正道有理のジャンクBOX

経験から学ぶことも出来ないならば動物にも及ばない。将来の結果に役立てるよう、経験や知識を活用できるから人間には進歩がある。

正道有理のジャンクBOX

原発汚染水の海洋放出を絶対許すな

 汚染水放出への怒りを排外主義の扇動でごまかすな!

菅義偉首相は7日夕、首相官邸で全国漁業協同組合連合会の岸宏会長と会談し、東京電力福島第1原発から出る放射性物質トリチウムを含む処理水の処分方針について意見交換した。会談後には記者団の取材に、処分方針を「近日中に判断したい」と表明したが、一方の岸会長は政府が目指す海洋放出に「絶対反対との考えはいささかも変わらない」と強調していた。

こうした中で、政府は13日に加藤勝信官房長官をトップとする関係閣僚会議を開き、東電福島第1原発にたまり続ける放射性物質トリチウムを含む処理水の海洋放出を行なうとする基本方針を決めた。

政府は処理水を人体に影響が出ないレベルまで薄めて海に流す方法を検討しているが、漁業関係者の不安と怒りは極めて大きい。

この決定をうけ世界から懸念と抗議の声が上がっている。

とりわけ韓国では市民団体がいち早く怒りの声を上げ、マスコミもそれを取り上げているが、それは政府の決定をオブラートに包む極めて悪質なものである。韓国以外の海外の反応をほとんど無視し伝えないという形で、「韓国は日本政府のやることに何でも反対する」「反日」だと宣伝し排外主義を煽っているのである。あたかも韓国だけが嫌がらせのために日本の海産物への輸入規制をしているかのような報道さえある。事実は全くそうではない。こうした嫌韓意識を煽ることによって、汚染水海洋放出への民衆の怒りを帳消しにしたいという意図が透けて見えるではないか。こうしたメディアを使った宣伝に騙されてはならない。

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全世界で怒りと懸念の声が高まっている 

しかし事実は政府が考えるほど簡単に進むとは思わない。

世界24カ国の311の環境団体が「福島第一原発の汚染水を海洋に放出してはならない」とする書簡を日本の経済産業省に届けたことを12日に明らかにしている。この書簡には、世界各国の市民およそ6万5000人が署名している。この書簡を届けた「福島原発事故10年国際署名実行委員会」(各国の環境団体の連合体)の代表は、「福島県をはじめとし、(日本の)多くの人たちが(汚染水の海洋放出に)大きく反発しています。海外からも、憂慮・反対の声が多くあがっています」とさらなる反対の声をあげてほしいと呼び掛けている。

また、これとは別に国際環境団体グリーンピースも同日、日本政府の汚染水放出計画の撤回を求める世界の市民の請願18万3754筆を経済産業省に提出した。

また、IAEAは日本の立場に理解を示していたが、国連のボイド特別報告者(人権と環境担当)らは15日、日本政府による東京電力福島第1原発処理水の海洋放出決定に「深い憂慮」を表明したとされている。

ボイド氏らは「汚染された水が海洋に放出されることで、日本国内外の人々の人権を無視できない危険にさらすことになる」と批判。「海洋放出以外の選択肢もあると専門家は指摘しており、今回の決定には失望させられた」としている。(4月16日東京新聞

 このように、世界中の人々が日本政府の決定に懸念を表明しているのだ。

 トリチウムだけを強調し、それ以外の放射性核種を隠蔽

ところで、少し原発に詳しい人ならトリチウムを含む原発の汚染物質は世界中がこれまでも放出してきているではないか、と疑問を持つことだろう。

事実、トリチウムはこれまでも日本はもとより、韓国はじめ世界中の原発で環境中に放出されてきた。では、福島第一原発の汚染処理水の海洋放出はどこが問題なのか。

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 菅義偉首相は「2年後をめどに放出を開始する」と表明。その内容は
①基準をはるかに上回る安全性を確保し、政府を挙げた風評対策の徹底を取
 り組む
②海洋放出はこれまでも国内で行ってきた実績がある。
③東電は原子力規制委員会への申請や設備工事を経て、事故から30~40年の
 廃炉期間内に海へ流す。
トリチウムの濃度は、世界保健機関(WHO)が定めた飲料水基準の約7
 分の1に薄め、年間放出量は当面、事故前の放出管理値と同じ22兆ベクレ
 ルを下回る水準とする。
というものである。

