正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

正道有理のジャンクBOX

レーニン「共産主義における『左翼』小児病」学習ノート⑥

第7章 ブルジョア議会に参加すべきか?

第7章も、ドイツ共産党「左派」の言葉で始まっている。
「歴史的にも政治的にも寿命のつきた議会主義という闘争形態に逆もどりすることは、すべて断個としてしりぞけなければならない」
――レーニン曰く「これは、こっけいなほど思い上がった言い分で、まったく間違っている。議会主義に『逆もどりする』! もしかしたらドイツにはもうソヴェト共和国があるとでもいうのだろうか?」(P58)

資本主義を打倒し、プロレタリア独裁を実現するというプロレタリアートの闘いがはじまったという世界史的意味において、また、宣伝の意味でなら、ブルジョア議会制度は「歴史的に寿命がつきた」ということはできる。
「だが、世界史的な尺度は数十年が単位である。一〇~二〇年早いかおそいかは、世界史的な尺度で見るならどうでもいいことだ・・・だからこそ、実際上の政治問題にあたって、世界史的な尺度でものをはかることは、最もおどろくべき理論上の誤りになる」(P58)

続けて、三点にわたってドイツの「左派」を批判している。
〈第一〉「ドイツの『左派』は一九一九年一月にはもう・・議会主義を『政治的に寿命のつきたもの』と考えていた。周知のように、『左派』は間違っていた(注)。この一事だけでも、議会主義が『政治的に寿命がつきた』かのようにいう命題は根本からくつがえされる・・・(当時の彼らの争う余地のない誤りが、いまなぜ誤りでなくなったのかについて)証明らしいものを何一つおこなっていないし、おこなうことができない」(P59)
(注)一九一八年一二月一六~二〇日の全国労兵レーテ大会はいわゆる「ハンブルク項目」を決議し、軍の徹底的解体、「国民軍」の創設などを要求したが、エーベルトはこれを無視しただけでなく、翌一九年一月一九日の国民議会選挙を決定させ、議会の名においてレーテを圧殺した。

そしてレーニンは革命党の態度に対する重要な指摘を行なっている。
自分のおかした誤りに対する党の態度は、その党のまじめさを測り、また党が自分の階級と勤労大衆にたいする義務を実際に果たすかどうかを測る、最も重要で最も確実な基準の一つである。公然と誤りをみとめ、その原因をあばき、その誤りを生みだした情勢を分析し、誤りを あらためる手段を注意深く討議すること――これこそまじめな党のしるし」(P59)であり、それが階級を、さらに大衆をも教育し訓練することなのだと述べている。

これはブルジョア議会に参加すべきかどうかという問題を超えた、階級と勤労人民にたいする革命党の基本的な態度、前衛党としての責任を提起していると捉えるべきである。

〈第二〉たとえば、あるドイツ「左派」グループのパンフレットには「・・いまでも中央党(カトリック『中央』党)の政策にしたがっている数百万の労働者は反革命的である。農村プロレタリアは反革命軍の軍団をつくっている」と書かれているとして、これに対するレーニンの答えを述べている。
「これがあまりにも野放図な誇張した言い分であることは、だれの目にもわかる。だが、ここに述べられている根本的な事実は、あらそう余地のないものであって、それを『左翼』がみとめたことは、とくにはっきりと、彼らのまちがいを証明している。・・・『数百万』または『数軍団』のプロレタリアがまだ議会主義一般に味方しているばかりでなく、あからさまに『反革命的』である場合、『議会主義は政治的に寿命がつきた』などとどうして言えるだろうか?! あきらかに、議会主義はドイツではまだ政治的に寿命がつきていない」(P60)
そしてレーニンは警告する。
「あきらかに、ドイツの『左翼』は自分の願望、自分の観念的=政治的態度を客観的現実ととりちがえたのである。これは、革命家にとってもっとも危険な間違いだ

むかしのことわざに「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」というのがある。客観的現実を正しく把握することを恐れ、その努力を怠たると、自分の意識や願望(または恐怖)だけが膨らみ、あたかも客観的事実であるかのような錯覚に陥るのである。これは、革命家たりとも同じである。党としての情勢認識が客観的現実から乖離し、あたかも革命のための客観的情勢が成熟してきたかのような観念の世界に迷い込まないよう、客観的で全面的な分析を常に怠ってはならないという警告である。

