月8日

 松本烝治国務大臣衆議院予算委員会において、憲法問題調査委員会の調査の動向及びその主要論点を述べたもので、政府側が憲法改正問題について具体的に述べた最初のものである。

  • 天皇統治権を総攬するという原則には変更を加えない
  • 議会の権限を拡大し、その結果として大権事項を制限する。
  • 国務大臣の責任を国務の全般にわたるものたらしめ、国務
    大臣は議会に対して責任を負うものとする。
  • 人民の自由・権利の保護を強化し、その侵害に対する救済を完全なものとする。

【2】 松本案 (「甲」案) 1946年1月

  松本国務大臣憲法問題調査委員会の議論を参考にして起草した憲法改正私案を骨子として、宮沢俊義委員(東大教授)が要綱化(後に甲案と呼ばれる)、さらに松本国務大臣が更に加筆して総司令部に提出するための「憲法改正要綱」【3】を作成した。

尚、この案とは別に、憲法問題調査委員会の小委員会は、総会に現れた各種の意見を広く取り入れた改正案を起草し、これが後に乙案と呼ばれた。

甲・乙両案とも明治憲法に部分的に改正を加えるものであったが、取り上げた改正点は乙案のほうが多く、また乙案には条文によっては数個の代案があった。

ところが、この松本案(いわゆる甲案)は正式発表前の 1946 年 2 月 1 日、毎日新聞にスクープされ、それによって松本案の概要を知った総司令部はその保守的な内容に驚き、マッカーサーは 2 月 3 日、ホイットニー民政局長に対し三つの原則【4】示し、独自の憲法草案作成を命じた。

日本政府側も甲案にさらに加筆した憲法改正要綱」を2月8日に提出したが、GHQは既に原案作成作業を始めており、これは拒否されたのである。

  〈甲案の主な項目〉

  • 明治憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスを「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と改める。
  • 軍の制度は存置するが、統帥権の独立は認めず、統帥も国務大臣の輔弼の対象とする。
  • 衆議院の解散は同一事由に基づいて重ねて行うことはできないこととする。
  • 緊急勅令等については帝国議会常置委員の諮詢を必要とする。
  • 宣戦、講和及び一定の条約については帝国議会の協賛を必要とする。
  • 日本臣民は、すべて法律によらずして自由及び権利を侵されないものとする。
  • 貴族院参議院に改め、参議院は選挙または勅任された議員で組織する。
  • 法律案について衆議院の優越性を認め、衆議院で引き続き三回その総員三分の二以上の多数で可決して参議院に移した法律案は、参議院の議決の有無を問わず、帝国議会の協賛を経たものとする。
  • 参議院は予算の増額修正ができないこととする。
  • 衆議院で国務各大臣に対する不信任を議決したときは、解散のあった場合を除くのほかその職にとどまることができないものとする。
  • 憲法改正について議員の発議権を認める。

 

【3】 憲法改正要綱 1946年2月8日 GHQが拒否 

<主な内容>

  1.  改正の根本精神 ポツダム宣言第10項(民主主義、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重)の目的を達しうるもの
  2.  天皇
    (1)天皇の大権を制限し、重要事項はすべて帝国議会の協賛を要するとし、国務は国務大臣の輔弼をもってのみ行いうる。
    (2)国務大臣帝国議会に責任を負う。
  3.  国民の権利及び自由
    (1)あらゆる権利、自由は法律によらなければ制限されない旨の一般規定を設ける。
    (2)行政裁判所を廃止し、行政事件の訴訟も通常の裁判所の管轄に属せしめる。
    (3)独立命令の規定、信教の自由の規定を改正し、非常大権の規定を廃止する。
    (4)華族制度、軍人の特例等、国民間の不平等を認めるがごとき規定を改正・廃止する。
  4.  帝国議会
    貴族院参議院と改め、皇室、華族を排除し、衆議院に対し第二次的な権限を有するにすぎないものとする。
  5.  枢密院
    枢密院は存置するが、帝国議会の権限の強化及び帝国議会常置委員の設置に伴って、従来の枢密院の国務に対する権限は排除され、政治上無責任のものとする。
  6.  軍
    (1)「陸海軍」を「軍」と改める。
    (2) 軍の統帥は内閣の輔弼をもってのみ行われる。(3) 軍の編制及び常備兵額は法律をもって定める。
  7.  その他
    (1) 皇室経費について、議会の協賛を要せざる経費を内廷の経費に限
    (2) 憲法改正の発議権を帝国議会の議員にも認める。(3) 従来、憲法及び皇室典範の変更は摂政を置く間禁止されていたのを解除する。

