正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

正道有理のジャンクBOX

政治と宗教の蜜月

岸信介から続く復古主義の系譜

安倍晋三が銃撃され死亡して以降、旧統一教会の問題が焦点化し、それに追い打ちをかけるように裏金問題が浮上し、長い間政権内に君臨してきた安倍派は総瓦解状態に陥っている。岸信介の系譜によって、戦後70年以上に亘って続いてきた復古主義の一角が決壊し始めたのなら歓迎すべきことである。

戦犯・岸信介は、サンフランシスコ講和条約の発効にともなって公職追放解除となるやいなや、その1952年4月に「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」をスローガンに掲げ、日本再建連盟を設立して会長に就任した。これと前後して、1951年には「建国記念の日」制定運動も始めている。

これまで、日本会議について論じた多くの出版物が出されており、この中では日本会議の前身が元号法制化運動と「日本を守る会」の結成とされてきた。ただ、運動の源流としては、この「建国記念の日」制定運動と考えるべきではないだろうか。

そもそも初めから、建国の日を日本神話に登場し、初代天皇とされる神武天皇の即位日、即ち戦前の紀元節と同じ2月11日に制定することを狙った運動だったのである。

そして、「建国記念の日」を定めるということは、元号法制化の布石であることもまた明白であった。これが後の日本会議へと連なるのであるが、その原点は岸信介にあったことに注目したい。

岸信介は、1956年 石橋首相が病に倒れたため、首相臨時代理となり、翌1957年2月25日、石橋内閣の全閣僚を引継ぎ、外相兼任のまま第56代内閣総理大臣に就任した。

統一教会日本会議 キーマンは岸信介

1957年2月13日には、自由民主党衆議院議員らによる議員立法として「建国記念の日」制定に関する法案を提出するが、社会党共産党など野党の反対によって廃案になる。その後、1966年までの9年間、9回の法案提出が行われたが、そのたびに廃案に追い込まれた。

では、この間、岸信介保守系団体は手をこまねいていたのだろうか? そうではない。「建国記念の日」制定に至る活動で、神社本庁紀元節奉祝国民大会運営委員会を設立(1955年)するなど、主要な役割を果たした。さらに日本郷友連盟日本遺族会生長の家なども加わり、「建国記念の日」制定を求める世論形成を行っていたのである。

建国記念の日」を成立させた力?

他方、岸信介は周知のように1960年に入り統一教会と接点を持つようになる。そして、岸退陣後の1964年7月15日、池田政権の末期に統一教会は宗教法人として認可をうけるのである。

それから2年後の1966年6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立する。

このように見てくると、日本会議の母体としてあった神社本庁生長の家等々の運動だけでは「建国記念の日」を制定させるには至らず、ここに旧統一教会が加わることによって、これが成就されたと見ることはできないだろうか。
ここに、日本会議とともに旧統一教会自民党との濃密な関係が築かれたのではないだろうか。

この後、1968年4月1日 岸信介文鮮明笹川良一児玉誉士夫らと協力して、日本に国際勝共連合を設立する。同年10月、元号法制化の運動も始まっている。

岸信介は、1969年春には「自主憲法制定国民会議」(現・新しい憲法をつくる国民会議)を立ち上げ、初代会長に就任する。

また、1970年には日本青年協議会が結成されるが、この頃にも日本会議と旧統一教会を接近させることが起こっている。

自民党――日本会議――旧統一教会のトライアングル

森友学園問題が浮上した当時、日本会議に関する出版物や研究論文が数多く出版された。しかし、この中で日本会議と旧統一教会との関係に触れたものは極めて少ない。
逆に、旧統一教会の問題が浮上した時、日本会議の問題がまったく論じられないのは何故なのだろう。
確かに、旧統一教会は韓国発祥の宗教であり、日本会議とは歴史認識も違っている。両方とも異教を受け入れる点では類似しているが、それぞれの目標は微妙に違っている。にもかかわらず、反共(反左翼、反リベラリズム)という点では共通している。また、政治権力と接近することによって、自分たちのそれぞれの目標や利益を得られるという点では創価学会を含めて、宗教団体はみな一緒だ。

つまり、性格の違う二つの反共勢力を結び付け、悍ましいトライアングルを形成してきたものは、宗教団体の持つ集票力に依拠し続けてきた自民党だということである。

 

インボイス制度に隠された消費増税と利権政治

法人税据え置き(便宜供与) ⇒ パー券購入(見返り)

自民党政権に納税義務を説く資格などない

自民党・安倍派の議員が1000万円以上のキックバック=闇献金を受けながら、自分たちで決めた政治資金規正法の報告義務さえ平然と無視しているばかりか、それが何にどう使われたのかも明かされないまま、地検特捜部も会計責任者の立件だけでお茶を濁そうとしている。
考えてみれば、大企業にとっては自民党政権法人税の引き上げをしない見返りにパーティ券を購入したとしても決して損にはならない。これは政治資金規正法違反というよりも、実質的な政権と財界の贈収賄と考えた方がよいのではないか。

そんな政権が、中小零細や個人事業者、低所得者に納税義務を説く資格があるのか、と言いたくなるのは当然だ。

ところが、年間売り上げ一千万円に満たない免税事業者を追い詰め、課税事業者への転換を迫ろうするインボイス制度が昨年10月から導入された。

消費税導入で、もともとあった社会保障費が削られている

そもそも、インボイス制度とは消費課税の上に成り立つ制度である。消費税は、その導入時の説明では、社会保障を充実させるための財源などとも言われていた。しかし今日、医療保険介護保険などの保険料率は年々上昇し、年金からの特別徴収によって高齢者が受け取る年金の実質額は下がる一方である。他方では社会保障費は年々切り下げられている。
忘れてならないのは消費税が導入される以前から、社会保障費は一般会計予算の中に組み入れられていたものだということだ。社会保障の充実のために消費税(目的税として)を導入したのであれば、一般歳入からの社会保障費にプラスして消費税収入が当てられなければならないのである。ところが、消費税=社会保障費であるかのようなレトリックの中で、社会保障費がわずかに増えているように見えても、それは保険料の値上がり分によるもので(一般会計予算が年々増えているにもかかわらず)一般会計で本来組み込まれていた社会保障予算は消費税収入が増えるほど減額され、もって実質的な社会保障費は年々切り下げられるということである。

消費税が貧困層に重くのしかかり、社会保障の充実にはまったく寄与していないどころか、社会保障切り捨ての目くらましにされているのである。

インボイス制度の導入は消費増税の布石なのか

ところで、このインボイス制度の導入をめぐる国会審議では、「なぜ、インボイス制度の導入が必要なのか」とその理由を問われた岸田総理や財務大臣は「複数税制の結果、本来10%で申告するものが8%で申告されるなどの誤りや不正確な申告がある。しかし、それを検証しようとしても書類が残されていないため検証できない」という趣旨の答弁をしている。では、そのような誤りがどれだけあり、税制を揺るがすような問題なのかと言えば、全くそうではない。しかも、2%の差額の是正のために、全事業所が端末を整備し、煩雑な事務や帳票管理を迫られ、それを避けるために新たにソフトを導入する必要があるのか。また、取引先情報が丸見えになり、個人情報が漏洩しかねないリスクを負う必要がどこにあるのか。
免税事業者からも消費税を取りたてるということ以外には、現在的なメリットは何もないインボイス制度だけに、これは標準税率を15%、20%に引き上げることを睨んだものではないかという疑念の声が上がっている。標準税率と軽減税率との開きが大きくなれば、それぞれについて帳簿上はっきりさせることに意味があるからだ。

いずれにせよ、「一部の免税事業者が苦しめられるだけ」「事業者でない個人には関係ない」と傍観していたら、そのうちに自分も苦しむことになるという話だ。消費税の上に成り立つインボイス制度を消費税もろとも葬むらなければならない。

インボイス制度のカギ=「仕入れ税額控除」

その上で、インボイス制度とはどのようなものかを整理してみたい。
これまでは小規模事業者や個人事業者などで前々年の課税売上が1000万円以下の事業者は免税事業者とされてきた。それが2023年10月のインボイス制度導入によって、今後(若干の経過措置を経て)これらの事業所が適格請求書を発行しない場合、取引先の業者は「仕入税額控除」を利用できなくなった。

仕入税額控除」とは

課税売上の消費税額 - 課税仕入れの消費税額 = 納付する消費税額

つまり、売上金とともに消費者から徴収した消費税分をそのまま納付するのではなく、仕入れの際に支払った消費税分を差し引き、その差額を納付すること。これが「仕入れ税額控除」である。

従って、この控除が受けられない場合には、売り上げに係る消費税をそっくり納付したうえで、仕入れに係る消費税はそのまま(自社で)負担しなければならない。

仮に、仕入れ先業者がこれまでの免税事業者で、「適格請求書発行事業者」に登録(=インボイス制度導入)していない場合、この事業者からの仕入れ分に対しては「仕入れ税額控除」が受けられず、自社負担が増えることになる。このため発注が減らさせたり、取引自体を断られるという事がおこり得るのである。

そして、免税事業主に該当した会社や個人が、「適格請求書発行事業者」に登録すると、その日の売り上げ分からは、課税事業者として消費税の納税義務が生じるのである。

これは、これまで免税とされてきた小規模事業者が、否応なしに課税事業者に置き換えられていくドミノゲームであり、それで成り立たない事業者に廃業を迫る攻撃に他ならない。

上の図でわかるように、常に1000万円を超える売り上げがあるような課税事業主にとっては、消費税の算出方法は基本的に変わらない。そして仕入れや売り上げに対する税の計算を含めた経理は、規模の如何を問わず、社員数名という小さな会社でさえ、今どき電卓で計算し手書きの請求書を発行しているなんてまずない。それなりの経理システム、帳票管理システムは備えているのである。だから、インボイス制度などと言うものが導入されて、これに対応したシステムに置き換えることは負担も大きく、事務も煩雑になるだけなのだ。データの保管法や期限の変更だけなら何も大騒ぎすることではない。

免税業者と課税業者を選別し、免税事業者を排除する制度

問題は、この制度が導入された結果、免税事業者と課税事業者が選別され、相手が免税事業主(適格請求書発行事業者に未登録)の場合には仕入れに係った消費税は、自社負担にさせるという、当てつけがましいことをやって、零細企業や個人事業主から一円でも多く税金を搾り取ろうという魂胆である。

 「お前のところが、消費税を免除されている分、うちが代わりに収めているんだ。これでは、お前のところとの取引は出来ない。仕事が欲しければ適格請求書発行事業者になれ」

ということになる。このことは実質的には免税事業者との間での仕出しや仕入といった取引を排除し、否応なしに課税事業者になることを強制するものに他ならない。

これまで、代金+消費税として請求はするが、これをすべて売上金として計上してもよいとされてきた小規模零細事業者からもガッツリと消費税を分捕ろうというのが、インボイス制度の狙いである。

では、仕入れたものを個人消費者に売っているだけの小売業者などの場合はどうか。

この場合には、免税業者のままであっても問題はないが、例えば近所の企業の事務員さんがしょっちゅう買い物にきて領収書を発行することがある文房具店や雑貨屋さん、接待や宴会で利用されることの多い飲食店など、事業所(法人)関係のお得意様や常連さんがいる場合には、適格請求書がないと不都合が起こる可能性がある。

また、建設業界には下請け、孫請けの下で「一人親方」と呼ばれる人たちがいる。芸術の世界では、自分のデザインや企画を企業に売り込むこともある。その他、自分の技能、知識、経験を生かしたベンチャービジネスも増え続けている。こうした個人事業者をすべて課税事業者に追い込んで、しっかり税を取り立てようという訳である。

(ここでは詳しく触れないが、インボイス制度の導入によって、これまでは簡易な納税申告として個人事業者に利用されてきた白色申告が、帳票の管理、申告書の記載等でこれまでよりも煩雑になっている)

インボイス制度とマイナンバーカードは表裏一体

個人からの徴税はマイナカードで、事業所からの徴税はインボイス制度で

このところ保険証との紐づけが強調され、その前は訳の分からないポイントとの紐づけが宣伝され、何が何だか分からなくなっているマイナンバーカードだが、導入当初の狙いは、個人の銀行口座と紐付けし、年金や各種保険制度を含め、政府が個人の収入・資産と税を一体的に把握し管理しようとするものだったのである。

これと並んで、大企業の裾野を支えてきた無数の中小零細企業(免税事業者)からも消費税を厳しく取り立てる方法はないものかと考え付いたのが、このインボイス制度なのだ。
背景には、国民の福祉とは無縁なところで高じてきた放漫財政がある。未曽有の収益を更新し続ける大企業の法人税には手を付けず、福祉の切り捨てと低所得層からの収奪、そして肥大化する財政支出のために返す当てのない国債を増発し、他方では政権延命のためにアメリカからの防衛装備品調達に精を出し、軍事費を膨らませて戦争国家化へと突き進んできた自民党政権の悍ましい政治の結果、日本の財政は破綻し、すでににっちもさっちもいかない借金地獄に陥っているのである。

こうして、少しでも取れるところから搾り取ろうとして、その前提として個人と事業所の収支を国家によって把握しようと考えたのがマイナンバーカードとインボイス制度なのだ。

政府にとって、この2つは徴税のための車の両輪なのである。

背景はIT、端末、カード業者との利権か

そしてインボイス制度やマイナンバーカードの導入問題には、もう一つの視点が必要だ。

経理システムを煩雑にして、これに合わせたシステムを導入させ、ソフトや端末機器メーカーの利権を誘導しているということだ。背後には、事務機器やIT・ソフト関連企業の利権が絡み、これで甘い汁を吸っている政治家がいるに違いないのだ。インボイス制度にしろ、マイナンバーカードの導入にしろ、そのためのソフトとハードに絡む業種は極めて多く、まさにこうした業界からの何らかのキックバックがあると考えて不思議はない。

しかし、今わが国に必要なのは、政治家の金の出入りを国民が監視し管理するシステム構築の方が先のような気がする。

今からでも止めよう! 原発汚染水の海洋放出

核汚染水の海洋放出とはなにか

――デブリに触れた汚染水から環境を守るのは「核種の回収」だけだ――

▼ 現在の汚染水(23年4月時点)
・処理 途上水(告知濃度比 1倍以上)   793,400トン(約65%)
・ALPS処理水(告知濃度比 1倍未満)   418,500トン(約35%)

▼ 汚染水海洋放出の量
・約150トン/日 告知濃度比1倍未満のALPS処理水だけを放出しても7年を要する。

▼ その一方で、汚染水の発生量は
・70~140トン/日(⇒降雨量や廃炉作業の状況で変動、定量的なことは言えない)

