正道有理のジャンクBOX

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レーニン「共産主義における『左翼』小児病」学習ノート②

第10章 二、三の結論

この章は、その表題にあるように第1章で述べられている「基本的な特徴の二、三のもの」と対応しているのだろう。
2章から9章は個別具体的に「左翼」空論主義の例を挙げて批判しており、引用されることも多い。しかし、この10章は、2章~9章までの論述の根拠となっているロシア革命の教訓、総括に即して改めて確認している極めて重要な部分なのである。

(一)ロシアにおける経験

 「一九○五年の最初のひと月だけで、ストライキ参加者数は、過去一○年間(一八九五~一九○四年)における年平均ストライキ参加者数の一○倍に達した。そして、一九○五年一月から一〇月にかけて、ストライキは、たえまなく大きな規模で増大した。まったく独特な、多くの歴史的条件に影響されて、おくれたロシアは、抑圧された大衆が革命に際し、その自主的活動を飛躍的に成長させるものであること(この点はすべての大革命によく見られる)をはじめて世界に示したばかりでなく、プロレタリアートの重要性は人口中に占めるその割合よりもはるかに高いものであることを示し、また経済的ストライキと政治的ストライキの結合、政治的ストライキから武装蜂起への転化、資本主義に圧迫されている階級の大衆闘争と大衆組織の新しい形態、つまりソヴィエトの誕生を、はじめて世界に示したのである」(P104)

「一九一七年の二月革命十月革命とは、ソヴィエトを全国的な規模で全面的に発展させ、ついでプロレタリア的・社会主義的変革におけるソヴィエトの勝利へと導いた。さらに、二年たらずのうちにソヴィエトが国際的な性格をもつことがあきらかになり、この闘争形態と組織形態は国際労働運動にひろがり、ソヴィエトの歴史的使命は、ブルジョア議会制度、ブルジョア民主主義一般の墓掘人、相続人、後継者となることだ、という点がはっきりした。(P105)

ここでは、①革命期におけるプロレタリアートの決起の規模が、平時では考えられないような爆発的なものとなること、②その時の闘争形態、組織形態、すなわちソヴィエトは国際的な普遍性をもっている〔これは、古くはコンミューンのような形で始まり、新しくはドイツのレーテによって証明された〕ということが述べられている。

続けて
「あらゆる国で労働運動が経験しなければならないこと」(それはすでに始まっている)、「新しく生まれ、しだいに強くなり、勝利を目指して進んでいく共産主義」にとっての二つの闘争が重要であるとして、「まず第一にそして主として、自分たちの(それぞれの国の)『メンシェヴイズム』すなわち日和見主義や社会排外主義との闘争」と「第二に――いわばつけたしとして――この共産主義『左翼』共産主義との闘争である」と提起し、この第一の闘争は、あらゆる国で、おそらく一つの例外もなしに、第二インターナショナル(事実上いまはもう葬られている)と第三インタナンョナルの闘争として繰り広げられている。

一方の「第二の闘争は、ドイツでも、イギリスでも、イタリアでも、アメリカでも(少なくとも、『世界産業労働者連盟』とアナルコ・サンディカリズム派のある部分は、『左翼』共産主義の間違いを弁護しているが、同時にほとんど全般的に、全一的にソヴィエト制度をみとめている)、フランスでも(もとのサンディカリストの一部が政党と議会制度にたいしてとる態度を見よ。しかし、この場合にも同時に彼らはソヴェト制度をみとめている)、つまりインタナショナルの運動の枠の中だけではなく、疑いもなく全世界的な規模に、見うけられる」として軽視できない問題であることを指摘しているのである。

