正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

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反原発と原水禁運動の統一した闘いを一層発展させよう

広島に原爆が投下されてから67回目の8.6を迎える。日本が世界で最初の原爆被爆を体験したにもかかわらず、原発の導入を許してしまったのはなぜか。原水禁運動が「核の廃絶」を言いながら、他方では日々被曝者を生み出している原子炉=原発を正面からとらえようとしてこなかったのはなぜか。また、原発導入以来、一貫して反原発運動を担ってきた人も少なくないが、この運動は必ずしも原水禁運動との共闘関係を築けてきたとは言えない。

 ところで、核に反対してきた科学者の中では核兵器―それを作る原子炉(原発)―人口核物質による内部被曝はひとつながりのものとして一貫性をもっていたのである。これは、武谷三男博士、肥田舜太郎博士、市川定夫博士、高木仁三郎博士などそれぞれ分野は違っても核(兵器)と原子炉(原発)、そこから作られる人口放射性物質による内部被曝を問題にし、原子力政策を批判してきた。

 つまり、反核運動と反原発運動の分断は「核の平和利用」論に圧倒された原水禁運動の担い手(その政治的中心は社会党共産党であった)の責任が大きい。彼らが党利党略に左右されず、核問題を科学的に正面からとらえようとしていたら核廃絶=原子炉の廃絶として「唯一の被爆国」から世界に向かって発信することができたのではないだろうか。

 われわれは「三度許すまじ」と言いながら福島の原発事故を許してしまった。今、首相官邸前には原発再稼働に反対する万余の人々が毎週抗議の声を上げている。人々を欺き続け、子どもたちの未来を不安に陥れ、飛散した放射能への対策・使用済み燃料などの処理も一切無方針のまま原発再稼働へ突き進む政府への怒りが渦巻いている。
 官邸前の抗議を「原発反対」に絞るのは構わない。しかし、原発反対と言う時それはプルトニウム(=核兵器の原料)生産反対とも言っている事なのだ(自分では意識していようといまいと)。今日、世界各国で原発が稼働し、日々プルトニウムが生産されている。しかし、核燃サイクルが軌道に乗っているところはない。ではその過剰なプルトニウムは何に使われているのか、言わずもがな核兵器に使われているし、使おうとしている。 原子力基本法に「安全保障に寄与する」と入れたのはそのためだ。
 原発反対とはすべての核に反対することであり、核兵器の廃絶を求めるなら、原発廃炉以外にない。
原発原水禁運動の統一した闘いを一層発展させよう。