正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

正道有理のジャンクBOX

ヒロシマ・ナガサキの被爆者、被曝二世が強いられた歴史を繰り返すな

一瞬にして20万人以上の広島市民の命を奪った原爆では、飛散した放射性物質が黒い雨となって降り注いだほか上昇気流にのって拡散し、残留放射能の影響は少なかったとされる。にも拘わらず、30万とも50万とも言われる二次被曝者や被曝二世が遺伝性障害の不安に苛まれ、謂れ無き就職や結婚の差別に苦しんできた。
 

続きを読む

集団的自衛権を認めれば戦争への道は必至だ

民主党岡田克也最高顧問は集団的自衛権をめぐる国会質問で、閣議決定の前に国会で十分な議論が必要だと政府を追及した。それ自身は間違いではない。しかし、考えてみよ。日本版NSCと秘密保護法を成立させた時から、こうなることは目に見えていた筈だ。

続きを読む

市川定夫著「新・環境学 Ⅲ」からの抜粋

市川定夫先生の以下の論述から、次のことが伺い知れる。
 
① 1954年当時の日本政府は、今日に比べれば、はるかに真             面目に放射能被害から国民の健康を守ろうとしていたこと。
② その時点で気づかなかったとしても、今日的には人工放射性核種が生体濃縮するという事を政府も科学者たちも知っていながら、敢えてそれを認めようとしていないこと。
 ③ 原発推進派と政府は、この真実を認める事が世界的な反原発反核運動に発展することを原水禁運動の教訓として学んでおり、そのためには科学的真実にもふたをしようとしているこということだ。

続きを読む

日本版NSC(国家安全保障会議)と秘密保護法案

【Ⅰ】 憲法改悪を先取りする日本版NSC
 
 自民・公明・民主の合意により国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案が国会で成立し、2014年1月には同会議が設立されようとしている。これは戦後の歴史にとって画期をなす出来事である。
 日本支配階級は、他の帝国主義列強と同様、国際政治の根幹に係る自国の安保・防衛・外交間題をとりあげ、その基本政策を決定するための司令塔組織を設立することになったのである。

続きを読む

領土問題は戦後処理の曖昧さにあり、国民の意識を分断する道具に使われる

 領土の領有とは、国家が領有意志をもって統治をし国際的にもそれが認知される事であり、個人や有志が私的に所有権を主張し、開拓したからと言って領土と見なされる訳ではない。

   さて、領土取得の形態は国際法的には①譲渡、割譲、②征服、③先占、④添付(地形の変化により海岸線が変更される等)、⑤時効(自国の領土ではないが長い期間、実質的統治が行われ領有国も黙認したような場合)、等が挙げられる。
しかし、尖閣諸島竹島の場合、厳密には、上記の何れにも該当しない。①④は別として、②征服は国連憲章上で適法とされていない。領土の一部を武力で征服するのは略奪に他ならないからだ。しかし、現実にはこのような事が平穏には起こり得ない。イスラエルパレスチナの関係を見ても明らかなように、これは戦争に発展し、宣戦から始まり講和で決着がつけられる。竹島の領有を主張する人の中には、「GHQ占領下で日本は反撃出来なかった」等と言う者がいる。それこそが、自らが招いた戦争の結果なのだという事を認めようとしない。こうした人達ほど再び戦争をやりたがる。

 ところで、1952年の李承晩ライン設定、その後の日本漁船への銃撃、拿捕、拘束等が頻発する中、日本国内でも抗議運動が展開されたにも拘わらず、なぜアメリカはこれを実質的に無視し続けたのか。それは連合国・アメリカとの関係に於てはあくまで敗戦帝国主義だという厳然たる事実と、他方ではその関係は維持しつつ、アジアを「共産主義」から防衛するという戦略下に日本を組み込む狙いがあったからに他ならない。それは天皇制の存続を認めた事でも明らかなように、一般的な敗戦国に対する占領政策とは違う形をとって「番犬帝国主義」日本の復活が行われた。ここに日本が戦後賠償の問題、国境線や領海線の問題等々が曖昧なまま残されてきた根拠がある。言うなれば、日本の戦後処理は未だ終わっていないのだ。
そのように考えれば、どちらが先に「占有」統治(③先占)していたか等というのは意味のない事である。