【4】 マッカーサー三原則  1946年2月3日 

  • 天皇は、国家の元首の地位にある。皇位の継承は、世襲である。天皇の義務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う
  • 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段とし戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない
  • 日本の封建制度は、廃止される。皇族を除き華族の権利は、現在生存する者一代以上に及ばない。華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。予算の型は、英国制度にならうこと。

【5】 総司令部案   1946年2月13日 

総司令部は、日本側が提出した憲法改正要綱を全面的に拒否し、マッカーサー三原則に沿った総司令部案を日本側に交付し、これに基づく改正案の作成を求めた。

〈主な内容〉

 総司令部案には前文がついていたが、これについては後半で検討する。

  1. 国民主権天皇について
    主権をはっきり国民に置く。天皇は「象徴」として、その役割は社交的な君主とする。
  2.  戦争放棄について
    マッカーサー三原則における
    「自己の安全を保持するための手段としての戦争」をも放棄する旨の規定が削除された。
  3.  国民の権利及び義務について
    (1)
    現行憲法基本的人権がほぼ網羅されていた。
    (2)社会権について詳細な規定を設ける考えもあったが、一般的な規定が置かれた。
  4. 国会について
    (1) 貴族院は廃止し、
    一院制とする
    (2)
    憲法解釈上の問題に関しては最高裁判所に絶対的な審査権を与える
  5.  内閣について
    内閣総理大臣国務大臣の任免権が与えられるが、内閣は全体として議会に責任を負い、不信任決議がなされた時は、辞職するか、議会を解散する。
  6. 裁判所について
    (1)
    議会に三分の二の議決で憲法上の問題の判決を再審査する権限を認める
    (2) 執行府からの独立を保持するため、最高裁判所に完全な規則制定権を与える。
  7.  財政について
    (1) 歳出は収納しうる歳入を超過してはならない

    (2) 予測しない臨時支出をまかなう予備金を認める
    (3) 宗教的活動、公の支配に属さない教育及び慈善事業に対する補助金を禁止する。
  8.  地方自治について
    首長、地方議員の直接選挙制は認めるが、日本は小さすぎるので、
    州権というようなものは どんな形のものも認められないとされた。
  9. 憲法改正手続について
    反動勢力による改悪を阻止するため、
    10年間改正を認めないとすることが検討されたが、できる限り日本人は自己の政治制度を発展させる権利を与えられるべきものとされ、そのような規定は見送られた。

 

日本側は、突如として全く新しい草案を手渡され、それに沿った憲法改正を強く進言されて大いに驚いた。そして、その内容について検討した結果、松本案が日本の実情に適するとして総司令部に再考を求めたが、一蹴されたので、総司令部案に基づいて日本案を作成することに決定した。

【参考】いわゆる「押しつけ憲法論」について
上述のとおり、総司令部案が提示され、この草案を指針として日本国憲法が作成されたことについて、現行憲法は「押しつけられた」非自主的な憲法であるとの見解がある。
しかし、マッカーサーの3原則が必ずしもそのまま草案化されている訳でない事は比較して見ればはっきりする。むしろ、マッカーサー3原則が「占領統治」という立場を意識したものであるのに対し、出来上がった総司令部案にはより民主的なものを求めようとした意思さえ感じられる。

なお、「総司令部が草案作成を急いだ最大の理由は、2 月 26 日に活動を開始することが予定されていた極東委員会(連合国 11 ヵ国4の代表者から成る日本占領統治の最高機関)の一部に天皇制廃止論が強かったので、それに批判的な総司令部の意向を盛り込んだ改正案を既成事実化しておくことが必要かつ望ましい、と考えたからだと言われている。

もっとも、草案の起草は 1 週間という短期間に行われたが、総司令部では、昭和 20 年の段階から憲法改正の研究と準備がある程度進められており、アメリカ政府との間で意見の交換も行われていた」との指摘(芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法(第 6 版)』(岩波書店、2015 年)25 頁)もある。

【6】 三月二日案   1946年3月4日 

 総司令部案に基づき日本側が起草し、3月4日に総司令部に提出したもの

【参考】3 月2 日案の主な特色(総司令部案との主な相違)

