正道有理のジャンクBOX

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遺伝子組み換え食品への道を開いた種子法の廃止

 戦後日本の農政と消費者の食を守ってきた食管法と種子法

4月1日をもって主要農作物種子法が廃止された。
これと軌を一にして、モンサントなどの化学資本による遺伝子組換え食品の安全性をPRする活動が活発化している。

まさに、種子法の廃止は戦後農政を画する重大な農業政策の転換であり、依然日本農業の主流をなす零細な兼業農家にとって、その営農基盤を破壊する攻撃である。

同時に、消費者=労働者人民にとってはこれまでの食の安全と安定供給が根底から脅かされかねない、決して看過できない問題を突き付けられたということである。

種子法は、講和条約発効直後の1952年5月に施行され、主要穀物(コメ、小麦、大豆など)の安心・安全な種子の生産とその農家への安定供給に関する責任を国と都道府県に義務づけた法律である。

この法律の下で、国と都道府県は各種の農業機関(農業試験所など)を創設し、国家予算・自治体予算をつけて、各地域に適合する品種の開発(例えばコメでいえばコシヒカリや秋田小町の開発など)、種子の計画的な生産が進められ、それらは農協(現在のJA)を介して農家に安価かつ安定的に供給された。そして農家はその種子を原資にしてコメを中心に食糧増産を行い、北海道、東北地方を穀倉地帯に変え、食管法(注)の施行の下で、戦後一貫して、労働者人民の食生活を支え続けてきたのである。

(注) 政府による生産者米価の高額購入=農民・農業保護政策の一方で、 食管財政をもって低価格販売を保障することによって労働者の低賃金政策を下支えするという国家独占資本主義政策であった。

 ところで、日本の農政は、以下のごとく占領時を除けば米帝国主義との争闘戦を軸にしてめまぐるしく変化してきたのである。
1947~48年 農地改革(地主制度解体・農地分配と自作農創出)
1954年 日米間におけるMSA協定
1955年 農産物貿易促進援助法の調印(米帝の援助を前提としたコメ生産への特化と小麦・大麦生産の切り捨て)
1960年 日米安保条約(米国市場を前提とした食糧輸入国化と工業製品の輸出立国化へ)
1961年 農業基本法(農業生産の機械化、化学化、大規模化への転換政策)
1985年 プラザ合意(農産物・魚介類・木材収奪のためにアジア諸国への資本進出)
1994年 ウルグアイ・ラウンド(コメの部分自由化受け入れ)
1995年 食糧法(コメの商品化と自主流通米制度の導入)
1999年 食糧・農業・農村基本法(第2の農業基本法
2002年 米政策改革大綱
2012年 アベノミクス政策(商業資本の農業生産への参入の解禁と「農地バンク」政策) 

 しかしこの過程にあっても種子法だけは維持され、その下で安価で優良な種子の安定供給を受けながら農家=農民階層によって農業生産は進められたのであった(なお、この過程における農政の変化に関しては別の機会に検討したい)

 種子に関して言えば、例えば主食であるコメの場合、この種子法の下で開発された品種は357種であり、このうち都道府県開発の品種が261種、国が開発した品種が52種(これらは公共品種と呼ばれる)、民間企業開発の品種(民間品種)が44種であり、公共品種が民間品種を圧倒している(2014年度、農水省まとめ)

それをコメ生産量でみると、民間品種による生産量は0.3%、公共品種による生産量は99%以上であるという(2016年度のデータ)。つまり現在の日本におけるコメ生産は種子法に基づく公共品種の種子に決定的に依存していて、それをわれわれは食しているのである。

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   なぜ種子法の廃止なのか。

TPP協定をめぐる日米対立(主として自動車、牛肉・農産物の関税撤廃問題)でアメリカの農・食・産コングロマリットカーギルモンサントなどの多国籍企業)からは、日本の農・畜産物市場開放が強く要求された。安倍政権はこれに適応させるように国内農業政策の改定・検討を進めてきた。

そして、規制緩和・民営化推進派の「有識者」から成る規制改革推進会議を2016年に立ちあげた。この推進会議は即座に「種子法は民間企業の投資意欲を阻害する」という理由をつけて、これを廃止するよう提案したのであった(2016年10月)。