仮に1日100トンと仮定した場合、7年で新たに25万5,500トンの汚染水が発生し、現在の処理途上水(ALPSによる二次処理前の汚染水)の総量は・・・
  79万3,400+25万5,500=1,04万8,900トンとなる。

いまここで、2013年のALPS導入から多くのトラブルを経て今日に至った10年間の第二次処理量と、この先7年間のそれを同程度とした場合、この処理途上水のうちから告知濃度比1倍未満の、いわゆるALPS処理水(二次処理水)が新たに41万8,500トン浄化されると仮定しよう。
すると7年後に発生する処理途上水は・・・
  1,04万8,900-41万8,500=63万400
つまり、63万400トンの処理途上水と41万8,500トンのALPS処理水が発生する計算である。
これを現在の処理途上水 79万3,400トンと比較すると、7年で処理途上水は16万3,000トン(1年あたりでは2万3,000トン)しか減らないことになる。

極めておおざっぱで諸々の可能性や要因を排除した計算ではあるが、これで行くとALPSの処理が追い付き、処理途上水がなくなるまでには34年かかることになる。これが、海洋放出に30年位かかるという根拠ではないか。

東電の資料によれば、トリチウムはALPS処理(第二次)によってもCタンク群で82万2,000Bq/L(告示濃度比 13.7)、Gタンク群でも27万2,000Bq/L(告示濃度比 4.5)である。これを告示濃度比1以下にするためには、4~14倍ぐらいの海水で希釈する必要がある。つまり、150トンの汚染水を流すには実際には約600トン~2千トン以上の海水で希釈するということになるのである。

まず、この論理のデタラメさをはっきりさせなければならない。
そもそも、いかなる放射性物質も環境中に放出させないという前提(建前)で成り立ってきた原発においては、放射性物質による環境汚染の許容基準とは、あくまでも環境中に放出する前の値を意味するのである。そして、放射性物質を「環境中に放出する」という行為は、気体としての放出であれ、液体としての放出であれ、放出した後にその環境中の流体のなかに取り込まれ結果として希釈・拡散されることを言うのである。

ところで汚染水というのは、すでに環境中に出てしまっているものであり、これは、核種の分離と除去・吸着によって回収する以外、いかなる方法によっても環境中に放出させる放射能を低減させることなどできない。これこそが原発事故によって発生する汚染水処理の決定的な問題なのであって、これを放棄して環境中で薄めるなどというのは全くのペテンなのである。

周知のように、福島第一原発事故で発生している汚染水は、溶け落ちた核燃料・デブリに直接触れた地下水、および冷却水であり、二次処理によってもヨウ素129や炭素14など半減期の長い核種をはじめ、セシウム137やストロンチウム90などの核種が除去されないまま残っているのである。政府は、これらの核種も含めて、海水で希釈されるから世界基準よりはるかに下回っていると強弁しているのであるが、前述のとおりこれは全くのペテン的な論理である。

すでに知られているように、世界の原発においても大量のトリチウムが環境中に放出され、その放出量は2008~16年当時の資料によっても気体、液体を含めて、2京ベクレルを優に超えている。これが、将来、人類にどのような影響を与えるかははかり知れない。

しかし、これとは別に、今回の汚染水海洋放出ではなぜ世界中から反対の声がまきおこり、日本政府が対応に追われ、「風評被害」対策に800億円もの税金を使い、折に触れて世界にその言い訳をして回らなければならないのか。その一事をとっても、単なる原発の廃水とはまったく別問題であるということは、政府・東電自身がもっともよく知っていることなのだ。

直接、核燃料=デブリに触れた汚染水と通常の運転をしている原発から出される冷却水などの廃水とはまったく次元の異なるものだということ――先に述べたように、すでに環境中に放出されてしまっている放射能汚染水においては「核種の回収」そのものが問題になっている――をはっきりさせなければならない。

なぜ海洋放出なのか

 福島原発の核汚染水処理に関わる経過】

(Ⅰ)トリチウム水タスクフォース 2013年12月~2016年6月(全15回)
①構成メンバー

垣内秀樹(環境科学技研、東大・考古学)、高倉吉久(東北放射線科学センター理事、東北大・原子核工学)、立崎英夫(放医研、原子力災害現地対策本部)、田内広(茨城大理学部・生物科学)、野中俊吉(生協ふくしま専務理事)、森田貴己(中央水産総合研)、山西敏彦(日本原子力開発機構)、山本一良(名大理事、汚染水処理対策委員)、山本徳洋(日本原子力開発機構、汚染水処理対策委員)、金城慎司(事務局、原子力規制庁、福一事故対策室長)
 ※ 立崎英夫は放医研が事故対策本部の医療班に組み入れられなかったことや、除染の基準
  値が13,000CPMから100,000CPMに引き上げられたことに異論をもつ人物。
 ※ 田内広は、放射線被曝によるDNA(遺伝子)の損傷が修復される仕組みの研究。

②タスクフォースの性格、検討内容
▼ この特別チームはその名の通り、トリチウム水の処分そのものについて議論するために作られたと言っていいのだろう。議論の内容からしても、放射能の汚染から人と環境をどう守るのかというような問題はほとんど触れられていない。そして、メンバー構成を見ると大半が推進または容認の側に立っているか、そうでないにしても、放射線被曝を科学的に解明する立場にはないメンバーではないだろうか。

▼2014年4月頃までは汚染水の保管状況や海外の事例を検討。同年7月の第9回タスクフォースから処分方法の選択肢について、技術的検討に移っていく。そして、①地層注入、②海洋放出、③水蒸気放出、④水素放出、⑤地下埋設という5つの選択肢に絞って総合的評価の判定が行われ、2016年5月に「タスクフォース報告書」がまとめられるのである。

https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/013_04_03.pdf

(Ⅱ)多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会(ALPS小委員会)
    2016年11月~2020年2月 (全17回)

① 委員会の性格、中心課題――風評対策
タスクフォースの報告書は第1回ALPS小委員会に提出されているが、初めから処理水の処分方法について議論されたわけではなかった。この小委員の中心課題はもっぱら「風評被害」対策であり、その一環として2016年から2018年にかけて各所でヒアリングや公聴会、説明会を開催しこれを集約することが中心的活動となっていた。政府(経産省)や東電にとって、どのような処分方法を取るにせよ、いかに人々の批判をかわし安全、安心を宣伝することができるかが最大の問題だったのである。国内外の広範かつ厳しい批判や反発さえ抑え込めれば、処理の方法はどうにでもなるという、極めてご都合主義的な意図が透けて見えるものだ。

トリチウム水の海洋放出への決定的転機となったWTO上級委判断
 ▼ 2019年8月9日 第13回ALPS小委員会
 議題)WTO上級委判断と廃炉国際広報、貯蔵継続と処分方法の検討

※ 政府はALPS処理水の処分方法を検討する一方で、韓国の輸入規制強化について、WTOに提訴していた。

WTOの紛争処理機関は、一審にあたるパネル(小委員会)と二審に相当する上級委員会の二審制がとられている。日本の提訴は、パネル小委員会においては「韓国の輸入規制は不当」と判断され、韓国の全面敗北となったが、上級委員会では「パネルの判断は(不当とする) 根拠についての論議が不十分」であるとして、パネルの判断を取り消したのである

おそらく、日本政府は韓国の全面敗訴を予想し、これを突破口に輸入規制を続ける他の国の批判を抑えこみ、国内的には韓国への排外主義的キャンペーンとともに、海洋放出を一気に進めようと狙っていたに違いない。ここにきて政府と東電は、若干の軌道修正と戦略の変更を迫られることになった。

⇒ タスクフォースの報告書はすでに2年前に出されており、報告も受けていたが小委員会の中では処分方法について詰めた議論はしてこなかった。政府は、水面下で国連WTOやIAEAとの交渉、働きかけを続けてきており、国際世論を味方につけようとしてきたのであるが、WTOの敗訴によってその思惑が外れ、追い詰められる形で海洋放出の強行を決断したに違いない。

2017年には「海洋に安易な放出は行わないという・・・中長期ロードマップの方針をまさに堅持する」(10/23 第6回ALPS小委員会、事務局見解)と答弁していたものが、2019年には「(水蒸気放出と比べ)海洋放出にメリットがあるとは思えない。期間を考えるとu>水蒸気放出の方が過去に管理目標値がなく、しがらみがないのではないか」という委員からの質問に対し、事務局の見解として「トリチウム水タスクフォースにおいて、・・・一つの指票として示した。水蒸気放出と海洋放出とで同じ基準を満たすために、期間とコストがどれくらい必要かを見たときに、海洋放出の方が容易風評被害を緩和するための工夫が・・・議論できれば、本委員会の目的が達成できる」(9/17 第 14 回委員会)と答え、暗に海洋放出が優位であることを匂わせ、かつ既定の方針であるかのように委員会をリードしている。

この後、小委員会は全体として海洋放出が既定方針であるかの如く、トリチウムの濃度をどう下げるか、これに対する社会の理解や風評対策をどうするかという問題に終始していくのである。それ以外の核種について、委員の中から多少の質問も出されるが、東電や事務局が計測数字をあげ、告示濃度比以下、或いは検出限度以下であると答えればそれ以上の議論にはならなかった。

海洋放出が選ばれたのは、何よりも処理費用が安いということだろう。小委員会では風評対策という事も大きな議題ではあったが、東電の負担という意味では海洋放出は圧倒的に安上がりなのだ。経産省と東電は初めからこの道を選んだに違いない。政府はこうした流れの中で、IAEAへの働きかけを強めていくことになる。

IAEAを引き入れるための破格の外務省拠出金

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① 巨額の拠出金でIAEAを買収

日本はIAEAの正規予算分担国(スポンサー)であり、その分担金は一定の決められた率に応じて割り当てられている。そして、日本はアメリカ、中国に次いで3番目に多い分担金をIAEA予算として計上している。上の表に見られるように、その額は年度毎に変動があるものの約40億~50億円である。そして、この分担金とは別に、少なくない拠出金がいくつかの省庁から出されているのである。例えば2020年をとれば、外務省から約15億3千万円、原子力規制庁から約2億8千万円、文部科学省から約7千4百万円、資源エネルギー庁から約2億3千万円、環境省から約3千万円などなど、多岐に渡る部署から職員の派遣費用や人件費名目での拠出金が支出されている。

また、上記の表で目を引くのは、第一に2020年のIAEAへの拠出金が飛び抜けて大きいことである。一目瞭然だが、2017年の約3倍、前年2018年と比べても5割増しである。WTO勝訴の思惑が外れ、猛烈なIAEA抱き込み工作が行われたことが考えられる。

第二には、IAEAへの拠出と言いつつ、外務省が大きく関与していることである。2017年を除けば、拠出金の4~7割が外務省の拠出金である。その内訳としては「緊急時対応能力研修センター拠出金」「核物質等テロ防止特別基金拠出金」「平和利用イニシアティブ拠出金」「核不拡散基金拠出金」などの名目となっているが、いずれも核技術そのものよりも、安全保障的側面が強く、広範で柔軟な、ある意味ではどうにでも説明がつくような拠出金なのである(これは外務省自身が、「柔軟で極めて効果的な使い方ができる資金」だと認めている)。別な言い方をすれば、極めて政治的な目的を持った拠出金であることは容易に想像がつく。これはIAEA加盟国への人的物的支援を含む政治工作資金だと言ってもよいだろう。

第三に2017年に限って、原子力関連の拠出がIAEAではなく、NEA(OECD原子力機関)、或いはIEA(国際エネルギー機関)に行われていることだ。それが、何を意味するのかは定かではない。ただ、この時期は日本が韓国輸入規制問題でWTOに提訴、パネルの設置を要請(2015年8月)していた時期であり、このパネルの報告書が提出されるのは2018年2月であることを考えると、2016~2017年はWTOにおける攻防の時期と重なっている。IAEAよりも幅が広く、かつ影響力を発揮しやすいOECDを通じてWTOへの働きかけをしていたのかも知れない。

② 菅政権の海洋放出閣議決定と一体になったIAEA
そして、2021年4月13日、菅政権(当時)は関係閣僚会議を開き汚染水の海洋放出を決定するが、これと完全に一体となってIAEAが動いていたことは極めて重要である。

2021年
 4月13日 事務局長がALPS処理水レビューの実施を発表
       (菅政権が海洋放出を正式に決定したその日である!)
  7月8日 日本政府による署名式
  8月19日 事務局長と経済産業大臣との会談
  9月7-9日 幹部が東京及び福島第一原子力発電所を訪問
  9月28-30日 第1回タスクフォース会合の開催
        (以後、ほぼ月一で開催)
 12月15-16日東京電力が技術的 な意見交換を実施

2022年
  2月8-11日 試料採取・分析活動に向けた準備会合を実施
  2月14-18日 ALPS処理水の安全性評価レビューミッションを実施
  9月27日 IAEA総会でのALPS処理水に関するサイドイベントを開催

このように、菅政権が海洋放出を閣議決定した背景には、IAEAを取り込むことを戦略目標としたシナリオがあったことは疑う余地がない。菅首相は、その準備が整ったところで満を持して閣議決定を行い、一方IAEAはその同じ日に事務局長がALPS処理水レビューの実施を発表した。

 菅首相は、地元住民や漁業者との合意を無視して強引な海洋放出に踏み切ったばかりでなく、経産省閣議決定と時を移さずALPS処理水の定義を変更し、「ALPS処理水の処分の際には、二次処理や希釈によってトリチウムを含む放射性物質に関する規制基準を大幅に下回ること」と言い換えたのである。

かねて、東電はホームページ上で「処理水(告示比総和1以上)の処分にあたり、環境へ放出する場合は、その前の段階でもう一度浄化処理(二次処理)を行うことによって、トリチウム以外の放射性物質の量を可能な限り低減する」としてきた。

これに比しても、その杜撰さは明らかである。

 (ALPS処理水の定義の重大な変更点)

*前の段階でもう一度浄化処理(二次処理)を行う
     ⇒ 二次処理希釈によって

トリチウム以外の放射性物質の量可能な限り低減
     ⇒ トリチウム含む放射性物に関する規制基準

東電は、むしろトリチウム以外の放射性物質をどれだけ減らせるかという事が問題なのだという事が分っていたからこそ、処分できなかったのであり、それと溜まり続ける一方の汚染水との関係で暗礁に乗り上げてしまったのである。

だが、政府はそうした核汚染水の処理に関わる根本的な問題に頬かむりし、これが社会的(世界的)な問題に発展するのを恐れて「風評被害対策」と称して、800億円もの予算を計上する一方、「一緒に希釈すれば海洋に放出しても安全」などというデマキャンペーンで人々をたぶらかしているのであり、東電以上に悪質だと言わなければならない。