  1. 前文を削除(注)
  2. 天皇の地位に関する「人民ノ主権的意思(sovereign will)」を「日本国民至高ノ総意」と改めた(主権が天皇から国民に移るという革命的な変革を条文上明記することを回避する趣旨)
  3. 天皇の国事行為について、内閣の「補弼及協賛(advice and consent)」を「補弼」に変更
  4. 2月13 日会談で松本国務大臣が「一番驚いた」(何と社会主義的な!)条文である「土地及一切ノ天然資源ノ究極的所有権ハ人民ノ集団的代表トシテノ国家ニ帰属ス」を削除
  5. 院制を二院制に変更
  6. 国会召集不能の場合における応急措置に関する「閣令」規定の追加
    芦部信喜憲法学Ⅰ』(有斐閣、1992 年)167-168 頁)

(注) 総司令部案には前文があったが、三月二日案ではこの前文はすべて削除された。総司令部案の前文は国民が憲法を制定するとしているが、明治憲法によれば憲法改正天皇の発議、裁可によって成立することとなっているためである。この「国民主権」をめぐる抵抗は天皇の位置をどう扱うかとも密接に結びついている。

上記「3 月 2 日案」をめぐる総司令部との交渉での主な争点とその結果は以下のようであった。

  1. 前文を省略 ⇒総司令部案がほぼ完全に復活
  2. 「至高ノ総意」 ⇒了承
  3. 「補弼」 ⇒「輔弼賛同」に修正
  4. 「土地ノ国家帰属」を削除⇒了承
  5. 一院制を二院制に変更 ⇒了承(ただし、参議院の組織に関する提案は拒否)
  6. 国会召集不能の場合における応急措置に関する「閣令」規定の追加 ⇒削除

 この作業の大部分は、佐藤達夫法制局第一部長(当時)が一人で当たったとされる。
 草案要綱は、その後、総司令部との交渉を経て、幾つかの点に修正が加えられ、これと並行して要綱を口語体の条文として成文化する作業が進められ、4 月 17 日、枢密院への諮詢と同時に「憲法改正草案」(内閣草案)として公表された。

密院で可決された内閣草案は、明治憲法 73 条の定める手続に従い、1946年6 月 20日、新しく構成された第 90 回帝国議会衆議院に、「帝国憲法改正案」として勅書をもって提出された。
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衆議院は、帝国憲法改正小委員会を作り、7月25日から8月20日までの間に13回にわたって秘密を開き、各会派から提出された修正案の調整を行った。

「帝国憲法改正案」には佐藤達夫法制局次長による書込みが随所に見られる。
こうして原案に若干の修正を加えたのち、8 月24 日圧倒的多数をもってこれを可決し、貴族院に送付された。 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/123/123_002l.html

 

 

衆議院における主要な修正点】
国民主権の表現の明確化(総司令部からの要求により修正したもの)
②9条の文言の修正―戦力の不保持を定めた第9条第2項に「前項の目的を達するため」という文言を挿入(この修正によって、この規定は自衛のための軍隊の設置が必ずしも否認するものでないという解釈に道を開いた)
③国民たる要件を法律で定める規定と納税の義務の規定を新設
生存権の規定、勤労の義務の規定、国家賠償の規定、刑事補償の規定を設けたこと、等。

宮澤俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社、1981 年)

 衆議院特別委員会が本会議に提出した修正議決の報告書には、貴族院での修正箇所も一部手書きで記されている。英語のciviliansに対応する用語が、「武官の職歴を有しない者」が「文民」に落ち着いた経過などもこの資料からもうかがえる。


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憲法9条よりも攻防を極めた前文=国民主権の理念

日本政府が考えていた、いわゆる松本案をベースにした「憲法改正要綱」には、改正の根本精神として「ポツダム宣言第10項(民主主義、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重)の目的を達しうるもの」が考えられていたが、「憲法前文」は無かった。

そもそも、日本政府は明治憲法大日本帝国憲法に手を加える形での改憲を考えていたのであるが、大日本帝国憲法に前文はなく、明治天皇が神に誓う告文(つげぶみ)が詠まれた後、勅語が発せられたである。

朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣榮(きんえい=喜びと光栄)トシ、朕ガ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ、現在及ビ将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

意訳(私は国家の隆昌と臣民の喜び幸せとを以て、一番の喜びと光栄とし、私が歴代の先
祖から受け継いだ大権によって、現在及び将来の臣民に対してこの不磨の大典を宣布する。(このあとに、惟ウニ我ガ祖、我ガ宗ハ我ガ臣民祖先ノ協力輔翼ニヨリ我ガ帝国ヲ肇造シ、以テ無窮ニ垂レタリ・・・と続く)