これに対して、専門家が危惧しているのは、トリチウムだけがクローズアップされていることである。そして、多くのメディアが汚染水を多核種除去装置「ALPS」で浄化しても、トリチウムだけが除去できないと報じている
その一方で原発推進派はトリチウムが放出する放射線は弱い」「自然界にも存在する」「通常の原発でも発生し、基準を満たせば海に流している」水と同じだから体内に摂り込んでも、そのほとんどが排出される」と、海洋放出は問題ないと主張するのである。

では、トリチウム以外の核種は完全に除去されるのか。除去しきれないとすればどの程度なのか。ここが問題になるのだが、この点はほとんど報道されない。

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 東京電力が2020年12月24日に公表した資料によると、処理水を2次処理してもトリチウム以外に12の核種を除去できないことがわかっている。
また、二次処理後においても半減期が長いヨウ素129(約1570万年)、セシウム135(約230万年)、炭素14(約5700年)などが残るとされている。

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増してや、二次処理前の汚染水では上の表のように、ストロンチウム90(半減期28.79年)、セシウム137(同30.1年)など高濃度で半減期の長い放射性物質が大量に含まれたままなのである。

二次処理をせず、薄めただけの「ALPS処理水」 汚染水の定義を書き換えた目眩まし

ところで、東電のホームページには「多核種除去設備=ALPS」について次のように書かれている。

「多核種除去設備」は、福島第一原子力発電所で発生する汚染水を浄化する設備のひとつです。この設備にある、吸着材が充てんされた吸着塔に汚染水を通すことによって、放射性物質を取り除く仕組みになっており、トリチウム以外の大部分の核種を取り除くことができます。なお、汚染水に関する国の「規制基準」は
①タンクに貯蔵する場合の基準、②環境へ放出する場合の基準の2つがあります。
周辺環境への影響を第一に考え、まずは①の基準を優先し多核種除去設備等による浄化処理を進めてきました。そのため、現在、多核種除去設備等の処理水はそのすべてで①の基準を満たしていますが、②の基準を満たしていないものが8割以上あります
当社は、多核種除去設備等の処理水の処分にあたり、環境へ放出する場合は、その前の段階でもう一度浄化処理(二次処理)を行うことによって、トリチウム以外の放射性物質の量を可能な限り低減し、②の基準値を満たすようにする方針です。

 政府も東電も、少なくともこの基準を作った時点では、二次処理を施さない汚染水を海洋に放出することはできないと認識してきたはずであった。また、メディアにも地元漁業関係者にもそのように説明してきたのだ。

ところが、政府と菅政権は「汚染水を水で希釈して放出するのだから安全だ」と主張しはじめた。(もちろん、そうした声は推進派の中から常に聞こえてきてはいたのだが)
そして、驚くべきことに経済産業省は、政府が海洋放出を決めた4月13日に、こっそりと「ALPS処理水」の定義を書き換えていたのである。

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そこで言われていることは「ALPS処理水の処分の際には、二次処理や希釈」によって安全基準を大幅に下回るようにしているのに、規制値を超える放射性物質を含むものと誤解されるから今後はそれを「ALPS処理水」と呼称する、それが風評被害対策でもあると開き直っているのだ。

これまでは二次処理をして規制値以下にしたものを「ALPS処理水」と呼んできた。これからは二次処理をせずに規制値以下に薄めたものも含めて「ALPS処理水」と呼ぶというのである。つまり、これまではコップの中の汚染水そのものを飲めるまでに浄化すると言っていたのに、浄化せずに風呂桶に入れて薄めて流すから毒ではないと言っているに等しい。
13億5千万㎦もある海水の量に比べれば、放出される汚染水が薄められたかどうかが大きな問題なのではない。環境中にどれだけの量の放射性核種が放出されるかが問題なのだ。

政府も東電も、トリチウムは生体内に蓄積されず、ほとんど体外に排出されるから安全だと説明してきたではないか。それは、逆に言えば、トリチウム以外の放射性核種は生体内に蓄積濃縮するという科学的事実を承認してきたということである。

水で薄めても放射性物質の総量が変わらなければ、半減期が過ぎるまでは海を漂うことに変わりはない。そして、それは回遊魚や海藻などによって濃縮され、食物連鎖によって人間が食することになるのだ。生体内で蓄積し濃縮する半減期の長い放射性物質は例え、微量であっても環境中に放出することがあってはならないのだ。

だから、これまで処分できずに来たのではなかったか。

勝手に定義を変えて、高濃度の汚染水も薄めて流せば大丈夫というなら、はじめから海に流すのとどこが違うのか。こんなことは世界の誰も認めはしないだろう。

この先、何十年も汚染水を海洋に垂れ流すつもりか!

