正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

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市川定夫著「新・環境学 Ⅲ」からの抜粋

市川定夫先生の以下の論述から、次のことが伺い知れる。
 
① 1954年当時の日本政府は、今日に比べれば、はるかに真             面目に放射能被害から国民の健康を守ろうとしていたこと。
② その時点で気づかなかったとしても、今日的には人工放射性核種が生体濃縮するという事を政府も科学者たちも知っていながら、敢えてそれを認めようとしていないこと。
 ③ 原発推進派と政府は、この真実を認める事が世界的な反原発反核運動に発展することを原水禁運動の教訓として学んでおり、そのためには科学的真実にもふたをしようとしているこということだ。

  
(以下抜粋)
人工放射性核種の生体濃縮について、少なくとも日本の科学者たちがきづくべきであった機会が、遅くとも1954年にはあったのである。それは、同年3月1日のビキニ環礁における水爆実験後に訪れていた。
 この水爆実験により、静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の被災事件がおこったうえに、それに引き続いて、いわゆる「原爆マグロ事件」が起こった。遠洋漁業で獲れたマグロなど回遊魚から高濃度の放射能が次々と検出され、マグロなどが大量に廃棄されるという騒ぎとなって、魚をよく食べる日本人をパニック状態に陥れたのである。
 このとき、日本政府は、懸命の放射能調査を行った。その結果、ビキニ環礁より海流の下流になる海域から採取した海水からも予想以上の放射能が検出されたが、日本に水揚げされたマグロなどからはそれよりもはるかに高濃度の放射能が検出されたのである。そのことは、生物による人工放射性核種の著しい濃縮を示していたが、政府の調査に加わった科学者のだれもが、当時、そのことに気づかなかったのである。
 人工放射性核種も自然放射性核種も同じであるという当時の「常識」つまり先入観が、この重要な事実に気づくのを妨げたのであった。