そして、この日本政府の非科学的な決定にお墨付きを与えたという意味で、IAEAも同罪であり、絶対に許すことはできない。

六ケ所村など核燃サイクルのための既成事実化

③日本政府が海洋放出にこだわるもう一つの理由
そもそも、福島原発事故以前からの日本の核再処理計画では、六ケ所村の再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出そうとしていた。ここでは、その際に放出される年間2京ベクレルのトリチウム水(全世界の原発・再処理施設から排出されるトリチウム量に匹敵する)を沖合3Km、水深44mのジェット噴流パイプから海洋に放出する計画だった。これは、今なお撤回されたわけではないし、この核燃サイクル計画がある限り、トリチウム水の海洋放出は不可避かつ至上命題なのである。原発事故の汚染水処理にかこつけて、何がなんでも海洋放出という既成事実をつくろうとしたと見るべきであろう。

トリチウムの危険性、内部被曝=低線量被曝について

ところで、汚染水の海洋放出を考える時に、論じるべき問題が2つある。
一つは増え続けるトリチウムが環境を汚染しているという問題、即ち、トリチウム自体の危険性という問題である。今日、世界中の原発や再処理施設で、大量のトリチウム水がほとんど規制を受けないまま排出されている。これが、将来どのような形で生態系に影響を与え、人々の健康を蝕むのか。これは世界の原発や核開発に関わる独自の課題として科学的に解明し、問題にしていくべき事柄だと思う。

もう一つトリチウム以外の核種が引き起こす濃縮・蓄積と低線量被曝に対する、いわゆる内部被曝への再認識と、その危険性の問題である。

⇒これは、放射線被曝(とりわけ内部被曝)に対する正しい理解がすべての人々に共有されているかと言えば、そうではないという事である。ともすれば原発に反対している人々の中でさえ、核の危険性は日本のすべての人々が認識しているという前提で論じている場合が少なくない。

確かに、日本では「核の怖さ」について、広島・長崎の経験から語ろうとしてきた。「核の怖さ」として言われてきたのは、ほとんどの場合、外部被曝を指している。内部被曝については、政府も言わないし学校でも教えない。また、メディアも当然ながらこれを語ろうとしない(これは、ヒロシマナガサキ当時から米占領軍もタブーとして、調査・研究すらさせなかったのだ)。
その上、原発導入にあたって刷り込まれた核の「平和利用」や「安全神話」からの呪縛は根深いものがある。(日本学術会議の反対を押し切って、原発の導入を決めた故中曽根康弘とそのブレーンは「札びらで科学者の頬をひっぱだく」といって大学への助成金を餌に日本学術会議と大学の研究室から原発反対派を放逐してきたのだ)
こうして、放射線被曝、とりわけ内部被曝や低線量被曝の危険性を主張する科学者は隅に追いやられてしまった結果として、一般の人々の科学的な理解が極めて希薄になってしまっているのである。

「基準値」とか「許容限度」などという定義が実しやかに言われ、希釈すれば安全などという説明に騙されてしまう人は、放射線被曝を青酸化合物などの毒物による中毒と同じよう考えているのかと問いたくなる。

放射線は目で見ることができない。放射線健康被害との関係を明らかにするには、意欲的な科学的、医学的な研究と検証が必要なのだが、全世界的な原発推進、核容認の圧力のもとでこれが進んでいない、あるいは研究はあっても、ほとんど無視されてきたといっていいだろう。

ガン検診で、「あなたはタバコを吸っていましたか?」と聞かれることはあっても、「あなたは年間何シーベルトぐらいの放射能を体内に取り込んでいますか?」と聞く医者はまずいない。

そんなことは聞かれても分らないが、では全く健康に無関係だと断言できるのか。
医者も聞かないし、個々人でも測りようがないのをいいことに、誰も日常生活のなかでの極低線量被曝を問題にしないのである。それでいて、放射線従事者にとってのみ問題となる「基準値」だとか「許容限度」「告示濃度比」などをあたかも一般市民の安全指標であるかのように宣伝し、それを聞いて納得してしまうなどということは、まったく馬鹿げたことだ。

放射線被曝のメカニズムを正しく理解してもらうことなしに、ただ「危険な核」と言って説明したつもりになったり、原爆に結び付けて危険性を語るのは、誤りだとは言わないが、「風評を煽る言動」という原発推進勢力の批判に抗することはできない。

かつて水俣病が体内に蓄積されたメチル水銀有機水銀)によるものであることを立証し、チッソを告発するまでに極めて長い年月を要したことを考えれば、内部被曝の問題が全社会的に理解されるまでには長い困難な闘いが必要である。

トリチウムの性格と危険性について

トリチウムの特質】
   ・水素の同位体、β崩壊しヘリウムになる
  ・化学的には水と同じ挙動をする
  ・同位体分離技術を使えば、水との分離は不可能ではないが、膨大なエネルギーを要し非
   現実的である
  ・トリチウムの出す放射線β線のみ、そのエネルギーは6キロ電子ボルト(eV)でセシウ
   ム137が出すα線(661 KeV)の約100分の1程度である
  ・半減期は 12.33年、生物学的半減期(生物の体内に取り込まれた放射性物質代謝など
   で排出され半減する期間)は7~14日とされる
  ・壊変定数(λ)=0.056
  (半減期=Tは、壊変定数λとともに放射能の統計的な壊変現象を特徴付けるこれらの間に
   は λ=0.693/T という関係がある)

【自然界のトリチウム
 自然界のトリチウム宇宙線等により地球上で年間約7京(7×1016)Bq生成されるが、その端から放射性崩壊し、放射平衡に達する。この平衡状態の存在量は、生成ベクレル数を崩壊係数で割った値として計算される

 ∴ (5.7~7.2)×1016[Bq/年]/0.056 = (1.0~1.3)×101[Bq]  となる。
  乗数を統一すると、およそ120京(130×1016)Bqが自然界のトリチウムである。

【人工由来のトリチウム
過去の核実験(1945~1963年)により、最大で2.4×1020Bq=24000×1016Bqが放出された。トリチウムが物理的に1/10になる期間は41年とされており、仮に82年を経過し1/100になったとしても、なお240京Bqの核実験由来のトリチウムが存在することになる。100年近く経ってようやく自然界のレベルに到達するという事なのだ。

そして、全世界の原子力発電所からは、毎年2京(2×1016)Bqのトリチウム水が放出されている。これが、今後もずっと続くと仮定して、これを自然界のトリチウムの年間生成量に加えて放射平衡を再計算すると、260 ~270京Bqのトリチウムが地球を覆うことになる。

原発推進派は、盛んにトリチウムは自然界にあるものといって、原発から排出されるトリチウムを軽視しようとしているが、自然由来のトリチウムの30%近いトリチウム原発が排出し続けているという事は大きな環境問題ではないのか。これはすべての原発立地国の問題なのである。

トリチウムの危険性】
トリチウムβ線しか出さず、それもセシウムなどに比べれば極めて弱い。また、水と同じ挙動をするから、体内に取り込まれてもほとんどが代謝によって排出され、長くとも生物学的半減期である7~14日で排出されるので、危険性はないというのが容認派の理由である。

しかし、これは真実を語っていない。

トリチウムの危険性は、上の図における5~6%の有機結合型トリチウムにある。確かに体内に吸収された水分の大部分は代謝によって排泄されるが、その一部は有機化合物として細胞の中に取り込まれる(有機結合する)のである。この問題についてもう少し詳しく見てみよう。

細胞核の中にはDNAという物質で作られた染色体があり、さらにこの中には、タンパク質の設計図ともいえる塩基配列(人の細胞一個のDNAの中には約60億個の塩基が並んでいるという)で構成された遺伝子がある。また、ヒトのタンパク質は5種類の元素(炭素、水素、酸素、窒素、硫黄) から構成される20種類のアミノ酸が結合したものであるが、このアミノ酸の組み合わせ(=形質)はタンパク質合成時に遺伝情報に基づいて行われる。
このように、細胞やDNAは様々な物質の結合によってつくられているが、それぞれの物質(原子)を結合しているエネルギーは10電子V(eV)程度と言われている。
ここに有機化合物として細胞内に取り込まれた有機結合型トリチウムが留まった場合、どのようなことが起きるであろうか。
先に示したように、トリチウムが出す放射線は6キロ電子ボルト(セシウム137に比べれば1/100)に過ぎないが、DNAや染色体を構成する物質の結合エネルギーに比べれば600~1000倍の強さであり、容易に染色体や遺伝子が破壊される(修復されるものもあるが修復されずに残る)可能性も十分考えられる。しかも、トリチウム水の摂取が恒常的に行われていけば、よりその危険性は高まるのである。

低線量でも長期間に亘って晒し続けられた場合、高線量で短時間の場合より危険性が高いという低線量被曝の原則はトリチウムについても全く同じである。

放射線被曝

【告示濃度は内部被曝の科学的根拠ではない】

告示濃度とは、毎日、その濃度の水を約2Lずつ飲み続けた場合、1年間で1ミリシーベルトの被ばくとなる 濃度、これを1として比較したものが告示濃度比である。

放射線による被曝、特に内部被曝は本質的に定量的な安全基準を設けることはできない。なぜならば、放射線障害にはがんの発症のような晩発性の障害や、後の世代に現われる遺伝性障害が確認されているからである。

急性の放射線障害では、ある一定の線量を被曝すると害が現れる。この時の最小線量が「しきい値」であるが、この考え方は晩発性障害や遺伝性障害には適用できない。

しきい値」が存在しない以上、晩発性や遺伝性の障害が発生する確率をどう説明するのか。ここで出てきたのが「比例説である。これは障害発生の確率は、それまでに受けた線量の総和に比例している、という考え方であった。比例説では、いかにわずかな線量であっても有害であり、これ以下なら絶対安全という線量(即ち、「しきい値」)は存在しないという考え方がベースになっており、「しきい値」をとる科学者との間で大きな論争になった。

安全問題において、この「比例説」に立ちながら現実の原子力技術については肯定する立場から「しきい値」という考え方を提示したのは、武谷三男である。

武谷は、晩発性、遺伝性障害が確認され、「しきい値」や許容量は科学的意味を持たなくなった、すなわち放射線被曝においては将来の障害の程度を科学的に推定することができない。そうである以上、安全原則に立てば過大評価は許せるが、過小評価は許されない。したがって、「比例説」の立場に立ち、放射線はできるだけうけないことを原則としつつ、やむを得ない理由があるときだけ照射をうけることを「がまん」する。つまり、放射線をうけることが、それによって生じるリスク以上に有益であり、必要不可欠であるという場合に限っての「がまん量という考え方を提唱した。

これは科学的な安全を保障する自然科学的概念ではなく、有益性と有害さを比較して決まる社会科学的概念なのである。

武谷の考え方は、アメリカの遺伝学者の中でも、集団に対して放射線被曝のリスク(危険性)とそのもたらすベネフィット(有益性)をバランスさせて許容量を決めようという考えが次第にできて、ICRPの勧告もその考えに沿ったものとなって今日に至っている。

この考えに従えば、放射線従事者ではない一般市民は、放射線治療などの場合を除けば、放射線を受けることはリスクでしかなく、有益性は何もない。つまり、被ばく量を限りなくゼロに近づけることが必要なのだ。
こう言うと、自然放射線を持ち出す人がいるが、自然放射線は人間の進化史の中で、これに耐えられない者は淘汰され、耐性のできたDNAが生き続けてきたわけであり、ここで問題にしているのは、あくまでも人工の放射性物質についてである。

放射線被曝(まとめ)】

(1)急性放射線傷害は短い間にある一定の量の放射線を浴びると皮膚など体の組織が破壊され傷害が現れる。この時の放射線量がしきい値あるいは被曝許容量とされる。内部被曝ではガンや白血病の発生のような晩発性障害と後世代に現れる遺伝障害がある。

(2)晩発性障害や遺伝障害にはしきい値はない。これらは細胞の中のDNA分子に放射線があたり分子中の電子をはね飛ばしたり周辺物質をイオン化する等によりDNAを破壊する。変異した遺伝情報をもつ細胞が分裂することで体組織に障害をもたらす。

(3)破壊され変異したDNAをもつ細胞分裂が骨髄で起きれば白血病などに、生殖細胞で起きれば後世代の遺伝障害となる。細胞中の分子が破壊されるのは放射線量の大きさではない。一発の放射線でも命中する事はあるからだ。少ない放射線でも長い期間曝されれば確立は高くなる。

(4)微量の放射線でも長い期間にわたり曝された場合、高線量の放射線を短時間に照射された時よりも低い放射線量で細胞膜が破壊される危険が高い。これを発見したのがカナダの医学者A・ペトカウ博士。「ペトカウ効果」と呼び、その後も世界の研究者により検証されている。

(5)結論として内部被曝を考えた場合、許容放射線量なるものはない。また「食べた場合でも大半は排泄される」論も嘘。20mSvは論外で1mSvだって確率的には障害が起こりうる。それを承知の上で現実に放射線を取り扱う作業者・技術者のための我慢量の基準でしかないのだ。原発放射線治療に無関係な一般人に適用するような基準ではないのである。    (了)



レーニン「共産主義における『左翼』小児病」学習ノート⑦最終

第9章 イギリスの共産主義「左派」

前章までのレーニンは、ドイツの左翼主義に焦点を当ててきた。しかしこの章では、特別にイギリスの「左派」に絞った検討が行われており、そこには大きな意味があった。
当時のイギリスには、まだ共産党は作られておらず、「イギリス社会党」「社会主義労働党」「南ウェールズ社会主義協会」「労働者社会主義連盟」という四つの団体が単一の共産党創設をめざして協議を続けていた。

レーニンが、イギリスにおける共産党の創設に大きな期待を寄せていたことは想像に難くない。最も資本主義の発達したイギリスにおいて、革命のための客観的条件が成熟しつつあることは明らかであった。イギリスのプロレタリアートと抑圧され収奪されてきたすべての大衆を革命へと導くことができるか否か、それはイギリスにおける力強い弾力性のある共産党の登場にかかっていた。それはまた全ヨーロッパの、さらに世界革命にとって決定的なカギを握るものと思われた。
 本書で、ドイツの「左翼主義」を反面教師として引用し、子どもに言い聞かせるようにていねいな批判を展開し、それを冊子にしてコミンテルン第二回大会に参加する全ての代議員に配布して訴えたのも、イギリスの「左派」を獲得するということが極めて重要な戦略目標としてあったのではないかと考えれば、本書の意義はより鮮明になる。