レーニンはさらに続ける。「諸君は、大衆の水準まで、階級の遅れた層の水準まで下がってはならない。この点は間違いない・・・だが、同時に諸君は、まさに全階級(その共産主義的前衛だけではない)の意識と覚悟の現実の状態を冷静に注視する義務がある。『数百万』または『数軍団』はおろか、たとえ少数派とはいえかなりの数の工業労働者がカトリックの坊主にしたがっており、――かなりの数の農村労働者が、地主と富農にしたがっているならば・・・議会主義はまだ政治的に寿命がつきていないし、また議会選挙や議会演壇上の闘争に参加することは、まさに自分の階級の遅れた層を教育するために・・・革命的プロレタリアートの党にとって絶対に必要である」(P61)
さらに「ブルジョア議会やその他の型のどんな反動的な機関にせよ諸君がそれを解散させる力をもたないうちは、諸君はそのなかではたらく義務がある」(大言壮語はよしたまえ! そこには、まだ遅れた労働者たちがいるのだ

〈第三〉「『左翼』共産主義者たちは、われわれボルシェビキのことを口をきわめてほめる」が、しかし、諸君はボルシェビキの戦術をもう少しふかく研究し、それをもう少しよく知りたまえ! と言ってレーニンは次のように述べている。
「ロシアでは一九一七年の九月~十一月に、都市の労働者階級、兵士、農民には、多くの特殊な条件によって、ソヴェト制度を採用し、もっとも民主主義的なブルジョア議会を解散する準備が、まれに見るほどよくととのっていたこと――これはまったく争う余地のない、完全に確定された歴史的事実である。それにもかかわらず、ボルシェビキ憲法制定議会をボイコットせず、プロレタリアートが政治権力を獲得するまえにも、獲得したのちにも、選挙に参加したのであった。これらの選挙はとくに貴重な(そしてプロレタリアートにとってきわめて有益な)政治的成果をあたえたのである」(P62)

さらにレーニンは総括的にこうのべている。
「以上から、まったく議論の余地のないつぎのような結論が出てくる。つまり、ソヴェト共和国の勝利の数週間前に、また勝利ののちでさえも、ブルジョア民主主義的な議会に参加することは革命的プロレタリアートにとって害にならないばかりか、なぜこのような議会は解散されなければならないかを、彼らがおくれた大衆に証明することを容易にし、その解散の成功を容易にし、ブルジョア議会主義が『政治的に寿命がつきる』のを容易にしていることが証明されているのである」

ブルジョア議会制度は、ブルジョアジーの階級支配の道具であり、自覚したプロレタリアにとってはそれは克服されプロレタリア独裁(執行し同時に立法するコミューン型国家)にかえられるべきものである。しかし、自覚したプロレタリア=共産主義者にとって「時代おくれ」となったものでも、階級にとって時代おくれとなったもの、大衆にとって時代おくれとなったものと考えてはならない。革命政党が議会闘争に参加するのは、「階級間の利害の衝突が議会に反映している」からであり、それを先鋭に示し説明するためである。

この第七章では、さらに「オランダ左翼」のテーゼについての批判がつづくが、そこでのレーニンの主旨は一貫している。
 このテーゼでは「資本主義的生産様式がうちこわされて、社会が革命状態にあるとき、議会活動は、大衆自身の行動にくらべて、だんだんとその意義をなくしてくる」というが、「この一節ははっきりまちがいである。なぜなら、大衆の行動――たとえば大ストライキはいつでも議会活動より重要であって、決して革命のときや革命的情勢のあるときだけ重要なのではない」と指摘したうえで、「もちろん、ブルジョア議会への参加をこばむことはどんな条件があろうと許されない、と昔どおりに、一般的に語るものがあるなら、それは正しくない」として、一定の条件のもとでは議会をボイコットすることにも含みをもたせつつ、「いまは、ここでの主題〔個別の条件に応じた戦術を検討する場〕ではない」として割愛している。

また、この文中ではつぎのような戒めの言葉が述べられている。これも、議会への参加の是非というテーマを超えた、革命党の基本姿勢、あり方の問題としてしっかりと捉えるべき内容である。

「新しい、政治的(政治的だけにかぎらないが)思想の信用をおとさせ、それを傷つける最も確実な方法は、それをまもると言いながら、それを不合理なものにしてしまうことである。なぜならば〔なぜ、そうなるのかというと〕あらゆる真理は、それを『極端なもの』にし、それを誇張し、それを現実に適用しうる範囲外におしひろげるなら、それをばかげたもの〔不合理なもの〕にすることができるし、またそのような事情のもとでは、真理はどうしてもばかげたものに変わらざるをえないのである。オランダとドイツの『左翼』は、ブルジョア民主主義議会よりソヴェト権力がすぐれているという新しい真理にたいして、まさにこのような熊の親切(よけいなおせっかい)をしたのである」(P66)