第一の任務――ブルジョア民主主義や社会排外主義との闘い
第二の任務――「左翼」共産主義との闘い
をあげ、(第三インターナショナルに結集する潮流にとっては)第一の任務について   は労働運動にとっても共産主義運動にとっても例外なしに立場が明瞭になっており争う余地もないが、第二の任務では、「左翼」共産主義もサンディカリストもほとんどがソヴィエト制度を認めている点では共通しているのに、その戦術や運動においては空論主義に陥っている。プロレタリア革命にとって、その克服は避けて通れない問題なのだということを述べているのである。

 「各国の労働運動はブルジョアジーに勝つために、どこでも本質上同種の予備校を終了するわけだが、この場合、その発展は自分流におこなうのである。そのうえボルシェビズムは組織的な政治的な党派として勝利の準備を整えるために歴史から十五年の期間を与えられたのであるが、先進的な資本主義諸大国は、この道をボルシェビズムよりはるかに早く歩んでいる」

「いま肝心なことは、各国の共産主義が、十分な自覚をもって日和見主義と「左翼的な」空理空論に対する闘争の主要な原則的任務を考慮するとともに、この闘争がそれぞれの国で、その経済、政治、文化、その国の民族構成、その植民地、その宗教的区分、等々の特徴に応じて具体的な特殊性を持っているし、持たざるを得ない点を考慮することである」(P106)

ボルシェビキが歴史から十五年の期間を与えられた」と言っているのは、もちろん「左翼」空論主義との闘争という意味で言っていることである。それは、街頭闘争をめぐる論争、議会への参加や召喚をめぐる論争、労働組合との関係をめぐる論争等々、様々な場面で多くの党内闘争=理論闘争を通して自分たちの闘いを作り上げてきたことを意味している。この十五年の中には、もちろんメンシェビキとの闘争も含まれるが、主要にはボルシェビキ党内における左翼主義との闘い(ジノヴィエフブハーリンをはじめ、常に左にぶれる者はいたが、レーニンはこれと厳格かつ同志的な討論を通じて前衛党としての統一を保ち続けた)として総括されていると考えるべきだろう。

(二)国際的戦術の統一とは画一的な戦術の適用ではない

続いて、
「ぜひともはっきりさせておかなければならないのは、このような(革命的プロレタリアートの国際的戦術を方向づけることのできる真に中央集権的な、真に指導的な中央部をつくりだす腕前、能力を持った)指導的な中央部は、どんな場合でも闘争の戦術的規則を千篇一律化し、機械的に均一化し、画一化することによってつくることはできないということである。諸国民と諸国家間に民族的な、国家的な差異がある限り、—―そしてまた、このような差異は、全世界的な規模でプロレタリアートの独裁が実現されたのちでさえ、なお長期にわたって存続するだろう。――あらゆる国の共産主義的労働運動の国際的戦術の統一は、この多様さを取り除くことでも民族的な差異をなくすことを要求することでもなく、共産主義の基本的な諸原則(ソヴィエト権力とプロレタリア独裁)を個々の点で正しく変化させ、それらを民族的な、民族=国家的な差異に正しく適応させ適用することを要求するのである。単一の国際的任務の解決、労働運動内にある日和見主義と左翼的な空理空論に対する勝利、ブルジョアジーの打倒、ソヴィエト共和国とプロレタリア独裁の樹立に対し、各国が具体的に対処するにあたって、民族的に特殊なもの、民族的に独自なものを調査し、研究し、さがし出し、推測し、把握すること――ここにこそ先進諸国(先進諸国に限らないが)が経験しているこの歴史的な時期の主要な任務がある」(P107)

ここではプロレタリア革命=プロレタリア独裁国家の民族的、国家的差異の問題について述べているのだが、レーニンは現実にプロレタリア独裁を樹立した立場から現実的な問題として(どの国も経験するであろう国際的意義をもった問題として)提起している。
すべての国が画一的なプロ独国家を作れると考えてはならない。それぞれの国の共産党は、それぞれの国の差異を考え、民族的に特殊なもの、独自なものを調査し、研究し、さがし出し、推測し、把握して柔軟に対応することをせずに、空理空論ではプロレタリア独裁を維持することはできないのだと言っているのだろう。