原子力規制委員会の調査チームは1月26日、2、3号機の原子炉格納容器の上ぶたが極めて高濃度の放射能で汚染されているとする報告書案をまとめた。

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それによると、メルトダウン炉心溶融)を起こした2、3号機の格納容器の上ぶたの汚染レベルは想定を大きく超えており、2号機では放射性セシウムの濃度は少なくとも2京~4京ベクレル(京は兆の1万倍)で、事故時に大気に放出された量の2倍程度と推計されている。3号機も3京ベクレルと極めて高い。デブリがある格納容器底部の毎時7~42シーベルトにも匹敵する。この上ぶたは直径約12メートル。分厚いコンクリート製の3枚重ねで、総重量約465トン。動かすのは容易ではない。格納容器の上にも下にも毎時10シーベルトを超える線量を放つデブリがあるようなものである。この蓋を撤去して初めて溶け落ちたデブリの取り出しが始まるのである。

このように、次々と難題に直面している福島第一原発の事故処理作業において、溶け落ちたデブリの取り出しはこの先20年~30年で終わるかどうかも見通せていない。その間、高濃度の汚染水は増え続けるのである。

一度、海洋放出を認めてしまえば政府と東電は、順次この汚染水を海洋に流し続けるに違いない。

原水禁では、トリチウム汚染水の「海洋放出」を許さない緊急打電行動として総理官邸への抗議のメッセージ行動を呼び掛けている。

首相官邸ホームページ」⇒「ご意見、ご感想」⇒「首相官邸に対するご意見等」へアクセスしてください。下記URLから直接アクセスできます。 https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

 これからの2年間、諦めることなく「原発汚染水の海洋放出断固粉砕」を掲げ全国の人民は福島の漁民、世界の反核運動と連帯し反対の声を大きくしていきましょう。

原発事故は地震や津波だけで起こるのではない

「10年目の検証」で原発事故を清算するな

3.11から10年目を迎える中で、TV各局は改めて原発事故の検証番組を組んでいる。

その多くは地震津波に対する見通しの甘さを指摘し、専門家の指摘を無視して防潮堤の嵩上げを怠った東電の無責任で杜撰な体質や、事故後も情報を隠し続けてきた隠蔽体質をクローズアップしている。

さらに、最近では事故を起こした一、ニ号機のベント用排気管が上部まで繋がっていなかったという欠陥が、社民党福島みずほ議員の国会質疑を通して明らかになった。この事は、爆発の有無に関わらず、ベントをしていれば大量の高濃度放射性物質を建屋とその周辺地域に放出していたという事だ。

こんな事は「安全神話」以前に、規制委(旧保安院)を含む原発技術者による核に対する緊張感の欠如、驕りでしかない。

ただ、本質的な事は、こうしたことではない。技術上、運用上の問題は今後もまだまだ出てくるに違いない。しかし、それらの問題点が仮に解決し、安全基準が厳しくなれば、原発は安全なエネルギーだと言えるのか。

諸々の検証番組を「10年を節目にした再稼働への布石」「原発事故の清算」にしてはならない。
(2020/10月の記事に加筆更新しました)

福島原発事故はECCS(緊急炉心冷却装置)が未完の技術であることを実証したのだ!

この間の検証番組でも明らかにされているが、これまでの原発事故を見れば分かるように、それらの多くがシステムの誤動作や人為的ミスが複合し、大事故に発展していくことが極めて多いということが分かる。むしろ、地震津波といった要因は全体から見れば特異な条件に過ぎない。それだけ原発は完成されていないシステムだということなのだ。 

 また、本来ならECCS(緊急炉心冷却装置)は、放射能を環境中に放出しない為の最後のよりどころとして、命綱のような役割を求められた筈であるが、実際にはこれが作動すると炉内圧力が急上昇し、想定外の事態に発展してしまう可能性がある。これまでの事故を見ても、ECCSの作動が逆に混乱を引き起こしているものさえある。