「西ヨーロッパとアメリカでは議会は労働者階級出の先進的な革命家にとくに憎悪された。・・・無理もない。なぜなら、社会党議員や社会民主党議員の大多数が戦時戦後の議会でとった行状以上に、いやらしく、卑しく、裏切的なものを思いうかべるのはむずかしい」
だから、人々は革命的な雰囲気がおとずれることを「長いあいだ、むなしく、しびれをきらして待っていたのである」(P67)
しかし、「このような〔革命的〕雰囲気に負ける〔呑まれる〕ことは、愚かであるばかりか、まったくの罪悪だ」
「ロシアでは、あまりにも長い、苦しい、血まみれの経験を通じて、革命的な雰囲気だけで革命的戦術をうちたてることはできないという真理をかたく信じるようになった。戦術はその国家(およびそれをとりまく諸国家と、世界的な規模でみたすべての国家)のすべての階級勢力に関する冷静な、厳密に客観的な評価のうえに立って、また革命運動の経験の評価のうえに立ってうちたてられなければならぬ」(P68)

この章では、ブルジョア議会への参加の是非をめぐっておこった各国の「左派」共産主義者の誤りについて述べられている。しかし、根本の問題としては、革命党が戦術を決定するときに陥りやすい、いくつかの普遍的な、そして示唆に富んだ指摘がなされているので、それをしっかりと押さえることが重要である。

第8章 妥協は絶対にいけないか?

この章の冒頭では、レーニンは「われわれは、フランクフルトのパンフレットからの引用〔第五章、第七章でレーニンがドイツの「左派」を批判するために引用している〕で、『左翼』がどんなに断固とした態度でこのスローガン〔妥協は絶対にいけない〕をかかげているかを見た」と前置きしたうえで、「疑いもなくマルクス主義者だと自認し、またマルクス主義者になろうとしている人たちが、マルクス主義の基本的な真理をわすれているのを見るのは悲しいことだ」と述べ、ブランキスト派コンミューン戦士の宣言文に対してエンゲルスがおこなった批判を紹介している。

ブランキ派コンミューン戦士の宣言文では「・・・われわれが――共産主義者であるのは、われわれがただ勝利の日を延ばし、奴隷状態の期間を長びかすだけの中間駅にとどまらず、妥協をすることなく、ひたすら自分の目的を遂げようと望んでいるからである」と書かれているが、これをエンゲルスは次のように批判している。

「ドイツ共産主義者たちが共産主義者であるのは、彼らが、自分たちの手でつくりだしたのではなく、歴史的発展の歩みがつくりだしたすべての中間駅と妥協を経て最後の目的――つまり階級をなくし、もはや土地とすべての生産手段にたいする私的所有の余地がない社会秩序をつくりだすこと――をはっきりとみ定め、たえずそれに向かって進んでいるからである。三三人のブランキストが共産主義者であるのは、彼らが中間駅と妥協を飛びこそうと思いさえすれば、それで万事がうまく運び、そして――このことを彼らは堅く信じているのだが――もし近いうちに事が『始まって』、権力が彼らの手におちるようになれば、その二、三日のちには『共産主義が実施されるだろう』と思い込んでいるからである。だから、いますぐそれ〔思いさえすれば実現できるということ〕が不可能なら、彼らは共産主義者ではないことになる。なんという子どもじみた素朴さだろう――自分の性急さを理論的な論証としてもちだすとは!」

このようにエンゲルスを紹介した後、レーニンは次のように注釈を加えている。
「もちろん非常に若い、経験の浅い革命家には、またブルジョア的な革命家にあっては非常に老齢で経験ゆたかなものでさえも、『妥協をゆるすこと』はとくに『危険な』理解できない、正しくないものに見えるだろう。そして、多くの詭弁家たちは――もし『ボリシェヴィキにそんな妥協がゆるされるなら、なぜわれわれに任意の妥協がゆるされないのか?』〔と考え、こじつけや屁理屈によって、誤っているものをあたかも正しいかのように思わせようとする〕