 この章でレーニンは、共産党創設のための協議会に参加していた「労働者社会主義連盟」の機関誌「ワーカーズ・レッドノート」の編集者であるシルヴィヤ・パンクハーストの論文、またこれと同じ号に掲載され、パンクハーストの論文にも引用されている「スコットランド労働者評議会」名のギャラチャーの論文を紹介し、これを詳細に検討している。
ただ、ここではこのレーニンの論考を後づけることは省略し、『共産主義における「左翼」小児病』が書かれた背景、レーニンがイギリスの革命運動をどのように見ていたのかということについて考えてみたい。
 一九二〇年四月に書かれた本書の原稿には「マルクス主義的戦略と戦術についての平易な講話の試み」という副題がつけられていた。「左翼主義」批判というかたちをとりながら、実はマルクス主義的戦略・戦術論の積極的提示の試みであり、それはロシアよりも資本主義の発達した西ヨーロッパ、とくにイギリスを念頭においた先進帝国主義国の革命戦略であり、共産党組織論でもあったと考えることはできないだろうか。

 本書が書かれたほとんど同時期に、「妥協について」(一九二〇年三~四月執筆)という未完の論文が書かれている。これは、イギリスの社会民主主義連盟の創立時からのメンバーであり、一九一〇年以来、下院議員として労働者議員団の左派を指導していたG・ランズベリーが、「ボルシェビキは、たとえばエストニアとの講和条約で森林利権を与えることに同意した点で、資本家と妥協している。そうだとすれば、イギリスの労働運動の穏健な指導者が資本家と妥協していることも、それにおとらず正当である」という、イギリス労働運動の日和見主義的指導者たちの見解をレーニンに紹介し、この見解が大きな影響力をもっているので緊急に検討を要する、とレーニンの考えを求めた。

レーニンは、このランズベリーの提起した問題にたいする考え方を「妥協について」で論じはじめ、マルクス・エンゲルスを引きながら「・・ときにはもっとも革命的な階級の、もっとも革命的な党にさえ情勢が不可避的に押しつけるすべての妥協を通じて、労働者階級とその組織された前衛、共産党の革命的な戦術と組織、革命的意識、決意と訓練を保持し、強化し、きたえ、発展させる能力をもつこと、これが肝心の点である。マルクスの学説の諸原則に精通している人間にとっては、このような見解はこの学説全体から不可避的に出てくるものである。だが、イギリスでは、幾多の歴史的原因によって、マルクス主義はチャーティズム(それは、多くの点でマルクス主義を準備したものであり、マルクス主義への『最後から一つまえの言葉』である)の時代いらい労働組合や協同組合の日和見主義的、半ばブルジョア的な指導者によって後景へおしやられてきたので、私はだれでも知っている日常生活、政治生活および経済生活の諸現象の分野からとった典型的な実例によって、右に述べた見解の正しさを説明してみよう」(全集31巻『妥協について』)と述べ、例によって〈強盗から身を守るための妥協は許される妥協か、許されない妥協か〉というたとえ話を出して論じはじめたところで、この論文は終わっている。

第三インタナショナル第二回大会のための準備を進めていたレーニンは、ランズベリーの提起した問題をさらに一般化し、イギリスだけではなく他国の事例(とくにドイツ)をもとりあげ、構想を新たに『共産主義における『左翼』小児病』として書きあげたのであった。

そうした意味で、本書はその成立から見ても、西ヨーロッパ、なかでもイギリスの革命運動における戦略・戦術論という性格をもっている。また、それは同時に、労働運動内部の二つの主要な敵として規定してきた日和見主義と「左翼主義」とに対する批判のなかでも、本書ではとくに「左翼主義」の批判にその力点が置かれたといえよう。

これに関しては、レーニンは次のように述べている。
現在では、「プロレタリア前衛は思想的にはわれわれのほうにかちとられた」だが、前衛だけでは革命に勝利をおさめることはできない。広範な大衆の支持が必要である。したがって、前衛の当面の任務は、前衛にたいする支持あるいは好意的中立という新しい立場に広範な大衆が移行するのを指導するための戦術を知ることである。
第一の歴史的任務(プロレタリアートの自覚した前衛を、ソヴェト権力と労働者階級の独裁の味方に引きいれること)は、日和見主義と社会排外主義に思想上および政治上で完全に勝たなければ、果たしえなかったが、いま当面のものとなっている第二の任務、革命で前衛の勝利を保障することのできる新しい立場に大衆を導いていくすべを知るという任務は、左翼的な空理空論が一掃され、その誤りが完全に克服されなければ、これを果たすことはできない」(第10章 二、三の結論)

そして、この「新しい立場に大衆を導いていくすべ」とは、大衆の実践的行動が問題となる段階において、① 敵階級が混乱し、十分に弱体化し、② 中間分子(小ブルジョアジー、政治的には小ブルジョア的民主主義派)の正体が十分に暴露され、③ 革命にたいする労働者大衆の支持がたかまりはじめていること、という三つの状況をつくりだすことであり、これらの条件があることが「革命の機が熟した」(決戦期、すなわち革命情勢)と判断する指標であった(同)

では、どのようにしてこのような状況をつくりだし、かつそれを利用するかということが、共産主義者の戦術の問題となる。そのさいレーニンはとくに合法闘争の重要性を強調する。
レーニンは、日和見主義批判においては、合法闘争を非合法闘争と結合する必要性を強調したが、「左翼主義」批判においては、逆に、非合法闘争を合法闘争と結合する必要性を強調し、「非合法の闘争形態をあらゆる合法的な闘争形態と結合することのできない革命家は、きわめてくだらない革命家である」「革命的でないときに革命家となること、革命的でなく、むしろ・・反動的な機関のなかで、革命的でない情勢のもとで、また革命的な活動方法の必要をすぐには理解することのできない大衆のあいだで、革命の利益をまもりうること(宣伝、煽動、組織によって)、このほうがはるかに困難であり、はるかに尊い」――まさに、ここに西ヨーロッパとアメリカの今日の共産主義の主要な任務がある。

レーニンは非合法闘争を合法闘争と結合する重要な組織として労働組合と議会に焦点を当てるのである。そして、前述した「第二の任務」を進める観点から、西ヨーロッパの共産主義者の現実の活動は極めて不十分であり、それは、あらゆる妥協を否定する「左翼主義」がその活動を非常に阻害しているのだ、と指弾する。
では、ランズベリーの提起した問題にレーニンはどのように答えたのだろうか。
イギリス労働運動の日和見主義的指導者たちは、妥協が必要なものだというのなら、資本家階級との妥協も正当化しうるのではないか、と主張する。だが、レーニンにとってはこの問題は明確である。 すなわち、妥協一般の否定が「児戯に類したこと」であるとすれば、妥協一般の肯定は「経験をつんだ『実利一方』の社会主義者や議会策謀家」が用いる詭弁である。共産主義者にとって必要なのは、「そこに日和見主義と裏切行為が現れているような、許すことのできない妥協の具体的な場合をえりわけ、これらの具体的な妥協にたいして、あらゆる批判の力を……むける」ことだ、というのである。

 レーニンは、左右両翼の妥協論にたいする以上のような批判を基礎に、とくに西ヨーロッパの共産主義者にとって重要なことは、「プロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力の一般水準を引下げず、たかめるために、この戦術を適用するすべを知ること」である、と結論する。
 本書では、こうした展開のうえに、特別にイギリスの「左翼主義」批判の章を加えている。

当時、レーニンは、イギリスの政治情勢について、「イギリスでは、プロレタリア革命成功のためのこの二つの条件(① 大多数の労働者が変革を要求し、② 支配階級の統治が危機状態にある)があきらかに成熟しつつある」〔「第三インタナショナル創立一周年記念祝賀会での演説」(全集第三〇巻所収)〕と分析していた。そして、「左翼共産主義者は、これらの条件のいずれに対しても、思慮のたりない、注意のたりない、自覚のたりない、慎重さのたりない態度が見受けられる」と批判している。
 前述の「革命の機が熟す」ための三つの指標から考えれば、「②中間分子の正体が十分に暴露され、大衆が経験を通じて、それを納得する」という状態ができておらず、その努力も戦術も練られていないということを指していると考えられる。
そこでレーニンは、イギリスの共産主義者の任務を次のように提起するのである。
労働党(ヘンダソン)による自由党・保守党政権(チャーチルロイド・ジョージ)の打倒を援助すること。()労働者階級の大多数が、労働党政権が役にたたず、彼らの小ブルジョア的・裏切的な本性、彼らの破産が避けられないことを、その経験によって確信するのをたすけること。()大多数の労働者のこの失望を基礎に労働党政権打倒の時機を近づけることが必要である。

そして、より具体的には次のような内容の戦術を提起している。
イギリスの共産主義者は、第三インタナーショナルの原則と議会への義務的な参加を基礎として、①イギリス社会党社会主義労働党、南ウェールズ社会主義協会、労働者社会主義連盟などの諸派を統合して一つの共産党に統一すべきである。②このようにしてできあがった共産党は、労働党にたいして、自由党・保守党政権に反対する共闘の選挙協定を申し入れるべきである。ただしブロックに応じる条件は、(労働党にたいする批判をも含む)扇動、宣伝、政治活動の自由を留保すること。この条件を欠いた協定には応じられない(裏切りを意味するから)。     
もし、労働党独立労働党が、この条件で協定を受け容れるならば、それによって共産党は、労働党政権の樹立を助けるばかりでなく、大衆が共産主義的宣伝をいっそうはやく理解するのを助けることもできる。また、この条件が拒絶されるならば、労働党日和見主義的幹部が全労働者の統合よりも資本家との親近関係を望んでいることを大衆に示すことになるので、いずれにしても共産党にとって有利になる。

こうして協定が結ばれれば、選挙にさいしては、労働党員に不利にならないような選挙区にだけ共産党の候補者を立て、共産主義を宣伝し、その他の全選挙区では、自由党と保守党とに反対して労働党に投票するよう選挙運動を進めなくてはならない。

このように「戦術のうえでは最大限に弾力性を発揮しなければならない」というレーニンの主張は、この選挙戦術に遺憾なく発揮されているのである。

だが、これに対し、イギリスの「左翼主義者」は、共産党労働党支持はおろか、共産党の議会活動すら、革命の裏切りであると主張する。このような「左翼主義」的見解を批判して、レーニンは、上記のような観点から、「イギリスの共産主義者は、議会活動に参加しなければならず、議会の内部から労働者階級を助けて、へンダソンやスノーデンの政府の成果を実地に見せなければならず、ヘンダソンやスノーデンを助けて、ロイド・ジョージチャーチルの連合に勝たせなければならない。それ以外の行動をとることは、革命の大業を困難にすることを意味している。なぜなら、労働者階級の大多数の見解に変化がなければ革命は不可能であり、このような変化は、大衆の政治的経験によって作りだされるのであって、決して宣伝だけで作りだされるものではないからである」と結論したのである。

議会参加の問題と並んで、イギリス共産党結成のための協議で障害となっていたもうひとつの問題、つまり「労働党」に加盟するかどうかという問題について、レーニンは「イギリス『労働党』が格別に独自なものをもっているだけに……特に複雑である」として結論を持ち越しているが、その上で次のように述べてこの章を結んでいる。
「第一に、この問題について『共産党は、その主義を純粋にまもり、その改良主義からの独立をけがされないようにまもらなければならぬ。党の任務は――立ちどまらず、道からそれずに進むことであり、共産主義革命に向かって真っすぐな道を進むことである』といったたぐいの原則から〔だけで〕革命的プロレタリアートの戦術を引きだそうと思っているものは、かならず誤りをおかすだろうということだけは、疑う余地がない」それは「いかなる妥協もいかなる中間駅も『否定』すると宣言したフランスのブランキ派コンミューン戦士の誤りを繰りかえす」ことにほかならない。
「第二に、疑いもなく、いつもそうであるが、この場合にも、任務は、共産主義の一般的な原則を、諸階級と諸政党間の関係がもつ独自なもの、共産主義への客観的発展がもつ独自なものに適用するすべを知ることにある。この独自なものは個々の国によってそれぞれに固有のものであって、それを研究し、見つけ出し、推定できなければならない。
だが、これについては、ただイギリスの共産主義とだけ結びつけて述べるべきではなく、すべての資本主義国における共産主義の発展にかんする一般的な結論と結びつけて述べるべきである」(P104)

共産主義の一般的な原則を、階級関係と客観的な情勢の分析に適用する」、その術を知ること。実はとてつもなく難しいことを言っているのである。そのためにはマルクス主義を一面的ではなく、全面的に自らのものとしなければならないということだ。しかし、少なくとも党の指導者やカードルにはそういうことが要求されるということなのではないか。

追 加

この『共産主義における「左翼」小児病』の本文については、十章構成であるが、それを書き上げたあとに「追加」の一章がつけ加えられた。
四つの節で構成され、執筆後にあたらしくおきたドイツのこと――「左翼主義」共産主義者である共産主義労働者党のこと、また共産党は独立社会民主党と妥協すべきかどうかということ――と(第1~2節)、さらにイタリアの例(第3節)などをあげて、ここまで指摘してきた主張をくり返し示し述べている。ここでは、その中から示唆にとんだレーニンの叙述の要旨だけを上げておくことにする。
ドイツでは「左翼」共産主義者の方が一般的な共産主義者に比べて、大衆のなかで煽動することが得意だという。それはボルシェヴィキの歴史のなかでも同様であったとレーニンは言う。
「たとえば、一九〇七~一九〇八年に『左翼』ボルシェヴィキは時と場合によってはわれわれよりもじょうずに大衆を煽動した。これは一部分ではつぎのような事情、つまり革命のときや革命のなまなましい思い出が残っているときには、彼らのように否定『一本槍の』戦術が大衆にうけやすいという事情による」
続けて「しかし、だからといってこのことは、右の戦術が正しいという根拠にはならない。いずれにしても、共産党が実際に、革命的な階級、プロレタリアートの前衛となり先頭部隊になろうとのぞむなら、またプロレタリア的な大衆だけではなく、非プロレタリア的な、勤労被搾取者大衆をひろく指導する方法をまなびたいなら、都市の工場『街』にとっても、農村にとっても、もっとも近づきやすい、もっともわかりやすい、またきわめてはっきりした、いきいきとしたやりかたで、宣伝、組織、煽動ができなければならない」と述べている。

ここで、レーニンが言わんとしているのは、一時(高揚している時)の大衆の雰囲気をとらえて宣伝や扇動をする場合には、その時は人の心にとどきやすいかもしれない。しかしそれでは真に「大衆」の心をとらえ組織することにはならない。沈滞の時、大衆が眠り込んでいる時にこそ、またそのような大衆に向かって宣伝、扇動、組織ができる党にならなければならないと指摘しているのである。