(三)広範な大衆の獲得なしにプロ独の実現・維持はできない

 「プロレタリアの前衛は思想的にわれわれの側にかちとられた。これは重要なことである。これなしには、勝利への第一歩さえ踏みだすことはできない。だが、ここから勝利まではまだかなり遠い。前衛だけでは勝てないのである。全階級が、つまり広範な大衆が、あるいは前衛を支持する立場をとるか、あるいは少なくとも前衛にたいし好意ある中立をまもり、敵を支持することが完全にできない立場に立たないうちに、ただ前衛だけを決戦に投じることはばかげているばかりでなく、罪悪でもある」(P108)

広範な大衆が前衛を支持し、少なくとも好意ある中立をまもり、敵を支持することがないという関係が作られる前に、革命党と先進的なプロレタリアート(前衛)だけで決戦に臨むのは「ばかげているし、罪悪ですらある」と述べている。革命党にとって、客観的条件を見誤ることは、前衛のもとに結集した先進的なプロレタリアート反革命の餌食にされ、血の海に沈められないとも限らないのであり、階級に対する強烈な責任を自覚することが必要なのである。

 さらに「資本に圧迫されている広範な勤労大衆が実際にこの立場をとるようにするためには、宣伝や扇動だけでは不十分である。そのためには、これらの大衆自身の政治的な経験が必要である」(P108)

「国際的労働運動内の自覚した前衛、すなわち、共産党共産主義グループ、共産主義的流派の当面の任務は、広い大衆(いまのところ、大部分はまだ眠っており、政治に無関心で、旧弊で、不活発で、目覚めていない)をこの新しい状態に導いてゆくすべを知ることであり、もっと正確に言うと、自分の党だけでなくて〔他の党派や潮流の影響を受けているような〕これらの大衆をも指導して、この新しい立場に接近させ移行させるすべを知ることである」(P109)

その当面の任務として次の二つがあげられている。

①第一の歴史的任務
 プロレタリアートの自覚した前衛をソヴィエト権力と労働者階級の独裁の
 側にひきよせることは、日和見主義と社会排外主義に対する完全な思想的
 ・政治的勝利なしには果たせなかった(⇒ロシアではそれを成功させたし
 現に第三インターナショナルの党はそれをやりつつある)

②第二の任務
 革命にさいして前衛の勝利を保障することのできる新しい立場に大衆をみ
 ちびくすべを知るという任務。これは左翼的な空理空論を一掃し、そのま
 ちがいを完全に克服し、それから解放されないなら、果たすことができな
 い。

ここで、第二の任務がなぜ重要なのかについて、さらに詳細に述べている。

プロレタリアートの前衛を共産主義の側に引き入れることが問題であったあいだは、その限りでは、第一に押し出されるのは宣伝であった。・・・ところが大衆の実践的行動が問題になり――こんな言い方がゆるされるなら――数百万の軍隊の配置が問題になり、ある社会の階級勢力全体を最後の決戦の配置につかせることが問題となる場合は、もはや宣伝の熟達だけでは、『純粋な』共産主義の真理をくりかえすだけでは、ものの役に立たないのである。この場合、大衆をまだ指導したことのない宣伝家や小グループのメンバーがよく考えているように、何千といった単位でものを考えてはならない。この場合、われわれは革命的な階級の前衛を説得してしまったかどうかをかえりみるだけではなく、さらに全階級――その社会の全階級を必ず例外なく――の歴史的に行動力のある諸勢力が、決戦の時がすでに熟しきった場合の配置についているかどうかを検討しなければならない」(P110)