ドイツに於ては第二次世界大戦に敗北すると同時に東西に分割され、文字通り東西冷戦の渦中に叩き込まれた。そうした事から平和条約の締結がないまま40年以上を経過し、ベルリンの壁崩壊と同時期、1990年の最終規定条約締結をもって国家としての戦後処理が完了する。
日本は1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾、同年9月2日、降伏文書(休戦協定)調印、1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効 ―ここで領土や賠償問題の扱いが謳われているが、連合国との片面講和ゆえに、尖閣諸島をめぐってはポツダム宣言との関係で一貫性に欠け、竹島問題ではラスク書簡が交わされたとはいえ、一度は草案に明記された「日本の竹島領有」は外されたままとなった。そして、賠償問題は事後処理扱いとなった。以後、日本は日米安保同盟にのみ依拠し、対外的な国家としての意志決定の殆ど全てをアメリカに委ねてきた。従って、戦争責任も曖昧にされ、一方で戦後処理も曖昧なままになってきた。それ故、国内政治支配が危機に陥ると決まってナショナリズムを煽るために領土問題が持ち出されるのである(これは、中国や韓国もまた同様である)。

 今、日本・韓国・中国が三者三様に政治的、体制的危機を抱える中で、竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚台)の問題が先鋭化している。しかし、これは民衆の為に何か利益をもたらすだろうか。これを煽っているのは、領土(領海)の領有=資源開発によって利益を得んとする一部の資本とその代弁者達である。漁民にとっても、農民や労働者にとってもお互いの民族が争うことを望んでいるわけではない。いや、寧ろナショナリズムを喧しく煽り立てる背景は、国内政治危機=支配層と人民の対立が激化し、大衆の不満が反政府運動に発展するのを防ぐためであり、民族排外主義を持ち込むことによって大衆意識の分断を図るのである。

(付言すれば、排外主義が鼓吹されるとき、同じ理由から国家による国民のプライバシーへの制約、監視、統制が強められるのは必然である)

反原発と原水禁運動の統一した闘いを一層発展させよう

広島に原爆が投下されてから67回目の8.6を迎える。日本が世界で最初の原爆被爆を体験したにもかかわらず、原発の導入を許してしまったのはなぜか。原水禁運動が「核の廃絶」を言いながら、他方では日々被曝者を生み出している原子炉=原発を正面からとらえようとしてこなかったのはなぜか。また、原発導入以来、一貫して反原発運動を担ってきた人も少なくないが、この運動は必ずしも原水禁運動との共闘関係を築けてきたとは言えない。

 ところで、核に反対してきた科学者の中では核兵器―それを作る原子炉(原発)―人口核物質による内部被曝はひとつながりのものとして一貫性をもっていたのである。これは、武谷三男博士、肥田舜太郎博士、市川定夫博士、高木仁三郎博士などそれぞれ分野は違っても核(兵器)と原子炉(原発)、そこから作られる人口放射性物質による内部被曝を問題にし、原子力政策を批判してきた。

 つまり、反核運動と反原発運動の分断は「核の平和利用」論に圧倒された原水禁運動の担い手(その政治的中心は社会党共産党であった)の責任が大きい。彼らが党利党略に左右されず、核問題を科学的に正面からとらえようとしていたら核廃絶=原子炉の廃絶として「唯一の被爆国」から世界に向かって発信することができたのではないだろうか。

 われわれは「三度許すまじ」と言いながら福島の原発事故を許してしまった。今、首相官邸前には原発再稼働に反対する万余の人々が毎週抗議の声を上げている。人々を欺き続け、子どもたちの未来を不安に陥れ、飛散した放射能への対策・使用済み燃料などの処理も一切無方針のまま原発再稼働へ突き進む政府への怒りが渦巻いている。
 官邸前の抗議を「原発反対」に絞るのは構わない。しかし、原発反対と言う時それはプルトニウム(=核兵器の原料)生産反対とも言っている事なのだ(自分では意識していようといまいと)。今日、世界各国で原発が稼働し、日々プルトニウムが生産されている。しかし、核燃サイクルが軌道に乗っているところはない。ではその過剰なプルトニウムは何に使われているのか、言わずもがな核兵器に使われているし、使おうとしている。 原子力基本法に「安全保障に寄与する」と入れたのはそのためだ。
 原発反対とはすべての核に反対することであり、核兵器の廃絶を求めるなら、原発廃炉以外にない。
原発原水禁運動の統一した闘いを一層発展させよう。