 それは、上記したデータで見られるように農業生産の現場では民間品種が圧倒的に公共品種(国や地方自治体など)に駆逐されている現実、すなわち種子法に基づく種子市場における公共品種の独占状態という壁(規制)を取り払って民間品種の自由な参入を促進し、やがて公共品種を駆逐するという民間資本の意志の表明であったといえる。

 戦後の日本農業を根本において支えてきた種子市場に規制緩和・民営化路線を貫徹することによって農業への民間資本の参入に道を開こうとしたのである。

安倍政権はこの提案を閣議決定(2017年2月)し、ただちに国会に上程した。

 国会は、与野党間で殆んどと言っていいほど議論のないまま、しかもJA、各種農業団体、そして何よりも直接的な生産者である農家=農民階層の意見を聞くこともなく、したがって大部分の農家=農民階層に知らされる間もなく一方的に種子法の廃止が決定されたのであった(2017年4月)。

 しかし営農活動を99%以上の公共品種に依存して農業生産を続けてきた農民、とりわけコメ農家は、突如として安倍政権により公共品種の供給を絶たれ、生産実績のない、しかも公共品種に比べて高額な、収穫までに手間のかかる民間品種の採用を強制されるという事態に直面することになったのである。

当然、穀倉地帯では農家=農民階層(とくに零細な兼業農家)の怒りが巻き起こり、その結果、全国的な規模で農業生産を支えてきた旧来からの行政システムは大混乱に陥る。しかもその上、種子法廃止に伴って国から地方自治体に支給される関連交付金も削減され、自治体独自の多様な品種改良事業も縮小または打ち切りになる。
 それは地域農業の持続的な経営を阻害し、とどのつまりは当該自治体における地域経済(自立した地場経済)を縮小させ、不可避に農山村の過疎化・廃村化を進めるのは確実である。

 このようなことから、現在、新潟、兵庫、埼玉、北海道、長野、愛知などの各県では、廃止された種子法に準拠した内容で独自の種子条例を制定して、予算を組んで品種改良・開発を続け、農家=農民階層の営農活動の持続的な維持に対応しようとしているという。明らかに、国と農山村の比重が高い主要な自治体は、互いに対立する種子政策(農業政策)を採用してベクトルの異なる方向に動き出しているといえる。

 民間品種へシフトする狙いは何か

 コメを例にとれば、日本では主要には三井化学住友化学、日本モンサントに代表される化学資本によって開発された品種である。
 いずれも国や都道府県が開発した既存の公共品種をベースにして開発され、公共品種に比べて単位収穫量が多いので、大規模化した営農活動には好適と宣伝されている品種である。
 しかし、それは公共品種に比べて価格が最大で10倍はするという高額な品種であり、これまでは三井化学の品種は既に牛丼チェーンの業務米として使用され、住友化学の品種はコンビニの弁当として使用されているという。

 種子と農薬と化学肥料のセット販売

これらの品種は、種子(種もみ)と農薬と化学肥料を1セットにして販売されるところに特徴がある。

種子それ自体はコメの生産経費の2~3%と低額であるが、農薬・化学肥料がそれぞれ10%前後を占めるので、この種子で生産されたコメの場合、種子関連の生産経費だけで25%程度になるという仕掛けになっている。

化学資本は種子の販売と同時に自社の農薬と化学肥料を一体で販売でき、そしてそれに伴うもうけが転がり込むという仕掛けになっているのである。

① この結果、農家にとって民間品種は公共品種に比べてかなり高負担(経費増)となり営農活動を圧迫する事になる。
 しかもこれら民間品種は大規模化した農場経営でこそ相対的に高収益が得られ、品種の特性を生かすことも可能である。

したがって、小規模で分散した農地を持つ零細農家は駆逐され水田の集積化・大規模化に舵を切っていくことは間違いない。

 大資本による大規模農業化と零細農家の放逐

②また、それに伴って直接的なコメ生産では各種農機具の大型化・多機能化が求められることになり、システム化された企業経営・管理機構や収穫・貯蔵・販売・輸送・営業活動のために巨額な営農資金―資本投下が必要になる。