【「決戦期の成熟」(成熟した革命期)を判断する三つの指標】

「決戦の時が熟しきった」ということを判断するのは、諸勢力が次のような配置についているかどうかだとして三つの指標をあげている。

一、敵階級勢力の全体がまったく混乱し、お互い同士で激しくいがみ合い、
 彼らの力に余る闘争でひどく力を弱めていること。(⇒敵階級内に分裂が
 生じ、力が分散して集中力を欠いている)
二、中間分子が動揺し、落ち着きがなく、小ブルジョアジーブルジョア
 ーとは区別される小ブルジョア民主主義者がことごとく人民の前で十分に
 暴露され、その実践上の破産によってまったく物笑いのタネにされている
 ということ。
三、ブルジョアジーに対する最も断固たる、限りなく勇敢な、革命行動を支
 持する大衆的な気持ちがプロレタリアートの中におこり、それがたかまっ
 ていること。

【『第二インターナショナルの崩壊』で提起された内容との比較】

この部分は『第二インターナショナルの崩壊』(以下『第二インターの崩壊』と略)の中で「革命的情勢なしには、革命は不可能であり、しかも、どんな革命的情勢でも革命をもたらすとはかぎらない」として、革命的情勢における三つの主要な徴候としてあげていた内容に対応している。そこでは
①支配階級にとっては、いままでどおりの形で、その支配を維持することが
 不可能なこと。「上層」のあれこれの危機、支配階級の政策の危機が、割
 れ目を作りだし、そこから、被抑圧階級の不摘と激昂がやぶれ出ること。
②被抑圧階級の欠乏と困窮が普通以上に激化すること。
③右の諸原因によって、大衆の活動性がいちじるしくたかまること。

個々のグループや党の意志だけでなく、個々の階級の意志にも依存しないこれらの客観的変化なしには、革命は――概して――不可能である。これらの客観的変化の総計こそ、革命的情勢とよばれるものなのである。

しかし、「革命的情勢があればかならず革命がおこるというわけのものではなく、ただ、次のような情勢からだけ、すなわち、右に列挙した客観的変化に主体的変化が結びつく場合、つまり旧来の政府を粉砕する(またはゆるがす)にたる強力な革命的大衆行動をおこす革命的階級の能力が結びつくような場合にだけ、おこるものだからである。この旧来の政府は、これを『失墜』させないかぎり、たとえ危機の時期であろうとも決して『倒れる』ものではない。これが、革命にたいするマルクス主義者の見解であり、それはすべてのマルクス主義によって何度も何度も展開され、議論の余地のないものと認められたものである」(『第二インターの崩壊』国民文庫、三六~三七ページ)。

 レーニンは、革命的情勢について以上のような規定を与えたうえで、革命的情勢に対応した革命党の任務、革命闘争を本格的に準備するための党の基本原則について、つぎのような一般的規定を与えていた。(A、Bは筆者)

(A)「ここではすべての社会主義者の、もっとも議論の余地のない、そしてもっとも基本的な義務が問題なのである。すなわち、革命的情勢が存在することを大衆のまえにあきらかにし、それの広さと深さを説明し、プロレタリアートの革命的自覚と革命的決意をよびさまし、プロレタリアートをたすけて革命的行動にうつらせ、この方向で活動するために革命的情勢に応じた 組織をつくりだすという義務が、それである」

(B)「人民を鼓舞しゆすぶり、資本主義の崩壊をはやめるために危機を利用すること。今日の諸党が自己のこの義務を履行しないことはかれらの裏切りであり、かれらの政治的死であり、自己の役割の放棄であり、ブルジョアジーの側への移行である」

 【「革命的情勢」を「成熟した革命期」に引き寄せる党の意識性の問題】

第二インターの崩壊」での提起は《革命的情勢》、そして「『左翼』空論主義」では《成熟した革命期=決戦期》(強いて言えば、これが「革命情勢」なのだ)の判断の内容として提起されたのである。
そして、「第二インターの崩壊」(先の引用)の中の、前段(A)の部分は「主体的変化」、(B)の部分は「客観的変化」について述べたものであり、「客観的変化」に「主体的変化」が結びつかない限り、革命的情勢があっても革命は起こらないと指摘していたのであった。