「だが、たびかさなるストライキで教育されたプロレタリアは、エンゲルスが述べている、非常に深い(哲学的・歴史的・政治的・心理的)真理を、立派に自分のものにしているのが普通である。〔この一事を見てもあきらかなように〕プロレタリアは、だれでもストライキを体験しているし、なにものも獲得せずに、あるいは彼らの要求を部分的に満足させただけで、仕事をはじめなければならないような場合、彼らは憎むべき圧迫者や搾取者との『妥協』を体験するのである。プロレタリアはだれでも、あの大衆的闘争と階級対立の激化する環境のなかに生活しているおかげで、客観的条件(ストライキ参加者に資金が足らず、周囲からの援助もなく、彼らが極度に飢え、疲れはてた場合)におされてやむをえず結んだ妥協――この種の妥協を結んだ労働者が、その後の闘争に対してもつ革命的な献身と覚悟とを少しも弱めないような妥協――と、もう一つの裏切者による妥協との区別を知っている、――彼ら裏切者は自分の利己心(ストライキ破りも『妥協』をむすぶ!)、自分の臆病、資本家に取り入りたいという願望、資本家側の脅迫、ときには口説きおとし、ときには買収、ときには甘言にまいってしまう自分の気持ちを客観的な原因のせいにする」(P74)

ここでエンゲルスが批判し、レーニンがそれを補う形で述べている核心は次の点にある。
すなわち、マルクス主義は生きた階級闘争と結びついて確立した社会主義の学説であるということだ。マルクス主義は、哲学(弁証法唯物論史的唯物論)、経済学(剰余価値学説を基礎とする経済理論)、階級闘争論(革命論)という3つの構成部分を持つ理論、哲学の体系であるが、資本主 義社会の中に置かれている労働者階級の現実を最も正確に表している。したがって、そうした現実から目をそむけ、頭の中で考え出した理論を振り回すのは、いくら革命的に聞こえようとマルクス主義とはいえないということだ。

ナロードニキは、資本主義の批判のためには、それを自分の理想の見地から、「現代の科学と現代の道徳観念」の見地から非難すれば十分だと考えている。だがマルクス主義者は、資本主義社会において形成される諸階級を、あらゆる細密さをもって追求することが必要だと考え、一定の階級の見地からする批判だけを、すなわち「個人」の道徳的判断にではなく、現実に生起しつつある社会的過程の正確な定式化にもとづいている批判だけを、根拠あるものと考える。(レーニン全集第一巻『ナロードニキ主義の経済学的内容』)

妥協にたいするマルクス主義者の態度について、レーニンは以前にも同じエンゲルスを引いて次の ようにも言っている。

歴史のジグザグな道にたいするマルクス主義の態度は、実質上、妥協にたいするマルクス主義の態 度に一致している。歴史のジグザグな転換はみな一つの妥協である。すなわち、新しいものを完全 に否定しようとするにはもはや力が足りないものと、古いものを完全に打ち倒すにはまだ力が足り ない新しいものとの妥協である。マルクス主義は、妥協をしないと誓うものではない。マルクス主 義は、妥協を利用することが必要だと考える。しかしこのことは、マルクス主義が生きた、行動す る歴史的勢力として、全精力を傾けて妥協に反対して闘うことを、少しも拒むものではないのであ る。この矛盾と見えるものを会得できないものは、マルクス主義のイロハを知らないものである。 (レーニン全集第13巻『ボイコットに反対する』) 

さらに、次のように指摘する。
「『・・・ほかの党とのあらゆる妥協・・迂回政策と協調のあらゆる政策は、断固として拒否すべきである』――と、ドイツ左翼はフランクフルトのパンフレットで書いている。
「ボリシェヴイズムの歴史全体を通じて、十月革命の前にも後にも、迂回政策や協調政策や、ブルジョア政党をはじめとする他の政党との妥協の例がいっぱいあることをドイツ左翼が〔今日的に言えば、世界の共産主義者が〕知らないはずはない」(P76)

そして続ける
一国でブルジョアジーが打倒されたのちでも、その国のプロレタリアートは長いあいだブルジョアジーよりも弱いものであるが、これはただブルジョアジーが膨大な国際的つながりをもっているからであり、さらにブルジョアジーを打倒した国の小商品生産者が資本主義とブルジョアジーを自然発生的にたえず再生させ、復活させるからである。力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大の努力をはらってはじめてできることであり、またたとえどんなに小さなものであろうとも、敵のあいだのあらゆる「ひび」を、各国のブルジョアジーのあいだの、また個々の国内のブルジョアジーの、いろいろなグループないし種類のあいだのあらゆる利害対立を、――それからまた、一時的な、動揺的な、脆い、たよりにならぬ、条件的な同盟者でもよいから大衆的同盟者を味方につけるあらゆる可能性を、たとえ、それがどんなに小さなものであっても、必ず、最も綿密に、注意深く、用心深く、上手に利用して、はじめてなしとげることができるのである。このことを理解しないものは、マルクス主義と近代の科学的社会主義一般をすこしも理解しないものである。・・・今まで述べたことはプロレタリアートが政治権力をとるまえの時期にも、とったあとの時期にも同じようにあてはまる」(P78)