「内部被曝」の暴露こそ核心

急性放射線傷害は短い間にある一定の量の放射線を浴びると皮膚など体の組織が破壊され傷害が現れる。この時の放射線量がしきい値あるいは被曝許容量とされる。因みに8シーベルト以上の放射線を浴びた場合の死亡率は100%と言われている。     
これに対し、飲食物や呼吸によって体内に蓄積された放射性物質放射線によって被曝するのが内部被曝である。内部被曝では即時的な障害が現れることは少ないが数年~十数年以上を経過してガンや白血病の発生のような障害が現れる晩発性障害と後世代に現れる遺伝障害がある。
 晩発性障害や遺伝障害にはしきい値はない、と言うことは低線量放射線でも危険だということになる。しかし、依然として推進派科学者は低線量放射線であれば体に有益である(「ホルミシス効果」論)とする説をとる向きが多く、「低線量放射線を長時間照射する方が、高線量放射線を瞬間照射するよりもたやすく細胞膜を破壊する」(「ペトカウ効果」理論)という説との対立が続いている。

「低線量放射線が危険だ」というと、医療用X線や自然放射線ラジウム温泉などを例に反論する者もいる。ここで自然放射線、人工放射線という言葉に惑わされてはいけない。放射性物質が出す放射線自体は自然核種であれ人工核種であれα線β線γ線などに変わりはない。体内に蓄積されるのは人口放射性物質であり、自然放射性物質ではない。人類の長い進化の過程で自然放射性物質に適応できないものは淘汰され、これを体内に蓄積しないような代謝の方法を作り上げてきた。しかし、歴史の浅い人口の放射性物質は体内に蓄積され、それが放つ放射線によって細胞が破壊されるのである。(市川定夫著「環境論」に詳しい)

内部被曝とは、細胞の中のDNA分子に放射線があたり分子中の電子をはね飛ばしたり周辺物質をイオン化する等によりDNAを破壊する。変異した遺伝情報をもつ細胞が分裂することで体組織に障害をもたらす。
 破壊され変異したDNAををもつ細胞分裂が骨髄で起きれば白血病などに、生殖細胞で起きれば後世代の遺伝障害となる。細胞中の分子が破壊されるのは放射線量の大きさではない。一発の放射線でも命中する事はあるからだ。少ない放射線でも長い期間曝されれば確立は高くなる。内部被曝を考えた場合、許容放射線量なるものはない。また「食べた場合でも大半は排泄される」論も嘘。20mSvは論外で1mSvだって確率的には障害が起こりうる。

 福島第一原発事故直後には、どちらかと言えば空間線量の高さが問題視されてきた。それが事故の深刻さを表しているからであり、また内部被曝との関係からは直接吸引することになるから当然ではある。しかし、事態の長期化と共に放射能汚染が拡散し、必ずしも空間線量の高くない地域ですら食品等の放射能汚染が問題になり内部被曝への関心が高まっている。原発に限らず、核兵器を含めた原子力政策の推進者達は、これまで内部被曝の危険性その脅威をできるだけ知られまいと、その隠蔽と打消しの論理を作り出すために膨大な費用をつぎ込んできた。その意味で、何よりも最大の核保有国・アメリカ帝国主義福島第一原発の早期の収拾を望んだに違いない。大事故を起こすまでもなく、核の生産=原子炉の運用は被曝労働なくしては成り立たないものであり、また微量の放射能汚染に晒され続ける原子炉周辺の住民は常に内部被曝の脅威の中に置かれてきた、これはアメリカにおいても全く同じである。日本の反原発運動が内部被曝を告発し続けることは、ひとり日本における原発廃止の運動にとどまらず、すべての核(兵器)に反対する世界的な運動への新たな道を開くものになるだろう。それは原水禁運動がもっていた一つの限界を乗り越えるカギでもあるように思える。