 われわれはこのレーニンの提起にしたがい、「革命的情勢の接近に対応した革命党の三つの義務」として、
(1)革命的情勢の存在を大衆にむかって全面的に宣伝、扇動する。
(2)革命的行動への可能的着手と、その計画的、系統的強化。
(3)非合法、非公然的組織建設、合非の問題の正しい解決。
というように整理し理解した。これは、いうなれば革命党のあるいは先進的プロレタリアートの「主体的変化」を自らの義務としたものであった。

本書でレーニンが展開している内容の重要なポイントは、「革命的情勢」を「革命の成熟」した決戦期にまで引き寄せるためには、「主体的変化」だけに力を注ぎ、「客観的変化」を待つのではなく、それを意識的に引き出す革命党の術=戦術が必要なのだということ。つまり、「客観的変化」を引き出し促進する能力をもった革命党へと成長しなければだめだということである。これは、「第二インターの崩壊」当時よりも、革命党としての主客にわたる意識的な働きかけという点で、さらに踏み込んだ提起なのである。

では、どのように行うのか
それは、ブルジョアジーを揺さぶり動揺と分裂を誘い、急進的なインテリゲンチャブルジョアジーから引きはがし対立させ、革命運動の味方につけ、あるいは改良主義的、愛国主義的な社会民主主義政党の傘下にある組合や労働者大衆、階級的に目覚めていない大衆や中間層を鼓舞し、全人民を政治行動に引き入れるという積極的な働きかけ、宣伝・扇動とはちがった意識的な政治工作の方法=術を身につけ実践することが前衛党の義務だと述べているのである。それをしないことは「政治的な死であり、裏切りであり、ブルジョアジーの側への移行」であるとして厳しく求めているのは、そうしない限りブルジョアジーは決して自ら倒れることはないし、あの手この手で延命の道を考え出すからなのだ。

ところでレーニンは1914年、第3インター結成に向けて以下のように訴えていた。

「諸階級の協力を擁護すること、社会主義革命の思想と革命的闘争方法とを否認すること、ブルジョア民族主義に迎合すること、民族または祖国の歴史的=一時的な限界をわすれること、ブルジョア的合法性を物神化(むやみに崇拝)すること、「広範な住民大衆」(小ブルジョアジーと読め)を自分から突きはなすことをおそれて、階級的観点と階級闘争とを拒否すること、――これらは、疑いもない、日和見主義の思想的基礎である。まさにこの基礎の上に第二インターナショナルの大多数の指導者たちの今日の排外主義的、愛国主義的な気分が成長したのである。(レーニン全集第21巻「社会主義インターナショナルの現状と任務」)


 したがって共産主義インターナショナル(第3インター)に結集した若い共産主義諸党は、排外主義、愛国主義に転落し革命的プロレタリアートの運動に敵対する自国内の社会勢力と全力を挙げてたたかい、先進的なプロレタリアートを運動的、イデオロギー的に獲得するために全力をあげてきた。かれらはブルジョアジーに屈服した社民の弾圧をうけ、あるいは反動的な労働組合からの妨害や排撃に屈せず、前衛党として自らをうち鍛えてきたのである。

 だが、いま求められているのは、こうしたブルジョア的、小ブル的中間層やインテリゲンチャに楔を打ち込み動揺させ、愛国的な社民勢力の影響下にある保守的でもっとも遅れた大衆への働きかけ、「宣伝、扇動」というイデオロギー的な活動だけではない、妥協や回り道といった柔軟性のある政治的能力や統一戦線的な方法への習熟が求められたのである。それまでの経験からは不慣れであり、抵抗も大きかったにちがいない。そこから空論主義、教条主義、「左翼」主義的な傾向が生まれることは避けられなかったに違いない。
 しかし、まさにボルシェビキは3年有半の中でそれをやって見せ、プロレタリア革命を成功させた高みから改めて訴えたということである。