 

 <総司令部案 >   1946年2月13日

 政府ノ行為ニ依リ再ヒ戦争ノ恐威ニ訪レラレサルヘク決意シ、茲ニ人民ノ意思ノ主権ヲ宣言シ、国政ハ其ノ権能ハ人民ヨリ承ケ其ノ権力ハ人民ノ代表者ニ依リ行使セラレ而シテ其ノ利益ハ人民ニ依リ享有セラルトノ普遍的原則ノ上ニ立ツ此ノ憲法ヲ制定確立ス、而シテ

我等ハ此ノ憲法ト抵触スル一切ノ憲法、命令、法律及詔勅ヲ排斥及廃止ス(we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws and rescripts in conflict herewith.)

 

憲法改正草案要綱」  1946年3月6日

日本国民ハ、国会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル代表者ヲ通ジテ行動シ、我等自身及子孫ノ為ニ諸国民トノ平和的協力ノ成果及此ノ国全土ニ及ブ自由ノ福祉ヲ確保シ、且政府ノ行為ニ依リ再ビ戦争ノ惨禍ノ発生スルガ如キコトナカラシメンコトヲ決意ス。乃チ茲ニ国民至高意思ヲ宣言シ、国政ヲ以テ其ノ権威ハ之ヲ国民ニ承ケ、其ノ権力ハ国民ノ代表者之ヲ行使シ、其ノ利益ハ国民之ヲ享有スベキ崇高ナル信託ナリトスル基本的原理ニ則リ此ノ憲法ヲ制定確立シ、之ト牴触スル一切ノ法令及詔勅ヲ廃止ス。

 

憲法改正草案 前文> 1946年4月2日GHQ承認 4月17日、発表

わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

<帝国憲法改正案 前文>(帝国議会に提出) 1946年6月20日

日本国民は、国会における正当に選挙された代表者を通じて、我ら自身と子孫のために、諸国民との間に平和的協力を成立させ、日本国全土にわたって自由の福祉を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が発生しないやうにすることを決意し、ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の崇高な信託によるものであり、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行ひ、その利益は国民がこれを受けるものであつて、これは人類普遍の原理であり、この憲法は、この原理に基くものである。我らは、この憲法に反する一切の法令と詔勅を廃止する。

 

<「衆議院小委員会修正」>

1946年7月25日から8月20日まで13回に亘り非公開で行われた衆議院帝国憲法改正小委員会では、各会派から提出された修正案をもとに討議され、条文の調整が行われた。同時に「憲法前文」はこの憲法の理念、性格を規定する重要な位置を持つもので、実に総司令部との間でも最も争点になっていたものだったのである。

政府は、4月2日に総司令部から草案の承認を受けていたにも拘らず、3月6日の「憲法改正草案要綱」の前文を口語体に変えたものを「憲法前文」として提出している。

これは、国民主権 ②この憲法に反する憲法を認めないという2点をどうしても前文に入れたくないという意図があったか、あるいはその意味を理解していなかったという事なのかもしれない。

しかし、小委員会での論議は政府のこの意図を打ち砕き、今日の「帝国憲法改正修正案」として衆議院に提出されたのである。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/124_1/124_1_001l.html 

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衆議院修正可決「帝国憲法改正案」> 1946年8月21日提出

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

⇒ 帝国議会衆院小委員会で当初案がほぼ現行憲法の形になるまでの文言の書き換えや細部の修正が行われた。その意味では、GHQから押し付けられた憲法に唯々諾々と従ったのではなく、各会派の真剣な議論の結果だったと見るべきなのである。

 これまでの検証を通して憲法前文」にはGHQとの間で、その理念をめぐる対立があり、条文そのものにも増して重要な争点だったことがうかがえる。それは、一つは「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存する」という平和主義の確立と国民主権をめぐる考え方、もう一つは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という理念を排除した改憲をあらかじめ禁じる、という事が焦点だったのである。 

 今日、憲法学者の中には「憲法前文」は条文のように拘束力を持たないという意見もあり、改憲に反対する勢力の中でも「前文の重要さ」が殆んど注目されていない。

私たちは憲法制定過程ではこの前文が極めて重視されていた事の意味をしっかり考えるべきではないだろうか。