ここで述べられていることは、この著作全体に通じるテーマでもある。
すなわち先進的なプロレタリアートのみならず、資本に搾取され抑圧されている圧倒的な勤労者大衆をプロレタリア革命の戦列に引き入れることが革命を成功させる必須の条件であり、そのために革命党はブルジョア社会の中で生起するあらゆる問題を綿密に、注意深く分析し、革命のために利用する術を学ばなければならないということが繰り返し、執拗な程に繰り返し語られている。この著作が書かれた当時のレーニンロシア革命が直面していた困難さ、危機感に思いを馳せないわけにはいかない。それは、ここではドイツの「左翼」主義として語られているが、世界の共産主義運動がボルシェビキを除いては、いまだに実践できていない課題だといえないだろうか。

「もし『純粋な』プロレタリアートが、プロレタリアから半プロレタリア(労働力を売って生計のなかばをえているもの)にいたる、半プロレタリアから小農(および小手工業者、家内工業者、小経営主一般)いたる、小農から中農にいたる、等々のきわめて雑多な、過渡的なタイプの大衆に取りまかれていないとすれば、また、もしプロレタリアートそのものの内部にすすんだ層とおくれた層との分化や、地域による、職業による、ときには宗教その他による区分がないとすれば、資本主義は資本主義でなくなるであろう〔注〕。これらすべての点から言って、プロレタリアートの前衛、その自覚ある部分、共産党にとって、迂回政策をとったり、プロレタリアートのいろいろのグループ、労働者や小経営主のいろいろの党と、協調や妥協をおこなう必要が、しかも無条件的な必要が、絶対的な必然性をもって生まれてくるのである。問題は、プロレタリアート階級意識、革命精神、闘争し勝利をかちとる能力の一般的水準をまったく低めることなく高めるために、この戦術を適用するすべを知るということにある」(P83)

レーニンは、半プロレタリアから小ブルジョア的生産者、小農から中農等々のきわめて雑多な、過渡的なタイプの大衆が『純粋な』プロレタリアートを取りまいているのが資本主義社会であり、それが理解できているならば、プロレタリアの前衛が迂回政策をとったり、プロレタリアートのいろいろのグループや他の階級や階層の党との協調や妥協をおこなう必要は無条件的で、絶対的な必然性をもっているのだと述べているのである。

(注)ここでレーニンが「資本主義は資本主義でなくなる」と言っているのは、何か特別なものに置き換わるという意味ではなく、それが資本主義の前提であり本質だということである。
「資本主義が、現在いたるところで工業よりおそろしく遅れている農業を発展させることができるなら、またもし資本主義が、めざましい技術的進歩にもかかわらず、いたるところで半ば飢えた、乞食のような状態にとり残されている住民大衆の生活水準を引き上げることができるなら、その場合には、もちろん、資本の過剰などは問題になりえないであろう。そのような『論拠』は、小ブルジョア的資本主義批判者たちによってたえずもちだされている。だが、そのときには、資本主義は資本主義でなくなるであろう。なぜなら、発展の不均等性も、大衆のなかば飢餓的な生活水準も、ともにこの生産様式の根本的な不可避的な条件であり、前提だからである」(『帝国主義論』第4章 資本の輸出)

レーニンは、「左翼」主義が妥協の必要性を認めようとしないのは、プロレタリア革命運動の歴史的具体的条件を無視して、自分らの願望をのべるだけの性急な議論、空文句であると批判している。
「妥協を『原則的』に否定し、どんなものであろうと妥協一般をゆるすことをいっさい否定するのは、児戯に類したことであり、まじめに取りあげることもできない」

 レーニンは、どんな妥協が革命政党にとって役に立つか、あらゆる場合に役にたつような処方箋を与えることは出来ないが、現実の複雑な諸条件のなかで労働者の闘いの発展にとって役立つ妥協と裏切り的な妥協とを区別し、選びだすことが革命党の一つの重要な任務であると強調しているのである。また、このような妥協や迂回が必要なのは、「プロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力一般の水準を引下げず、たかめる」ためなのであり、革命的プロレタリアートの影響をつよめ、その闘いを発展させるためだと指摘している。