レーニンは「第二インターの崩壊」の中で、「客観的変化」の内容について「個々のグループや党の意志だけでなく、個々の階級の意志にも依存しないこれらの客観的変化」という表現をつかっていた。これは「客観的変化」が前衛の意識的行為から離れた自然成長的なものという誤解を産んでしまったということはないだろうか。
 レーニンは、ロシア革命を勝利にみちびいたその総括と教訓に基づいて、ただ「客観的な変化」を待つのではなく、それを促進する前衛党の意識的、能動的な働きかけが必要なのだという若干の軌道修正が必要だと考えたのかもしれない。つまり前衛党と先進的なプロレタリアートの結集という任務に加えて、さらに広範な大衆を革命の戦列に加えるという任務(それ自身は共産主義運動が得意としなかった分野)はプロレタリア革命にとっても、またプロレタリア独裁の維持にとっても不可欠な任務であり、そこに重心を置くよう訴えたということである。

 

 【革命的情勢への過渡期の成熟を緩慢で困難にしている条件は何か】

ところで、今日の帝国主義の危機が歴史的にますます深まっているという情勢があるにもかかわらず、これと「主体的変化」の結びつき(および「主体的変化」そのもの)を困難にしているのはなぜかと自問し、本多延嘉氏はそれを次のように分析していた。

「もとより今日の情勢の成熟は、帝国主義スターリン主義の時代的規定性をもつものとして進んでいる。すなわち、第一には、帝国主義スターリン主義の時代を根底的につらぬく世界革命の過渡期という時代的特徴を本質的な背景として、資本主義体制の延命のためには、アメリカ帝国主義を基軸とする戦後世界体制を是が非でも護持しようとする力がはたらき、矛盾の爆発を不断にひきのばそうとしていること、第二には、スターリン主義の裏切りによって大衆の「自主的な歴史的行動」への決起がたえず歪められ、妨げられていることである。いいかえるならば、帝国主義の側においても、スターリン主義の側においても、情勢の爆発を先取り的に制圧する努力が著しく強く、それを回避するためならばどんなことでもする傾向がある、ということである。しかし、こうした傾向は、けっして革命的情勢への過渡期の成熟の存在を否定するものではなく、かえって、その深さと広さを示すものでしかないのである」(本多著作選第2巻「革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために」1973年)

帝国主義は、国際共産主義運動ロシア革命の総括と教訓から学んだのと同じように(あるいはそれ以上に自らの延命を賭して)革命の道を封じる術を学んでいる。にもかかわらず、それは帝国主義の危機そのものを回避するものでも軽減するものでもないのだ。

 この章では、さらにイギリスの自由党内でのロイドジョージ派とチャーチル派との意見のくいちがいや、労働党ヘンダーソンとの連立内での意見のくいちがいなどを例にあげながら、このようなことは「純粋な共産主義の立場から見ると、まったくとるに足りない、つまらぬこと」かもしれないが、「大衆のこの実践的行動の立場から見ると、非常に重要である・・・ここにこそ、たんに自覚した、確信を持った、思想的な宣伝家にとどまらず、革命における大衆の実践的指導者になろうと望んでいる共産主義者の一切の仕事があり、一切の任務がある。すべての必要な実践上の妥協、迂回、協調、ジグザグ、退却などを行う能力と共産主義の思想に対する最も厳格な献身とを結びつけ」そうすることでブルジョアジーとその政治権力の破産、崩壊を促進することが必要なのだと述べている。こうして、支配階級やその手先となっている小ブルジョア民主主義者の動揺や破産を促進する。そうすることが「大衆を、ほかならぬ我々の精神で、すなわち共産主義に向かって啓蒙するだろう」と述べている。(P111)

必要な実践上(戦術上)の妥協、迂回、協調、ジグザグ、退却を柔軟におこない得る能力。それを支え結びつけるものこそ共産主義の思想に対する最も厳格な献身だというわけである。
「厳格な献身」の対象は、「共産主義の思想」だということが極めて重要なポイントだ!