 日本農業は互いに分散する零細な兼業農家が依然として主流であり、これら農家にとって自己資本は無きに等しいのであるから、彼らは金融機関から返済不能な多額の借金でもしない限り、このような民間品種に依存する大規模農業は採用することも参入することも事実上は不可能なのである。

 こうして、大部分の零細な兼業農家は農業生産における生産主体としての社会的な立場を剥奪され、実質的に農業生産から駆逐され、それら法人・企業に雇用される農業労働者に転換するか、または土地権利を売却・貸出して離農し、そして都市部に流入し、その地で小規模自営業者や通常の賃労働者に転換するか、いずれかの道を強制されることにならざるを得ないのだ。

この間、安倍政権が進めている戦略特区づくりと「農地バンク」政策はそのための準備作業であるといえるだろう。

 

ではその民間品種を直接的生産者=農家が自分たちの耕作地の土質、気候条件、病虫害対策や収量増加などの条件に合わせて自発的に改良すればいいではないか、と思うだろう。
 いや、それができないのだ。農家の自発的な民間品種に対する品種改良は許されないのである。それはなぜか?

 種子・農畜産物に関する知的財産権の独占支配を狙うアグリ資本

「種子を制する者は農業を制する」この格言が的を射たものである事は、80年代から世界の種子企業を次々と買収し続けて肥大化した、米モンサントカーギルを始めとする6大多国籍企業(化学資本が軸となったアグリカルチャー資本)が全世界の種子市場の7割以上を独占したことによって証明している。

その過程で、これらアグリ資本は、種子・農畜産物に関する知的財産権(注1)の広大な網を世界に張り巡らせ、自らの開発種子とその関連食材に関する排他的な独占権を確保しており、また自らの知的財産権を守るために、米・独・仏・英などのアグリ資本の国際的な連携・要求を背景にして、帝国主義諸国を先導役として国際的に「植物の新品種の保護に関する国際条約」(UPOV条約)を締結させている(注2)

(注1) 生物・物質特許権であり、かの遺伝子組み換え食品の特許権が重要な位置を占める
(注2)この条約は欧米の先進諸国では批准されているが、多くの後進国・半植民地諸国=農業諸国では現在まで批准されていない

 この条約は1991年に改定され、その結果、新品種開発の企業(=アグリ資本=特許権者)の承認なくしては直接的生産者=種子を実使用する農家(生産主体)がその新品種を採種・改良することは原則禁止となったのである。

そして日本は、このUPOV条約を既に1998年に批准している。また、本年3月に米国を除く11ケ国間で調印されたTPP協定においても、TPP参加各国はこのUPOV条約の批准が義務づけられているのである。

 

 このようなことからして、上記した日本の主要な民間品種の開発企業も、少なくとも種子市場では(したがってその下流に位置する農・畜産物市場においても)このUPOV条約の緊縛下にあり、実質的には国際的なアグリ資本の支配下にあるわけだ。

 つまり、種子法が廃止されてしまった今、民間資本が開発した民間品種を購入して使用する農家=農民階層は、それを自家採種して自らの農業生産に適合するように品種改良することは国際条約違反になってしまうという事なのだ。

このことは、農民が自然と共存し格闘しながら農業生産者として生きる権利と生産主体としての誇りを強制的に奪うことに他ならない。

また、遺伝子組み換え食品の流通に道を開く事にもつながる。

 種子法廃止の彼方には、約300万世帯に及ぶ農家=農民階層の破綻・没落状態―日本農業の崩壊を想像するのに難くない。

それは、労働者人民の食生活環境をも国際的なアグリ資本の支配の下に組み込まれることすら意味している。

種子法の廃止は、消費者であるわれわれを養鶏場の鶏のように、養豚場の豚のようにアグリ資本が開発し、市場に供給する範囲の食糧を摂取するだけの戯画の世界に叩き込もうとしているのかもしれない。 

安倍政権による種子法の廃止に断固抗議し、その撤回―存続を求めて闘うことが必要である