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 さらに「全電源の喪失と配管断絶が同時に起きた」という究極の事故を想定し、その条件下でも炉心を冷却し炉内圧力の上昇とメルトダウンを防ぐシステムは、そもそも実証実験さえ出来ないのである。

その意味で、福島原発事故は取り返しのつかない犠牲を払って行った最初の「実証実験」なのであり、まさにこの究極の安全装置=ECCSが未完成の役に立たないものであることを証明したのだ。それを取り繕うための方策がベント基準の厳格化なのである。

 つまり当初の原発技術計画では、絶対解決されていなければならなかった問題――どのような事態に陥ろうとも、絶対に環境中に放射性物質を排出しない――が解決できなかった結果として、炉心が爆発するのを防ぐ為に人類と環境を破壊することを厭わない、ベントという手段によって核物質を含む高圧の蒸気を環境中に放出しようというのだ。
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そもそも、事故に対応する作業というのは高線量下で線量計を携行しての短時間作業を人海戦術的に行うことになり、精神的にも平時とは全く違った緊張状態を強制されること、こうした被曝作業の多くが下請けや非正規雇用労働者によって担われることが多く、全電源喪失などというような極限状態を想定した訓練(たとえば暗闇の中でいくつかあるバルブの一つを手動で開くなど)をすべての現場労働者に行っているとは考えられない。 

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経産省の官僚や政治家、電力会社の上層部はこうした現実を一切無視しており、原子力規制委員会が定めた新安全基準なるものも、およそこれらのことを全く考慮せず、机上でものを言っているに過ぎない。これまでの事故と、何よりも福島の教訓をつぶさに検証する姿勢があれば、こんな杜撰な規制基準で再稼動できるはずがない。
  事故はいつでも起こり得るし原発事故は一旦起きてしまったら止めることができない。できることの方が奇跡といった方がよいのではなかろうか。 

女性蔑視発言を開き直る森喜朗を解任しろ

日本社会には自浄作用も当事者能力も無いのか

東京オリ・パラ組織委員会の森会長が女性差別発言をしてから一週間が経っても、日本オリンピック委員会も政府も全く対応不能に陥っており、「世界から最も遅れた国」としての認知度だけが高まっていく。

最早、森喜朗個人の価値観の問題ではない。このような価値観を生む底流に、それを許してきた日本社会の問題が根深く存在していることを突きつけられている。

東京オリンピックが行われるか否かに関わらず、一人でも多くの人がこの問題を考え、日本が変わる契機になれば違った意味でオリンピックの理念に一歩近づくことになるのかもしれない。

ここではそのための素材として、JOC公益法人日本オリンピック委員会)と公益法人東京オリ・パラ競技大会組織委員会という紛らわしいが似て非なる組織について見てみようと思う。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、公益財団法人日本オリンピック委員会JOC)と東京都により2014年1月24日に一般財団法人として設立され、2015年1月1日付で公益財団法人になった。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

評議員

川淵三郎日本サッカー協会相談役)
遠山敦子トヨタ財団顧問、元文部科学大臣
木村興治(JOC名誉委員)
福田富昭JOC名誉委員、日本レスリング協会会長)
長谷川明(東京都副知事
梶原洋(東京都副知事

※ この評議員は、会長、副会長を含む理事の選任権を持っている。

菅総理は東京オリ・パラ組織委員会の顧問会議議長だ

そして、菅総理は国会答弁で盛んに「公益法人の独立」を強調したが、責任逃れも程々にすべきだ。
また、自民党の広報本部長として、唯一自民党の女性理事として組織委に名を連ねている丸川珠代よ、いつまで沈黙するつもりか!

この、公益法人東京オリ・パラ組織委員会には、顧問会議として内閣総理大臣と衆参議院議長が名を連ねており、特別顧問には麻生太郎はじめ7名の閣僚や財界人が入っている。しかも、驚くべきことに安倍晋三は「名誉最高顧問」というのだ。なんという不名誉な事だろう!!