第四節は「ただしい前提からひきだされたまちがった結論」となっている。
この節ではイタリアの例として「同志ボルディガとその『左翼』の同僚たちは、トウラティ一派の諸君にたいするただしい批判から、議会への参加は一般に害があるというまちがった結論をひきだしている。……彼らは、ブルジョア議会にたいする真に革命的な共産主義的な利用、あきらかにプロレタリア革命の準備に役立つような議会利用の国際的な手本をまったく知らない」と述べたあと、さらに具体例をあげて問題提起がおこなわれている。
「たとえば、ジャーナリストの活動をとってみよう。新聞、パンフレット、ビラは、宣伝、煽動、組織というブルジョアジーの要請を満たすために〕必要な活動をやっている。多少とも文明的な国なら、ジャーナリズムの機関なしに一つとして大衆運動をやることはできない。ところで、いくら『指導者』について泣き言を述べようと、指導者の影響から大衆の純潔をまもると誓ってみても、ブルジョア・インテリゲンツィヤ出身のものをつかってこの仕事をやらないわけにはゆかない」
〔ロシアでは〕ブルジョアジーが倒され、プロレタリアートが政治権力をとってから二年半もたっているのに、われわれは大衆的な(農民的な、手工業的な)、ブルジョア民主主義的・所有者的諸関係のこのような雰囲気と環境につつまれている」〔まして〕「資本主義のもとで、この仕事がブルジョア民主主義的な、『所有者的な』雰囲気と環境のなかでおこなわれるのをふせぐわけにはゆかない」

「愛すべきボイコット主義者よ、反議会主義者の諸君よ、君たちは、自分が『すばらしく革命的だ』と思っているのかもしれない。ところが実際には、君たちは労働運動内のブルジョア的な影響にたいする闘争がちょっとした困難に出会ったからといって、恐れをなしたのだ。ところが君たちが勝利をおさめると、つまりブルジョアジーを倒し、プロレタリアートが政治権力をにぎるようになると、この同じ困難ももっと大きな、はかり知れないほど大きな規模のものになるのである。君たちは今日、目の前にあるちょっとした困難に子どもみたいにびっくりしているが、明日、明後日になると、はるかに大規模になる同じ困難にうちかつ方法をいやおうなしに学び、習得しなければならなくなることが、わからないのである。
ソヴェト権力ができると、君たちのプロレタリア党にもわれわれのプロレタリア党にも、ますます多くのブルジョア・インテリゲンツィア出身者はいりこむだろう。彼らは、ソヴェトにも、裁判所にも、行政機関にもはいりこむだろう。なぜなら、資本主義がつくりだした人材以外のもので共産主義をつくりあげることはできないからであり、ブルジョア・インテリゲンツィアを追いだし、彼らを根こそぎにすることはできないからであって、彼らに打ち勝ち、彼らをつくりかえ、彼らを同化し、彼らを教育しなおさなければならないのである。これはちょうど、プロレタリア自身を長い闘争のなかで、プロレタリアートの独裁を基盤として、教育しなおさなければならないのと同じである」(P138)

「この同じ任務がソヴェト権力のもとで、ソヴェトの内部に、ソヴェト行政機関内部に、ソヴェトの「弁護士団」〔一九一八年にソヴェトに設けられた弁護団〕のなかに復活してくるのである・・・。ソヴェトの技術者、ソヴェトの教師、ソヴェトの工場で働く特権的な、すなわちもっとも熟練した、最も地位の高い労働者のあいだでは、ブルジョア的議会主義に固有のありとあらゆる否定的な特徴がたえず復活してくるのが見られるのであって、プロレタリア的な組織性と規律をもった、長い、ねばり強い闘争を、うまずたゆまず繰り返していってはじめて、この害毒に――だんだんと――うちかつことができるのである」(P139)

しかし、このようなブルジョア的習慣、小ブルジョア的偏見、習性の力を変えていくことが「困難」だからといって、それをやらなければ、プロレタリアートが権力を握った後になって、その「絶えず復活してくるブルジョア的慣習の力」にうち勝たねばならないという任務がプロレタリア権力に重くのしかかるだけなのだ。
それは、ロシアでも困難であった。「西ヨーロッパやアメリカでは、ブルジョアジーがはるかに強く、ブルジョア民主主義的な伝統などがずっと強いのだから、これらの国では、くらべものにならぬくらい困難だろう」
しかし「これらの『困難』は、プロレタリア革命にさいしても、またプロレタリアートが権力を握ったのちにも、プロレタリアートが勝利をおさめるために、どの道ぜひとも解決しなければならない、まったく同じ種類の任務」なのであり、革命以前に直面する「困難」は、「プロレタリアートの独裁権力のもとで、何百万という農民や小経営者、何十万という事務職員や役人やブルジョアインテリゲンチャを教育しなおし、彼らをすべてプロレタリア国家とプロレタリアの指導にしたがわせ、彼らのブルジョア的な慣習と伝統にうちかたねばならぬという巨大な任務にくらべると」、じつに子どもだましの困難なのだ、というわけである。

「若い時の苦労は買ってでもやれ。そうしないと後でもっと苦労することになるのを君たちは解っていないのだ」とレーニンは説いているわけだ。

「もし現在『左翼』や反議会主義者の同志たちが、こんなとるに足らない困難をさえ克服することをまなばないなら、まちがいなく言えることは、彼らがプロレタリアートの独裁を実現できず、ブルジョア・インテリゲンッィアとブルジョア機関を広い範囲で自分たちに従属させ、改造することもできず、あるいはそれらを大急ぎでまなびつくさなければならないことになり、あまり急いだため、プロレタリアートの事業に大損害をあたえ、普通以上にまちがいをしでかし、平均以上に弱点と無能力を暴露するに違いない、等々といったことである」(P140) 

ブルジョアジーが倒されるまでは、さらに小経営と小商品生産がまったく消えさるまでは、ブルジョア的な環境、所有者的な習慣、小市民的な伝統が、労働運動の内外から、それも、ある一つの活動分野、議会活動の分野だけではなくて、かならず社会活動のありとあらゆる分野、あらゆる文化、政治の舞台で、例外なしにプロレタリアの活動を台なしにするであろう。だから、ある一つの活動分野の「不愉快な」任務、または困難の一つを避け、しめだそうと試みることは最大の誤りであって、あとでかならずその償いをしなければならない。仕事と活動のあらゆる分野に例外なく習熟し、どんな場合にも、あらゆる困難、あらゆるブルジョア的な慣習、伝統、習性にうち勝つすべをまなばなければならぬ」(P141)

【学習のまとめ】
⑴ レーニンの立場はつねに一貫していた。
 第一に、前衛党はとことんマルクス主義的でなければならない。そのため
 の理論闘争、日和見主義者や排外主義者との党内闘争や党派闘争をあいま
 いにしてはならない。という立場である。
 そして、第二にはプロレタリア大衆、また非プロレタリア的な大衆、さら
 にはブルジョアインテリゲンチャ、小ブルジョア的な中間層等々を味方
 につけ、少なくとも革命の足かせにならないように獲得するために全力を
 あげること。そのためには、必要なら回り道をし、妥協が必要なことも学
 ばなければならないということだ。
⑵ プロレタリア独裁は、「できあいの国家機構をそのまま使うことはでき
 ない」が、その権力を現実に担うのは、ブルジョア的な慣習や伝統、習性
 に慣らされてきた人民の力による以外にない。よもや、数千か数万か、よ
 しんば数十万の革命党員がいたと仮定しても、それですべての国家機構が
 担えるなどという空想をしているものはいないだろう。
 本書の中で、レーニンがくどいと思われるほど、勤労大衆、まさにあらゆ
 る分野の大衆の獲得について必死に呼びかけた意味をわれわれは、もう一
 度はっきりととらえ返す必要がある。すべてのプロレタリア大衆、および
 非プロレタリア的大衆をも味方に引き入れることを真剣に考えず、その活
 動に精力を注げない党は、前衛党とは言えないし、革命を真剣に考えてい
 るともいいがたい。
⑶ かつて、創成期にあった革共同の本多延嘉氏は、党建設の課題を「党の
 ための闘い」と「党としての闘い」の弁証法的統一として規定した。当時
 はこれは、党の途上性を克服するための一個二重の闘いとして理解してい
 た。しかし、本書を読んで改めて感じたことは、プロレタリア革命を目指
 す共産主義の党にとって「党のための闘い」(第10章で述べられた第一の
 歴史的な任務)と「党としての闘い」(同、第二の任務)は、党の途上性
 という問題とは別に、前衛党としての本質的な性格によるものではないか
 ということだった。一方では厳格なイデオロギー純化と不抜の戦闘性を
 もった組織、他方では運動的により広い層、大衆と結びつくために柔軟か
 つ弾力的で、最大の精力を注ぐことのできる先進的な階級の党。一見矛盾
 した関係の弁証法的統一という中に、プロレタリア独裁をつうじて全階級
 の消滅――全人間の人間的解放を実現していくという、革命的前衛党とし
 ての特殊歴史的な役割を貫くカギがあるのではないだろうか。
⑷ われわれは、革命ロシアの孤立、スターリン主義の発生とその崩壊を検
 証するさいに、レーニンが本書で指摘し、警鐘をならしてきた問題に、国
 際共産主義運動がどのように応えたのかという視点を加える必要があると
 思う。(了) 

レーニン「共産主義における『左翼』小児病」学習ノート⑥

第7章 ブルジョア議会に参加すべきか?

第7章も、ドイツ共産党「左派」の言葉で始まっている。
「歴史的にも政治的にも寿命のつきた議会主義という闘争形態に逆もどりすることは、すべて断個としてしりぞけなければならない」
――レーニン曰く「これは、こっけいなほど思い上がった言い分で、まったく間違っている。議会主義に『逆もどりする』! もしかしたらドイツにはもうソヴェト共和国があるとでもいうのだろうか?」(P58)

資本主義を打倒し、プロレタリア独裁を実現するというプロレタリアートの闘いがはじまったという世界史的意味において、また、宣伝の意味でなら、ブルジョア議会制度は「歴史的に寿命がつきた」ということはできる。
「だが、世界史的な尺度は数十年が単位である。一〇~二〇年早いかおそいかは、世界史的な尺度で見るならどうでもいいことだ・・・だからこそ、実際上の政治問題にあたって、世界史的な尺度でものをはかることは、最もおどろくべき理論上の誤りになる」(P58)

続けて、三点にわたってドイツの「左派」を批判している。
〈第一〉「ドイツの『左派』は一九一九年一月にはもう・・議会主義を『政治的に寿命のつきたもの』と考えていた。周知のように、『左派』は間違っていた(注)。この一事だけでも、議会主義が『政治的に寿命がつきた』かのようにいう命題は根本からくつがえされる・・・(当時の彼らの争う余地のない誤りが、いまなぜ誤りでなくなったのかについて)証明らしいものを何一つおこなっていないし、おこなうことができない」(P59)
(注)一九一八年一二月一六~二〇日の全国労兵レーテ大会はいわゆる「ハンブルク項目」を決議し、軍の徹底的解体、「国民軍」の創設などを要求したが、エーベルトはこれを無視しただけでなく、翌一九年一月一九日の国民議会選挙を決定させ、議会の名においてレーテを圧殺した。

そしてレーニンは革命党の態度に対する重要な指摘を行なっている。
自分のおかした誤りに対する党の態度は、その党のまじめさを測り、また党が自分の階級と勤労大衆にたいする義務を実際に果たすかどうかを測る、最も重要で最も確実な基準の一つである。公然と誤りをみとめ、その原因をあばき、その誤りを生みだした情勢を分析し、誤りを あらためる手段を注意深く討議すること――これこそまじめな党のしるし」(P59)であり、それが階級を、さらに大衆をも教育し訓練することなのだと述べている。

これはブルジョア議会に参加すべきかどうかという問題を超えた、階級と勤労人民にたいする革命党の基本的な態度、前衛党としての責任を提起していると捉えるべきである。

〈第二〉たとえば、あるドイツ「左派」グループのパンフレットには「・・いまでも中央党(カトリック『中央』党)の政策にしたがっている数百万の労働者は反革命的である。農村プロレタリアは反革命軍の軍団をつくっている」と書かれているとして、これに対するレーニンの答えを述べている。
「これがあまりにも野放図な誇張した言い分であることは、だれの目にもわかる。だが、ここに述べられている根本的な事実は、あらそう余地のないものであって、それを『左翼』がみとめたことは、とくにはっきりと、彼らのまちがいを証明している。・・・『数百万』または『数軍団』のプロレタリアがまだ議会主義一般に味方しているばかりでなく、あからさまに『反革命的』である場合、『議会主義は政治的に寿命がつきた』などとどうして言えるだろうか?! あきらかに、議会主義はドイツではまだ政治的に寿命がつきていない」(P60)
そしてレーニンは警告する。
「あきらかに、ドイツの『左翼』は自分の願望、自分の観念的=政治的態度を客観的現実ととりちがえたのである。これは、革命家にとってもっとも危険な間違いだ

むかしのことわざに「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」というのがある。客観的現実を正しく把握することを恐れ、その努力を怠たると、自分の意識や願望(または恐怖)だけが膨らみ、あたかも客観的事実であるかのような錯覚に陥るのである。これは、革命家たりとも同じである。党としての情勢認識が客観的現実から乖離し、あたかも革命のための客観的情勢が成熟してきたかのような観念の世界に迷い込まないよう、客観的で全面的な分析を常に怠ってはならないという警告である。

レーニンはさらに続ける。「諸君は、大衆の水準まで、階級の遅れた層の水準まで下がってはならない。この点は間違いない・・・だが、同時に諸君は、まさに全階級(その共産主義的前衛だけではない)の意識と覚悟の現実の状態を冷静に注視する義務がある。『数百万』または『数軍団』はおろか、たとえ少数派とはいえかなりの数の工業労働者がカトリックの坊主にしたがっており、――かなりの数の農村労働者が、地主と富農にしたがっているならば・・・議会主義はまだ政治的に寿命がつきていないし、また議会選挙や議会演壇上の闘争に参加することは、まさに自分の階級の遅れた層を教育するために・・・革命的プロレタリアートの党にとって絶対に必要である」(P61)
さらに「ブルジョア議会やその他の型のどんな反動的な機関にせよ諸君がそれを解散させる力をもたないうちは、諸君はそのなかではたらく義務がある」(大言壮語はよしたまえ! そこには、まだ遅れた労働者たちがいるのだ

〈第三〉「『左翼』共産主義者たちは、われわれボルシェビキのことを口をきわめてほめる」が、しかし、諸君はボルシェビキの戦術をもう少しふかく研究し、それをもう少しよく知りたまえ! と言ってレーニンは次のように述べている。
「ロシアでは一九一七年の九月~十一月に、都市の労働者階級、兵士、農民には、多くの特殊な条件によって、ソヴェト制度を採用し、もっとも民主主義的なブルジョア議会を解散する準備が、まれに見るほどよくととのっていたこと――これはまったく争う余地のない、完全に確定された歴史的事実である。それにもかかわらず、ボルシェビキ憲法制定議会をボイコットせず、プロレタリアートが政治権力を獲得するまえにも、獲得したのちにも、選挙に参加したのであった。これらの選挙はとくに貴重な(そしてプロレタリアートにとってきわめて有益な)政治的成果をあたえたのである」(P62)