このあとも、重要な問題提起が続いている。

「一般に歴史は、とくに革命の歴史は、どんなにすぐれた政党、どんなに進歩的な階級のどんなに自覚した前衛が考えているよりも、つねに内容豊かであり、多様であり、多面的であり、いきいきとしており、また『複雑微妙な』ものである。なぜなら、どんなにすぐれた前衛でも、たかだか何万人かの〔これを「何十万人かの」と言い換えたところでその意味するものは同じだろう――筆者〕意識、意志、情熱、想像をあらわすだけであるが、革命を実現するものは、人間のあらゆる能力がとくに高まり、緊張するときに、最も激しい階級闘争にかきたてられた何千万人の意識、意志、情熱、想像だからである」(P112)

そこから導かれる重要な二つの実践的結論として、革命的な階級は
①その任務を実現するためには、一つの例外もなしに、社会活動のあらゆる
 形態ないしあらゆる方面に通じていなければならない。(政治権力を獲得
 するまでにやりとげられなかったことは、獲得後に、しかも時として大き
 な冒険や非常な危険をおかしてやりとげるのである)
②一つの形態がどれほど急激に、また不意に他の形態にとってかわっても、
 それに応じられるようでなければならない。
この意味について、この後より具体的に述べられている。

「あらゆる闘争手段に通じていないと、ほかの階級の状態の中にわれわれの意思と無関係な変化が起こり、そのためわれわれにとくに不得手な活動形態をとることが日程にのぼる場合、われわれは大敗北を――ときには決定的な敗北をさえ舐めるかもしれない」

また「合法的な闘争手段は日和見主義」で「非合法的な闘争手段こそ革命的」というように考えるのは間違っている。非合法的な闘争手段をとるべき時にその力もなく、取ろうともしないのは労働者階級に対する裏切りであるが、「非合法的な闘争形態をあらゆる合法的な闘争形態と結びつけることができない革命家は、きわめて質の悪い革命家である」(P113)

「直接的な、公然たる、真に大衆的な、真に革命的な闘争が起る条件がまだないときに革命家であること、革命的でなくてむしろ多くの場合まったく反動的な機関のなかで、革命的でない環境のなかで、革命的な活動方法が必要であることをすぐには理解できない大衆のなかで、革命の利益を(宣伝により、扇動により、組織によって)まもることの方がはるかにむずかしい――またはるかに尊い」〔しかし、こうした活動があってこそはじめて〕「大衆を本当の、決定的な、最後の、大きな革命闘争にみちびく具体的な道、ないしは事件の特別な転換点をみつけだし、さぐりだし、それを正しく確定できること――ここに西ヨーロッパとアメリカにおける〔全世界の〕現在の共産主義者の主要な任務がある」(P114)

 この後も、具体的な例をあげ、あるいはロシアの経験を引用しながら、いろいろな条件の変化に応じて、柔軟性に富んだ戦術を使い分ける能力の必要性について多くのページを割いて説明している。ここは、それぞれの共産主義的組織が「調査し、研究し、さがし出し、推測し、把握して」最もふさわしい戦術を練り上げる際には、柔軟かつ多面的な分析が必要であることを示唆している。

「どんな国でも、共産主義はきたえられ成長している。それは深く根をはっているので、迫害を加えても共産主義の力を弱めることも無力にすることもできず、かえってそれを強めている。われわれが勝利に向かって、もっと確信をもって、もっとしっかりした足どりで進むには、ただ一つだけ足りないものがある。すなわち、あらゆる国のあらゆる共産主義者が、戦術には最大限の弾力性をもたす必要があることを、いたるところで徹底的に考え抜き、自覚することである。とくに先進諸国で、素晴らしく成長しつつある共産主義に今日欠けているものは、この自覚とこの自覚を実践に適用する力量である」(P121)                (次回は第2章から)