 ・名誉最高顧問 元内閣総理大臣 安倍晋三
 ・最高顧問、議長 内閣総理大臣 菅義偉
 ・最高顧問 衆議院議長 大島理森
 ・最高顧問 参議院議長 山東昭子

また、特別顧問は以下の通り。
麻生太郎、櫻田謙悟、加藤勝信堤義明、中西宏明、三村明夫、吉野利明

そして、顧問には野党を含む国会議員の多数が名を連ねているのだ。どこが「別法人だから関与できない」だよ! 菅総理は顧問会議議長として、会議を招集し森会長の辞任を勧告することだって出来るではないか

JOCの上位に立つ東京オリ・パラ組織委

JOC日本オリンピック委員会)の会長は山下泰裕氏である。だが彼は東京オリ・パラ組織委の中では副会長である。この一事をもって明らかなように、国際組織であるJOC公益法人日本オリンピック委員会)よりも、公益法人東京オリンピックパラリンピック組織委員会の位置が高いのである。

なぜならJOCはオリンピックにアスリートを送り出す組織であり、東京2020組織委員会はオリンピックというイベントの財源を調達し、アスリートに競技をさせて利益を生む組織なのだ。東京2020組織委員会=東京オリ・パラ組織委員会にとって、アスリートもボランティアも金儲けのための人材に過ぎない。
そして、これには電通などが大きくかかわっているは周知のことであろう。

一方、JOCにもスポーツ振興団体や多くのスポンサー企業・財界などからの委員が参加する「評議員会」がある。しかし、これも実質的には「東京オリ・パラ組織委員会」の下部機関であり、賛助機関のようになっている。 
事実、森喜朗氏の女性蔑視発言は、この臨時評議員会の席上で行われたものだった。

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森会長の調整能力とは 集金力と利権誘導能力なのか?

森発言を擁護する者たちの理由が、「余人をもって代えがたい」とか森氏の調整能力を上げている。しかし、ここで言っている「調整」とは何を指すのか。

東京オリ・パラ組織委員会の役員構成を見ても明らかなように、名誉会長・御手洗富士夫経団連名誉会長)を筆頭に、理事にはそうそうたる財界人が名を連ねている。JOC評議員も大半はスポーツ振興団体の肩書を持つ人で占められているが、三菱電機(株)、イオン(株)、トヨタ自動車(株)などが名を連ね、日本商工会議所経済同友会も議員を出している。また、スポーツ振興団体はそれ自身としてのスポンサーをもっており、このすそ野は広い。

つまり、こうした広範な利権に絡む方面に顔が利く(言ってみれば集金能力が高い)ことを「調整できる」というのだろう。

おそらく、この人たちは資金を集めること、利権を誘導する事がオリンピックの成功にとって最も重要なのだと信じて疑わないのだろう。この人たちにとっては、端から女性の意見など聞こうとは思わないだろうし、「オリンピックの理念」など眼中にないから、そもそもアスリートの声さえ聞く気はないに違いない。

神の国」発言に通じる家父長制的なアナクロニズム

森喜朗氏の「女性差別」発言は根が深い。それは依然として日本社会にはびこっている無自覚な女性差別の本質に関わるものであり、森氏の「神の国」発言にも通じている。 

この「神の国」という発想は国家神道であり、天皇万世一系とし、家父長制によって貫かれた「国体」を標榜する思想である。
明治憲法下の日本では、天皇を頂点とし家父長的家族制度を土台とする男尊女卑が貫かれてきた。それは戦後においても戸籍法として生き残り、結婚や相続、子どもの認知をはじめ、風俗習慣の中で民衆の意識を縛りつけてきた。
夫婦別姓が長い間進まないのも、このような価値観の支配から脱却できていないからだ。

仮にオリンピックが出来なくなても、グローバルスタンダードを日本に迫る契機になるならば、歴史的な大会をやり遂げたのと同じほどの価値があるといえるだろう。

菅首相は日本学術会議会員6名の任命拒否を曖昧にするな!

内閣官房ー内調による行政介入を許すな!

菅首相日本学術会議の推薦名簿のうち、6名の会員の任命を拒否したことで、「210人の会員で組織する」(日本学術会議法第七条)という規定に満たない違法状態が続いている。菅首相はこの6名の任命を何故拒否するのかという正当な理由すら説明出来ていない。

コロナ禍の「非常事態宣言」という情勢下にはあるものの、そのどさくさに紛れてこの問題をうやむやにすることは許されない。

ところで、この6名の任命拒否リストを作成した陰の人物が内閣官房副長官杉田和博であると言われている。

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杉田は1966年に警察庁に入庁したキャリアであり、1993年神奈川県警本部長を経て94年警察庁警備局長、97年から内閣情報調査室長。2001年1月の中央省庁組織改革により内閣情報調査室長が内閣情報官に格上げされたのを機に初代情報官。同年4月から内閣危機管理監に着任、2004年に退官し、JR東海顧問となり、同時に財団法人世界政経調査会会長に就任。
2012年に官僚に復帰し内閣官房副長官となり事務方のトップとなる。2017年からは内閣人事局長を兼務。