さらにレーニンは総括的にこうのべている。
「以上から、まったく議論の余地のないつぎのような結論が出てくる。つまり、ソヴェト共和国の勝利の数週間前に、また勝利ののちでさえも、ブルジョア民主主義的な議会に参加することは革命的プロレタリアートにとって害にならないばかりか、なぜこのような議会は解散されなければならないかを、彼らがおくれた大衆に証明することを容易にし、その解散の成功を容易にし、ブルジョア議会主義が『政治的に寿命がつきる』のを容易にしていることが証明されているのである」

ブルジョア議会制度は、ブルジョアジーの階級支配の道具であり、自覚したプロレタリアにとってはそれは克服されプロレタリア独裁(執行し同時に立法するコミューン型国家)にかえられるべきものである。しかし、自覚したプロレタリア=共産主義者にとって「時代おくれ」となったものでも、階級にとって時代おくれとなったもの、大衆にとって時代おくれとなったものと考えてはならない。革命政党が議会闘争に参加するのは、「階級間の利害の衝突が議会に反映している」からであり、それを先鋭に示し説明するためである。

この第七章では、さらに「オランダ左翼」のテーゼについての批判がつづくが、そこでのレーニンの主旨は一貫している。
 このテーゼでは「資本主義的生産様式がうちこわされて、社会が革命状態にあるとき、議会活動は、大衆自身の行動にくらべて、だんだんとその意義をなくしてくる」というが、「この一節ははっきりまちがいである。なぜなら、大衆の行動――たとえば大ストライキはいつでも議会活動より重要であって、決して革命のときや革命的情勢のあるときだけ重要なのではない」と指摘したうえで、「もちろん、ブルジョア議会への参加をこばむことはどんな条件があろうと許されない、と昔どおりに、一般的に語るものがあるなら、それは正しくない」として、一定の条件のもとでは議会をボイコットすることにも含みをもたせつつ、「いまは、ここでの主題〔個別の条件に応じた戦術を検討する場〕ではない」として割愛している。

また、この文中ではつぎのような戒めの言葉が述べられている。これも、議会への参加の是非というテーマを超えた、革命党の基本姿勢、あり方の問題としてしっかりと捉えるべき内容である。

「新しい、政治的(政治的だけにかぎらないが)思想の信用をおとさせ、それを傷つける最も確実な方法は、それをまもると言いながら、それを不合理なものにしてしまうことである。なぜならば〔なぜ、そうなるのかというと〕あらゆる真理は、それを『極端なもの』にし、それを誇張し、それを現実に適用しうる範囲外におしひろげるなら、それをばかげたもの〔不合理なもの〕にすることができるし、またそのような事情のもとでは、真理はどうしてもばかげたものに変わらざるをえないのである。オランダとドイツの『左翼』は、ブルジョア民主主義議会よりソヴェト権力がすぐれているという新しい真理にたいして、まさにこのような熊の親切(よけいなおせっかい)をしたのである」(P66)

「西ヨーロッパとアメリカでは議会は労働者階級出の先進的な革命家にとくに憎悪された。・・・無理もない。なぜなら、社会党議員や社会民主党議員の大多数が戦時戦後の議会でとった行状以上に、いやらしく、卑しく、裏切的なものを思いうかべるのはむずかしい」
だから、人々は革命的な雰囲気がおとずれることを「長いあいだ、むなしく、しびれをきらして待っていたのである」(P67)
しかし、「このような〔革命的〕雰囲気に負ける〔呑まれる〕ことは、愚かであるばかりか、まったくの罪悪だ」
「ロシアでは、あまりにも長い、苦しい、血まみれの経験を通じて、革命的な雰囲気だけで革命的戦術をうちたてることはできないという真理をかたく信じるようになった。戦術はその国家(およびそれをとりまく諸国家と、世界的な規模でみたすべての国家)のすべての階級勢力に関する冷静な、厳密に客観的な評価のうえに立って、また革命運動の経験の評価のうえに立ってうちたてられなければならぬ」(P68)

この章では、ブルジョア議会への参加の是非をめぐっておこった各国の「左派」共産主義者の誤りについて述べられている。しかし、根本の問題としては、革命党が戦術を決定するときに陥りやすい、いくつかの普遍的な、そして示唆に富んだ指摘がなされているので、それをしっかりと押さえることが重要である。

第8章 妥協は絶対にいけないか?

この章の冒頭では、レーニンは「われわれは、フランクフルトのパンフレットからの引用〔第五章、第七章でレーニンがドイツの「左派」を批判するために引用している〕で、『左翼』がどんなに断固とした態度でこのスローガン〔妥協は絶対にいけない〕をかかげているかを見た」と前置きしたうえで、「疑いもなくマルクス主義者だと自認し、またマルクス主義者になろうとしている人たちが、マルクス主義の基本的な真理をわすれているのを見るのは悲しいことだ」と述べ、ブランキスト派コンミューン戦士の宣言文に対してエンゲルスがおこなった批判を紹介している。

ブランキ派コンミューン戦士の宣言文では「・・・われわれが――共産主義者であるのは、われわれがただ勝利の日を延ばし、奴隷状態の期間を長びかすだけの中間駅にとどまらず、妥協をすることなく、ひたすら自分の目的を遂げようと望んでいるからである」と書かれているが、これをエンゲルスは次のように批判している。

「ドイツ共産主義者たちが共産主義者であるのは、彼らが、自分たちの手でつくりだしたのではなく、歴史的発展の歩みがつくりだしたすべての中間駅と妥協を経て最後の目的――つまり階級をなくし、もはや土地とすべての生産手段にたいする私的所有の余地がない社会秩序をつくりだすこと――をはっきりとみ定め、たえずそれに向かって進んでいるからである。三三人のブランキストが共産主義者であるのは、彼らが中間駅と妥協を飛びこそうと思いさえすれば、それで万事がうまく運び、そして――このことを彼らは堅く信じているのだが――もし近いうちに事が『始まって』、権力が彼らの手におちるようになれば、その二、三日のちには『共産主義が実施されるだろう』と思い込んでいるからである。だから、いますぐそれ〔思いさえすれば実現できるということ〕が不可能なら、彼らは共産主義者ではないことになる。なんという子どもじみた素朴さだろう――自分の性急さを理論的な論証としてもちだすとは!」

このようにエンゲルスを紹介した後、レーニンは次のように注釈を加えている。
「もちろん非常に若い、経験の浅い革命家には、またブルジョア的な革命家にあっては非常に老齢で経験ゆたかなものでさえも、『妥協をゆるすこと』はとくに『危険な』理解できない、正しくないものに見えるだろう。そして、多くの詭弁家たちは――もし『ボリシェヴィキにそんな妥協がゆるされるなら、なぜわれわれに任意の妥協がゆるされないのか?』〔と考え、こじつけや屁理屈によって、誤っているものをあたかも正しいかのように思わせようとする〕

「だが、たびかさなるストライキで教育されたプロレタリアは、エンゲルスが述べている、非常に深い(哲学的・歴史的・政治的・心理的)真理を、立派に自分のものにしているのが普通である。〔この一事を見てもあきらかなように〕プロレタリアは、だれでもストライキを体験しているし、なにものも獲得せずに、あるいは彼らの要求を部分的に満足させただけで、仕事をはじめなければならないような場合、彼らは憎むべき圧迫者や搾取者との『妥協』を体験するのである。プロレタリアはだれでも、あの大衆的闘争と階級対立の激化する環境のなかに生活しているおかげで、客観的条件(ストライキ参加者に資金が足らず、周囲からの援助もなく、彼らが極度に飢え、疲れはてた場合)におされてやむをえず結んだ妥協――この種の妥協を結んだ労働者が、その後の闘争に対してもつ革命的な献身と覚悟とを少しも弱めないような妥協――と、もう一つの裏切者による妥協との区別を知っている、――彼ら裏切者は自分の利己心(ストライキ破りも『妥協』をむすぶ!)、自分の臆病、資本家に取り入りたいという願望、資本家側の脅迫、ときには口説きおとし、ときには買収、ときには甘言にまいってしまう自分の気持ちを客観的な原因のせいにする」(P74)

ここでエンゲルスが批判し、レーニンがそれを補う形で述べている核心は次の点にある。
すなわち、マルクス主義は生きた階級闘争と結びついて確立した社会主義の学説であるということだ。マルクス主義は、哲学(弁証法唯物論史的唯物論)、経済学(剰余価値学説を基礎とする経済理論)、階級闘争論(革命論)という3つの構成部分を持つ理論、哲学の体系であるが、資本主 義社会の中に置かれている労働者階級の現実を最も正確に表している。したがって、そうした現実から目をそむけ、頭の中で考え出した理論を振り回すのは、いくら革命的に聞こえようとマルクス主義とはいえないということだ。

ナロードニキは、資本主義の批判のためには、それを自分の理想の見地から、「現代の科学と現代の道徳観念」の見地から非難すれば十分だと考えている。だがマルクス主義者は、資本主義社会において形成される諸階級を、あらゆる細密さをもって追求することが必要だと考え、一定の階級の見地からする批判だけを、すなわち「個人」の道徳的判断にではなく、現実に生起しつつある社会的過程の正確な定式化にもとづいている批判だけを、根拠あるものと考える。(レーニン全集第一巻『ナロードニキ主義の経済学的内容』)

妥協にたいするマルクス主義者の態度について、レーニンは以前にも同じエンゲルスを引いて次の ようにも言っている。

歴史のジグザグな道にたいするマルクス主義の態度は、実質上、妥協にたいするマルクス主義の態 度に一致している。歴史のジグザグな転換はみな一つの妥協である。すなわち、新しいものを完全 に否定しようとするにはもはや力が足りないものと、古いものを完全に打ち倒すにはまだ力が足り ない新しいものとの妥協である。マルクス主義は、妥協をしないと誓うものではない。マルクス主 義は、妥協を利用することが必要だと考える。しかしこのことは、マルクス主義が生きた、行動す る歴史的勢力として、全精力を傾けて妥協に反対して闘うことを、少しも拒むものではないのであ る。この矛盾と見えるものを会得できないものは、マルクス主義のイロハを知らないものである。 (レーニン全集第13巻『ボイコットに反対する』) 

さらに、次のように指摘する。
「『・・・ほかの党とのあらゆる妥協・・迂回政策と協調のあらゆる政策は、断固として拒否すべきである』――と、ドイツ左翼はフランクフルトのパンフレットで書いている。
「ボリシェヴイズムの歴史全体を通じて、十月革命の前にも後にも、迂回政策や協調政策や、ブルジョア政党をはじめとする他の政党との妥協の例がいっぱいあることをドイツ左翼が〔今日的に言えば、世界の共産主義者が〕知らないはずはない」(P76)

そして続ける
一国でブルジョアジーが打倒されたのちでも、その国のプロレタリアートは長いあいだブルジョアジーよりも弱いものであるが、これはただブルジョアジーが膨大な国際的つながりをもっているからであり、さらにブルジョアジーを打倒した国の小商品生産者が資本主義とブルジョアジーを自然発生的にたえず再生させ、復活させるからである。力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大の努力をはらってはじめてできることであり、またたとえどんなに小さなものであろうとも、敵のあいだのあらゆる「ひび」を、各国のブルジョアジーのあいだの、また個々の国内のブルジョアジーの、いろいろなグループないし種類のあいだのあらゆる利害対立を、――それからまた、一時的な、動揺的な、脆い、たよりにならぬ、条件的な同盟者でもよいから大衆的同盟者を味方につけるあらゆる可能性を、たとえ、それがどんなに小さなものであっても、必ず、最も綿密に、注意深く、用心深く、上手に利用して、はじめてなしとげることができるのである。このことを理解しないものは、マルクス主義と近代の科学的社会主義一般をすこしも理解しないものである。・・・今まで述べたことはプロレタリアートが政治権力をとるまえの時期にも、とったあとの時期にも同じようにあてはまる」(P78)

ここで述べられていることは、この著作全体に通じるテーマでもある。
すなわち先進的なプロレタリアートのみならず、資本に搾取され抑圧されている圧倒的な勤労者大衆をプロレタリア革命の戦列に引き入れることが革命を成功させる必須の条件であり、そのために革命党はブルジョア社会の中で生起するあらゆる問題を綿密に、注意深く分析し、革命のために利用する術を学ばなければならないということが繰り返し、執拗な程に繰り返し語られている。この著作が書かれた当時のレーニンロシア革命が直面していた困難さ、危機感に思いを馳せないわけにはいかない。それは、ここではドイツの「左翼」主義として語られているが、世界の共産主義運動がボルシェビキを除いては、いまだに実践できていない課題だといえないだろうか。

「もし『純粋な』プロレタリアートが、プロレタリアから半プロレタリア(労働力を売って生計のなかばをえているもの)にいたる、半プロレタリアから小農(および小手工業者、家内工業者、小経営主一般)いたる、小農から中農にいたる、等々のきわめて雑多な、過渡的なタイプの大衆に取りまかれていないとすれば、また、もしプロレタリアートそのものの内部にすすんだ層とおくれた層との分化や、地域による、職業による、ときには宗教その他による区分がないとすれば、資本主義は資本主義でなくなるであろう〔注〕。これらすべての点から言って、プロレタリアートの前衛、その自覚ある部分、共産党にとって、迂回政策をとったり、プロレタリアートのいろいろのグループ、労働者や小経営主のいろいろの党と、協調や妥協をおこなう必要が、しかも無条件的な必要が、絶対的な必然性をもって生まれてくるのである。問題は、プロレタリアート階級意識、革命精神、闘争し勝利をかちとる能力の一般的水準をまったく低めることなく高めるために、この戦術を適用するすべを知るということにある」(P83)

レーニンは、半プロレタリアから小ブルジョア的生産者、小農から中農等々のきわめて雑多な、過渡的なタイプの大衆が『純粋な』プロレタリアートを取りまいているのが資本主義社会であり、それが理解できているならば、プロレタリアの前衛が迂回政策をとったり、プロレタリアートのいろいろのグループや他の階級や階層の党との協調や妥協をおこなう必要は無条件的で、絶対的な必然性をもっているのだと述べているのである。

(注)ここでレーニンが「資本主義は資本主義でなくなる」と言っているのは、何か特別なものに置き換わるという意味ではなく、それが資本主義の前提であり本質だということである。
「資本主義が、現在いたるところで工業よりおそろしく遅れている農業を発展させることができるなら、またもし資本主義が、めざましい技術的進歩にもかかわらず、いたるところで半ば飢えた、乞食のような状態にとり残されている住民大衆の生活水準を引き上げることができるなら、その場合には、もちろん、資本の過剰などは問題になりえないであろう。そのような『論拠』は、小ブルジョア的資本主義批判者たちによってたえずもちだされている。だが、そのときには、資本主義は資本主義でなくなるであろう。なぜなら、発展の不均等性も、大衆のなかば飢餓的な生活水準も、ともにこの生産様式の根本的な不可避的な条件であり、前提だからである」(『帝国主義論』第4章 資本の輸出)

レーニンは、「左翼」主義が妥協の必要性を認めようとしないのは、プロレタリア革命運動の歴史的具体的条件を無視して、自分らの願望をのべるだけの性急な議論、空文句であると批判している。
「妥協を『原則的』に否定し、どんなものであろうと妥協一般をゆるすことをいっさい否定するのは、児戯に類したことであり、まじめに取りあげることもできない」

 レーニンは、どんな妥協が革命政党にとって役に立つか、あらゆる場合に役にたつような処方箋を与えることは出来ないが、現実の複雑な諸条件のなかで労働者の闘いの発展にとって役立つ妥協と裏切り的な妥協とを区別し、選びだすことが革命党の一つの重要な任務であると強調しているのである。また、このような妥協や迂回が必要なのは、「プロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力一般の水準を引下げず、たかめる」ためなのであり、革命的プロレタリアートの影響をつよめ、その闘いを発展させるためだと指摘している。

 

レーニン「共産主義における『左翼』小児病」学習ノート⑤

第6章 革命家は反動的な労働組合のなかで活動すべきであるか?

レーニンはこの「共産主義における『左翼』小児病」を書く以前――一九一九年十月の『イタリア、フランス、ドイツの共産主義者へのあいさつ』(レーニン全集 第30巻)のなかで、ドイツの「独立」社会民主党の中に「反動的な労働組合に参加すべきではない」とか「ブルジョア的議会への参加を拒否すべきである」といった主張があることをとりあげ、彼らを批判するために「反動的な労働組合」という言葉を引用した。少なくともレーニン全集で確認する限り、それ以前には「反動的な労働組合」という表現は使われていない。つまり、「反動的な労働組合」という定義自体がレーニンのものではなく、ドイツ共産党内の「左翼主義」的な表現だということ。このことは、レーニン主義においては大きな意味をもつものではないかと思う。

レーニンとボルシェビズムにとって、労働組合が一定の反動的な性格、同職組合的な狭さ、非政治主義的傾向を持つことは避けられないこととして前提化されており、そのことを理由として労働組合内での活動をするかしないかが問題になることそのものが意外なのだ。自然発生的な労働組合が、そのままでは一定の反動的な性格を帯びるのを避けられないからこそ、そこに階級性をあたえること、前衛党の意識的役割の重要さが求められるのである。その国の労働組合の反動的性格が強いということは、逆に言えば革命党の影響力が弱いということの裏返しの表現でもあるのだ。

 

この章の冒頭では、章題の問いに対し「ドイツの『左派』は、この問いに無条件に否定の答をするのが、自分らとしてはきまったことだと考えている。彼らの意見によれば、『反動的』で『反革命的』な労働組合に反対だと熱弁をふるい、憤激の叫びをあげれば・・・それで十分に黄色の、社会排外主義的な、協調主義的な、レギーン的な、反革命的な労働組合のなかで、革命家、共産主義者が活動するのは無用であり、ゆるされないということを「証明」することになるというのである」(P44)というドイツの「左翼」共産主義者(自称・「原則的反対派」)に対する批判から始められている。

このグループは一九二〇年にドイツ共産党から分裂し、ドイツ共産主義労働者党を結成した。
ところで、レーニンはこの著作の執筆に当たり「左派社会主義および共産主義内の思想的潮流、とくに共産主義アナルコ・サンディカリズム的歪曲あるいは共産主義にたいする攻撃に関係のある文書、決議、小冊子、新聞論説、演説はみな、われわれにとってきわめて重要である。すべてこれらを綿密にあらゆる国の国語であつめたまえ、抜粋をつくりたまえ・・・とくにドイツの「独立派」、彼らの大会にかんするものと、彼らの大会以後のもの、ドイツ共産主義者にかんするものを」(エム・エム・リトヴィノフヘの電報)と指示を与えている。
レーニンが特にドイツの「左翼」共産主義を取り上げたのは、このグループがアナルコ・サンディカリズムの傾向を有するヨーロッパの「左翼主義」を代表していたということもあったに違いない。

レーニンは、無政府主義アナルコ・サンディカリズムについて明確な規定を与えていない。この二つの思想、または運動をほとんど一体で、あるいは同列に引用していることが多い。しかし、無政府主義アナルコ・サンディカリズムプロレタリア独裁にとって極めて有害であること、それはメンシェビズムと同様に、あるいはこれと結びついて革命を破壊するものであるという認識をもっていたのだろう

無政府主義アナルコ・サンディカリズムについての考察

バクーニンの主張】

無政府主義者バクーニンにとって、プロレタリアート独裁とは、プロレタリアートによる独裁でも、プロレタリアートのための独裁でもない。たとえ支配者がプロレタリアートであれ独裁は独裁でしかなく、それは特権的少数者による大衆の支配なのだということになる。『国家性とアナーキー』(1873年執筆)の中で彼は言う。

「あらゆる国家は、マルクス氏によって考案された自称人民国家といえども、本質的に上から下へと知識人による、つまり人民自身よりも人民の真の利益をよりよく知ると自称する特権的少数者による、大衆の支配以外の何ものでもない」

けだし国家権力の本質は人民の隷属圧制にあり、この点で最も民主的な普通選挙に基づく人民共和国も専制君主国と全く異ならないのである。「人民が殴打される棒が人民の棒と呼ばれたところで、それによって人民の境遇がよくなるわけではない」。いやむしろ、それは「似非人民の意志という形で現われるだけ、一層危険」なのだ。

 次いで彼は、「国家すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」 という『共産党宣言』の定式を次のように批判する。「もしもプロレタリアートが支配階級となるならば、後らの政治支配は一体誰に対して向けられるのか?」「その際・・プロレタリアートは,農民を支配するであろう。けだし農民は、マルクス主義者によって好感をもって迎えられないからであり、より一層低い文化水準にあるからだ」。 もう一つの可能性は――と、 ドイツ人を憎悪し、スラヴ族を愛好するバクーニンは断ずる――「同じ理由によってスラヴ族は、勝利を遂げたドイツ・プロレタリアートに奴隷的に屈従することとなろう。ちょうどドイツのプロレタリアートが今日、自己のブルジョアジーに隷属するように」。

しかしながら、労働者階級の大部分は無教育であり、なに人をも支配し得ないのだ。従って結局のところ、プロレタリアートの独裁権力は一握りの「特権的少数者」の手中に入り、この選良たちがプロレタリアートを支配するのだ。バクーニンはこう結論する。

「彼らは人民の統治者ないし代表となるや否や、労働者たることを止め、筋肉労働者の全世界を国家の高みから見下すようになろう。彼らはもはや人民を代表せず、 自己自身と自己の人民支配権とを代表するに至るであろう。このことを疑う人は,人間性を全く解しない輩なのだ。ところでこれらの選良たちは熱烈な信念の持主であり,同時に学識ある社会主義者である」

「羊は連帯性を表明できないために、シェパードについて行くしかない。だから、『目標を達成するために、アナキスト組織は、構造と運営の上で、アナキズム原理と調和し続けなければならないのだ。つまり、組織は、個々人の自由行動を、共同行為の必要性や楽しみとブレンドする方法を知らねばならないのである。それこそが、メンバーの意識性とイニシアティブを発達させる役割を果たし、組織が働きかけている周囲の状況に対する教育手段と、我々が望んでいる将来への道徳的・物質的準備方法を発達させてくれるのである。』(エンリコ=マラテスタ著、『アナキスト革命』)

彼らはあらゆる権力や権威からの完全な自由を求めながら、絶対的多数者である被抑圧人民、プロレタリアートは無知で支配的能力を持たないし持てないと考えていた。そもそも、プロレタリア的政党が生まれるのは19世紀中庸以降であり、党と労働者組織との関係さえ明瞭なものではなかった。そうした歴史性に規定された限界だったのかもしれないが、プロレタリアートの能力(その組織性、また組織的であるがゆえの創造性)への絶対的信頼を基礎とするマルクス・レーニン主義との大きな対立点はここにある
では無政府主義者はどのようにして人民を教育し、訓練し、共同社会の能動的担い手へと成長させることができるというのか。その具体的なプランはきわめて曖昧である。

アナルコ・サンディカリズムの特徴】

アナルコ・サンディカリズムの源流は、フランスの労働運動と無政府主義が結びついて発展したと考えられる。バクーニンらの無政府主義者では、未来社会の建設がどのように行われるのかという点で極めて曖昧であるのに対して、組合(サンジカ)を資本主義社会における闘争の主体と考え、プロレタリア革命後の未来杜会における基礎組織にしようとする理論と運動がアナルコ・サンディカリズムである。サンジカリズムはマルクス主義との関係において、(ベルンシュタインの右翼的修正に対する)左翼的修正とも呼ばれた。サンジカリズムは、
(イ)闘争手段として、経済行動・直接行動、つまり、ボイコット、サボター
  ジュ、ゼネストを行い、終局的に資本主義打倒に向う。
(ロ) 議会制民主主義への不信から、政党・議会・政治運動を排撃する。
(ハ)民主主義政府形態が労働者をだますという讐戒心が強い。
(ニ)反軍国主義・友愛主義が強い

  などの特徴をもっている。

無政府主義もアナルコ・サンディカリストマルクス主義に大きく影響されたことは想像に難くない。目指している社会もほとんど「共産主義」である。最大の対立点は、共産主義社会への過渡期としての「プロレタリア独裁国家」を認めないという点にある。
もし、ブルジョア社会が純粋に資本家と労働者階級という二大階級だけで成り立っていると考えるなら、ブルジョアジーを打倒し、その抵抗力を削いだ後ではプロレタリアしか残らないのだからプロレタリアートによる「独裁」などは、そもそも問題にもならないだろう。これは初期のマルクス主義を極めて単純化すればそういうことになるのかもしれない。そして実際、第一インターナショナルでは無政府主義者マルクス主義者が混然一体となって労働者階級の解放闘争を担っていた。『共産党宣言』でも革命後のプロレタリア独裁権力については言及されてはいるが、それはブルジョアジーの反抗をすっかり抑え込んでしまうための手段として認めていたに過ぎなかった。
それは、マルクスが1875年の『ゴータ綱領批判』によって「プロレタリア独裁による過渡期社会」の必要性を綱領的に規定したことによってはじめて無政府主義者との違いが鮮明になったのである。なぜならば、ブルジョアジーを打倒した後にすべての階級が消滅するわけではなく、依然として階級社会=「プロレタリア国家」なのであり、その権力を行使するプロレタリア的政治が求められるということである。労働者組織が生産と分配を統制管理するだけでは済まないのだ。レーニンが本書の中でも述べているように、小ブル的で小市民的な、また小規模生産の「習慣」の力に対抗し、これを教育し、新しい社会のもとに同化させていくためには、あらゆる領域でのプロレタリア的政治=統治が求められるのであり、これはプロレタリア独裁権力を代表する革命党にしかできない任務なのである。

無政府主義アナルコ・サンディカリズムも、プロレタリア階級闘争とともに成長し、まだ共産主義運動が十分に発達していなかった時期に労働運動の中に持ち込まれた。それはマルクス主義の影響を受けつつも独自の理念をもち、労働者階級に大きな影響を与えてきた。しかし、革命的情勢の高まりと国際共産主義運動の発展、特にロシアにおけるボルシェビズムの登場によって、革命運動における革命党の役割が実践的、理論的にはっきりしてくると次第に労働運動内での影響力を失ったのである。
日本においても1900年初めに『共産党宣言』を邦訳し、マルクス主義の普及に貢献していた『平民新聞』の幸徳秋水堺利彦大杉栄らはアナルコ・サンディカリストに転じ、のちに「アナ・ボル論争」という形で片山潜たちと対立して敗北するという歴史をたどっている。

ここまでの考察で、無政府主義やアナルコ・サンディカリストは、マルクス主義共産主義運動が十分に発展しておらず、前衛党が未形成の時期に労働運動の中に大きな影響を与えたものであろうということがわかった。それならば、今日の社会においても、自然発生的な労働者階級の運動が、意識的な革命政党の働きかけによる影響を受けない場合には、容易に経済主義的組合主義やアナルコ・サンディカリズムに陥る可能性をもつということにはならないだろうか。スターリニズムの崩壊によって、マルクス・レーニン主義の威信が揺らぎ、ロシア革命以降の階級闘争を支えてきたイデオロギー的支柱が失われつつある今日だからこそ、レーニン主義復権が極めて重要な課題なのである。

革命党の意義と役割を少数の階級的労働組合に置き換えようとする日和見主義

反動的な労働組合のなかでの活動を拒否する、という小数派組合主義の主張は、“左翼”的労働組合があればプロレタリア革命政党は不必要であるとする革命政党の意義と役割についての否定的見解と表裏一体のものである。

だがそれは、労働組合組織の性格についての誤った理解にもとづいている。レーニン労働組合のプロレタリア政党に比べての限界を次のようにのべている。

労働組合は、資本主義の発展の初期には、労働者が個々ばらばらで孤立無援な状態から階級的な団結の初歩へうつっていく通路であったから、労働者階級の大きな進歩であった。プロレタリアの階級的団結の最高の形態、つまりプロレタリアートの革命的政党(この党は、指導者と階級および大衆を、一つの全体に、切っても切れないものに結びつけるすべをまなばないかぎり、その名にふさわしくないだろう)が成長しはじめると、労働組合は、不可避的に、いくらかの反動的な特徴、いくらかの同職組合的な狭さ、いくらかの非政治主義の傾き、いくらかの不活発などを、あらわしはじめた」(P49)

労働組合は、その性格からしてできるだけ広汎で、そしてまた職業別に組織される。労働組合は、資本に対抗して団結することの必要を理解した労働者ならだれでも参加させなければならない。なぜなら、労働組合は、その組織が広汎になればなるほど資本に対抗する力が大きくなるからである。
労働組合が労働者の初歩的な団結であるのに対して、革命政党は労働者階級解放のために労働者階級の運動が生みだした、最高の闘争組織、すなわち自覚した前衛分子で構成された規律ある戦闘的な組織なのである。

 レーニンは、こうした労働組合と革命政党の相違を念頭におきながら労働組合の限界を指摘しているのである。経済闘争、日常的要求のための闘争を行うという任務をもつ労働組合は革命政党にかわることは出来ない。しかし同時に、こうした労働組合の闘いと結びつくことなしには全労働者勤労大衆と結びつくことは不可能なのだ

レーニンは「労働組合を通じるほかには、労働者階級の党と労働組合の相互作用を通じるほかには、世界中のどこでも、プロレタリアートの発達は生じなかったし、また生じることもできなかった」 (P49)と述べている。

労働組合に結集した労働者の自然発生的な意識は、社会主義的な意識の「萌芽」ではある。だが、労働組合を経済闘争のための組織として、組合主義的闘争にとどめるならば、それは組合主義的政治をもたらすだけである。共産主義者は、労働者に意識的に働きかけることによって、社会主義的意識の萌芽である団結の意識を社会主義的な意識にまで高め発展させることができる。革命党は労働組合内の先進的な労働者活動家(労働者細胞)を通じて、より多くの労働者大衆の中に社会主義的意識を持ち込むのであり、そうすることではじめて労働組合運動は、組合主義的な枠をこえて、革命的な発展をとげることができるのである。

大衆的基盤がない中で組合権力=執行部を握り、党の方針を組合の方針として貫くことが革命的、階級的な労働運動なのではない。そこから生まれるのが、実質的に党が執行部を握れる「少数組合主義」である。党と労働組合の一体化とは、まさにこのように初めから労働者大衆を組織するという視点を欠き、革命党としての任務を回避した日和見主義なのである。
もちろん、「反動的な労働組合」で大衆との結びつきをつくることは容易なことではないし、まして執行部はおろか、職場委員になることさえ簡単でないのははっきりしている。そして、首尾よく組合の役員になれたとしても、そこでは党の方針をストレートに持ち込んで組合員との間に壁を作るのではなく、創意工夫を凝らして労働者大衆の信頼をかちとり、関係性をつよめ、宣伝扇動を通じて階級的に目覚めさせ、共産主義者として党のもとに結集させることに全精力を注ぐべきなのである。

各国の共産主義者労働組合のなかでいかに闘うべきか

プロレタリア革命に向かう各国の共産主義運動が、労働組合のなかでどのように活動すべきかについて、レーニンはきわめて詳細に述べている。

「・・・ロシアよりもすすんでいる国々では、労働組合のいくらかの反動性が、わが国よりも、はるかに強く現れたし、当然あらわれるはずであった。わが国で、メンシェヴィキ労働組合的に支柱をもっていた(部分的に、ごく少数の組合内では、いまでももっている)のは、まさに組合が同職組合的な狭さ、職業的利己主義および日和見主義をもっていたためであった。西ヨーロッパのメンシェヴィキは、われわれのところよりもはるかにしっかりと労働組合のなかに「根をはっている」。そこでは職能的な、狭い、利己心の強い、かたくなになった、欲のふかい小市民的な、帝国主義的な気分をもち、帝国主義に買収され、帝国主義に堕落させられた「労働貴族」の層がわが国よりもずっと強固に作られている。この点については議論の余地がない。(これと闘争することは、まったく同種の社会的・政治的なタイプであるわがメンシェヴィキと闘争することよりも、ずっとむずかしいが)この闘争は、容赦なくやらなければならない。われわれがやったように、日和見主義と社会排外主義の度しがたい指導者全部の信用を完全に失墜させ、労働組合のなかから追い出すまで、必ず闘争をおしすすめなければならない。この闘争がある程度まですすまないうちは、政治権力をとることはできない。・・・われわれが労働貴族」との闘争をおこなうのは、労働者大衆を代表して、労働者大衆をわれわれの側に引きよせるためである。われわれが日和見主義的な、社会排外主義的な指導者との闘争をおこなうのは、労働者階級を自分の側に引きよせるためである。このもっとも初歩的な、わかりきった真理をわすれるのは、愚かなことであろう」(P51)

このような愚かなことをやっているのがドイツの「共産党」左派なのだというわけである。

共産主義者は、反動的な労働組合に参加しない、というこのおろかな『理論』こそ、これら『左翼』共産主義者たちが『大衆』にたいする影響の問題をいかに軽率にとりあつかっているか、彼らが、『大衆』についての自分たちの叫び声をどんなに悪用しているかを、きわめてはっきりとしめすものである。『大衆』をたすけ、『大衆』の同情、共鳴、支持をかちとることができるようになるためには、困難をおそれてはならないし、『指導者』たち(彼らは、日和見主義者や社会排外主義者であって、たいていの場合、直接間接に、ブルジョアジーや警察と結びついている)の側からの言いがかり、あげ足とり、侮辱、迫害をおそれてはならない。かならず大衆のいるところでこそ活動しなければならない。いやしくもプロレタリア大衆、あるいは半プロレタリア的な大衆がいるなら、その機関、団体、組合のなかで――たとえ、きわめて反動的であろうとも――あらゆる犠牲に耐えぬき、最大の障害にもうちかって、系統的に、頑強に、粘り強く、辛抱強く、宣伝煽動を実行しなければならない。ところで、労働組合と労働者の協同組合――これはまさしく大衆のいる組織である(労働者の協同組合の方は、すくなくとも、場合によってはそうである)」(P53)

バクーニン無政府主義者の「前衛党は必ず大衆を支配しようとするに違いない」という不信感。他方で、あくまでも圧倒的多数の労働者大衆を味方につけ、どんなに苦しくともプロレタリア大衆の決起、その力で革命をやろうとするボルシェビズムの考え方。ここからバクーニンの方が現実的だったなどという反動的な評価が生まれている。レーニン主義者には何とも屈辱的なことだ。

「ところが、革命的だが、ものの道理のわからない左翼共産主義者たちは、そのかたわらに立って、『大衆』、『大衆』!とわめき、労働組合のなかで活動することを拒絶する!! 労働組合の『反動性』を口実にして拒絶する!! そして、真新しい、純粋な、ブルジョア民主主義的偏見に染まっていない、同業組合的な、または狭い職業組合主義的な、まちがいをおかしていない、「労働者同盟」を考えだす」(P54)

(このような)「『左翼』革命家の持ちこんだもの以上にばかげたもの、革命にとって有害なものは、想像もつかない!

ロシアではプロ独を勝ちとってから二年半たっているが、それでさえ労働組合に加入する条件は「独裁をみとめること」などとは言わない。そんなことをすれば大衆に対する影響力をそこない、メンシェビキをたすけるだけだからだ。なぜ、そんなことが分からないのか! レーニンの嘆きが聞こえるようである。

「なぜなら、共産主義者の任務のすべては――おくれた人たちを説得し、彼らのあいだで活動するすべを知ることであって、頭のなかで考えだした、子どもじみた=「左派的な」スローガンで、彼らと自分たちのあいだに垣をつくることではないのだ」

「疑いもなく、日和見主義の「指導者」諸君は、ブルジョア的権謀術数のあらゆる策略に訴え、ブルジョア政府、坊主、警察、裁判所の助けにすがって、共産主義者たちの労働組合加入をさまたげ、なんとかして彼らを組合からしめだし、労働組合のなかでの活動をできるだけやりづらくし、彼らを恥ずかしめ、駆りだし、迫害するだろう。だから、労働組合にはいりこみ、そこにとどまって、そのなかでどんなことであろうと共産主義的な活動をすることができさえするなら、そのためには、これらすべてのものに対抗し、ありとあらゆる犠牲にあまんじ、――必要なら――あらゆる策略に訴え、巧妙にたちまわり、非合法的な手段をとり、口をつぐみ、真実をかくすことをこころえなければならぬ」(P55)

今日、日本の労働運動内にもマルクスの『共産党宣言』の文言、すなわち「共産主義者は、自分たちの見解と意図を隠すことを軽蔑する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する」という言葉を丸暗記するかのように、「非和解だ!」「絶対反対だ!」と言えば革命的であるかのように錯覚するグループが現れた。自称「革命的共産主義者」は、それが大衆との間にどれだけ大きな垣を作っているかについて気に留めようともしない。
そして、彼らが「大衆を獲得した」というときの「大衆」とは、党の方針に従う活動家なのであり、レーニンが革命党の役割として求めた勤労大衆の獲得を指しているわけではない。これこそが、「『大衆』についての自分たちの声の悪用」(P53)ではないだろうか。

 

プロレタリア独裁の時期における労働組合の役割

「労働者組織と社会主義政党の関係は,後者が権力についたとき、労働者組織と国家の関係に転化する。資本主義体制下の労働組合の政治的中立性を否定していたボリシェヴィキは十月蜂起後、社会主義をめざす労働者国家においては、労働者組織は徐々に国家権力の一部を担う機関となって生産の組織化において責任ある役割を演じなければならないと主張した」(論説「初期ソヴェト経済政策における模索と選択」―森岡真史・立命館大学教授)

レーニンは、この章の中で労働組合プロレタリア独裁国家の中で果たす役割を強調し、さらに将来的な共産主義社会建設にとっても、「・・・やがては、これらの産業別組合を通じて、人々のあいだの分業を廃止し、あらゆる面で発達し、あらゆる面で訓練された人々、あらゆることのできる人々の教育、訓練、養成に移ってゆくことができるし、またそうなるだろう」として大きな期待を寄せている。

しかし、それは「長い年月を経たあとのことである。完全に発達し、完全に確立され、形をととのえた、完全に展開し、成熟した共産主義のこの未来の結果を今日実際に先取りしようと試みることは、四歳の子どもに高等数学を教えようとするのと同じである」(P49)とも述べている。

ロシア革命における「労働組合論争」(1920~21年)――「共産主義の学校」とは

労働組合は、どのような活動によってプロレタリア独裁を実現する任務を果たすべきなのか。この問題をめぐって1920年~21年にかけて「労働組合論争」がおこなわれた。

コロンタインやシリャプニコフを中心とする「労働者反対派」は、経済問題についての決定はすべて労働組合がおこなうべきだと主張した。かれらは、労働組合は労働者階級を直接代表するのだから、国民経済の計画と管理の責任をもつべきであって、労働組合を政府から「独立」させ党や政府と拮抗する力を与えるべきだ主張した。

このアナルコ・サンジカリズム的な潮流の対極にトロツキーがいた。トロツキーは、労働組合の軍事化、軍隊組織化を唱え、組合を政府機構の中に完全に組み入れることを主張した。すなわち革命によって国家は労働者国家となり、政府はプロレタリアの権力なのであるから、個々の労働者の要求は全体の要求に背馳することは許されない。労働組合は国家と党に無条件に服従するよう労働者を統制すべきであると主張した。

 プロレタリア独裁における党の役割の否定に道をひらく労働組合の国家からの“独立”=「国家の組合化」を説く「労働者反対派」の主張も、労働組合を労働者の統制機関とみなすトロツキーの主張(後にスターリントロッキーの主張を実践した)もともに誤っていた。

そこで、レーニンプロレタリア独裁のなかで労働組合が果たす役割について次のような規定を与えたのである。

 「一方では、工業労働者をひとりのこらず、包含し、組織の隊列にふくめる労働組合は、統治し、支配し、最高権力をもつ階級、独裁を実現する階級、国家的強制を実現する階級の組織である。しかし、労働組合は国家組織ではない。強制の組織ではない。それは教育組織であり引き入れる組織、訓練する組織である。それは学校であり、管理の学校、経営の学校、共産主義の学校である」(全集三二巻 「労働組合について、現在の情勢について、トロッキーの誤りについて」)。そして、この考えはすでに『共産主義における「左翼」小児病』の中で述べられていたことでもあった。

 「党は、古いやり方でばかりでなく、新しいやり方でも、労働組合を教育し、指導しなければならない。だがそれと同時に、労働組合は、プロレタリアがその独裁を実現するのに欠くことのできない「共産主義の学校」であり、予備校であり、国の経済全体の管理を、しだいに労働者階級(個々の職業でなく)の手にうつし、ついで全勤労者の手にうつすために欠くことのできない労働者の組織であるし、将来も長くそうであろうということを、わすれてはならない。

この意味での労働組合のいくらかの「反動性」は、プロレタリアートの独裁のもとでは避けられない。これを理解しないのは、資本主義から社会主義への移行の基本条件をまったく理解しないことである。この「反動性」をおそれ、それを避けようと試み、それを飛びこえようと試みることは、このうえなく愚かなことである。なぜなら、それは労働者階級と農民のもっともおくれた層と大衆を、訓育、啓蒙、教育し、新しい生活に引きいれるというプロレタリア前衛の役割をおそれることを、意味しているからである。他方では、職業的な狭い見解をもつ労働者も同職組合的および労働組合主義的な偏見をもつ労働者もひとりもいなくなる時期まで、プロレタリアートの独裁の実現を引きのばすことは、いっそう大きな誤りであろう」(P50)

これは、プロレタリア独裁が実現した後の労働組合が果たす役割の重要性を強調したものである。

ここで明らかになったように、レーニンが「共産主義の学校」と規定しているのは、プロレタリア独裁を推し進めるうえでの労働組合の性格と役割を表しているのであって、プロレタリア独裁を実現する以前の、資本主義国における労働組合の闘いすべてを指して「共産主義の学校」だと言っているわけではない。

消費税を不問にした「インボイス制度導入延期要求」はあり得ない

立憲民主党の「要望書」は小規模事業者を救うものにはならない

インボイス制度(適格請求書等保存方式)と言われても、一般にはなじみがない。

これは、消費税の仕入税額控除を受けるための要件の1つとして、適格請求書発行事業者が交付する「適格請求書」を保存していなければならないという条件がある。そして、免税事業者は適格請求書を発行することができないから、仕入税額控除の適用を受けようとする事業者は取引先として免税事業者より課税事業者(適格請求書発行事業者)を選ばざるを得ない。

このことは実質的に仕入税額の控除を受けているような小規模事業者との間での仕出しや仕入といった取引を排除し、否応なしに課税事業者になることを強制するものに他ならない。

したがって本来であれば免税とされるはずの小規模事業者が、否応なしに課税事業者に置き換えられていくドミノゲームであり、それで成り立たない事業者には廃業を迫る攻撃に他ならない。

立憲民主党が申し入れた「インボイス制度の導入延期と改善を求める要望書」では、コロナ禍という事情を考慮して、その延期と経過措置を求めている。

しかし、これはインボイス制度の導入そのものを前提としたもので、小規模事業者にとって根本的な救済策ではないということである。コロナ禍というのは新たに加わったマイナス要因であり、コロナがなくてもこの制度が導入されれば、中小零細事業者やフリーランスが受ける打撃は極めて大きいのだ。

そもそも、インボイス制度導入のもとになっているのは消費税であり、2019年10月1日からの消費税10%への引き上げとそれに伴う軽減税率の導入である。そしてこれ自体も2013年10月1日の安倍晋三による消費税率の8%への引き上げとそれによる経済の悪化が招いた必然的結果であった。

消費税に言及しない「インボイス制度」の延期要求では何も問題は解決しない。

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