内閣官房副長官は日本のインテリジェンス機構を横断的に統括するポストであり、実体的な権力機構の要である。しかも、その同じ人物が霞が関の官僚の人事権を一手に握っているのである。

このような内閣官房への権力の集中は、戦前の内務省と同じような構造を示していないだろうか。

一)戦後、内務省の解体と内務官僚の残滓

内務省についてWikipediaには次のように記述されている。

日本の敗戦後、内務省は陸海軍の解体・廃止に伴う治安情勢の悪化に対応するために、警察力の増強と、特高警察の拡充を行うつもりでいた。1945年(昭和20年)8月24日、政府は「警察力整備拡充要綱」を閣議決定し、帝国陸軍・海軍と憲兵の解体によって、治安維持の全責任を内務省・警察が担うことを決めた。
1. 警察官数を現在の定員(9万2713人)の2倍にする。
2. 騒擾事件・集団的暴動・天災などに対処するため、集団的機動力をもつ「警備隊」
 (2万人を常設し、必要あるときは4万人を一般警察官によって編成する)を設置す
  る。陸海軍と憲兵なき現在の警察の装備では鎮圧が困難なので、軽機関銃・自動短
  銃・小銃・自動貨車(トラック)・無線機などの武器や器材を整備して、「武装警察
  隊」を設置する。
3.海軍なき後の領海内警備のために、水上警察を強化(1万人)する。

以上3つがその計画であり、警察を軍隊の代わりにすることを意図していた。1945年9月7日内務省陸軍省海軍省と協議し、復員軍人を警察官に吸収する計画を立てた。警備隊・武装察隊・水上警察の上級幹部として、陸軍大学校海軍大学校出身者と優秀な憲兵将校を2,000人採用し警部補には陸軍士官学校海軍兵学校出身者を充てることがその内容であった。

特高警察は大幅な拡充を計画し、「昭和21年度警察予算概算要求書」には、特高警察の拡充・強化のために1900 万円が要求されていた。内容は、①視察内偵の強化(共産主義運動、右翼その他の尖鋭分子、連合国進駐地域における不穏策動の防止)、②労働争議、小作争議の防止・取締り、③朝鮮人関係、④情報機能の整備、⑤港湾警備、⑥列車移動警察、⑦教養訓練(特高講習、特高資料の作成)の計7点である。
政府・内務省は、警察力の武装化特高警察の拡充・強化によって、敗戦による未曽有の社会的悪条件の下にある民心の動揺を未然に防止し、不穏な策動を徹底的に防止することを企図していた。

1945年10月5日、日本政府はこれらの計画に対するGHQの許可を求めたが、GHQによって拒否された。それに先んじてその前日、GHQ特別高等警察や政府による検閲、更に国家神道の廃止を指示、さらに内務省のもとでの中央集権的な警察機構の解体・細分化を求めた。また、警保局や地方局を中心に公職追放の対象を提示した。

このGHQの方針を受けて中堅・若手の内務官僚は省最後の式典に集まり「必ず将来、内務省を復活させます」と、内務省の先輩に誓って解散したという秘話が伝えられている。また、内務省廃止の日に開かれた別れの酒宴で、居残り組(総理庁官房自治課)の中心である鈴木俊一は、内務省の先輩達に対して「私があとに残って、必ず内務省を元通り復活させてみせます」と誓ったとされている。

内務官僚の中堅幹部は一旦は公職追放された者も、52年頃には解除となり公職に復帰した者も多い。
一般に、帝国憲法下の内務省と言えば「特高警察」で悪名高いが、それが全てではない。地方行財政に対する強大な監督権(特に地方財政監督権)を持ち、警察、土木、衛生は勿論のこと、文部・農林・商工・交通、そして国家神道にいたる行政関係のすべてに対し非常に強い権限を行使していた。国家総動員体制が容易に進められたのも、このような中央集権的行政機関による統制力の強さがあったと言っていいだろう。

それ故、GHQは当初こうした中央集権的行政機構を解体しようとしたが、戦争で疲弊した地方を立て直し、早急に民生の安定を図るためには、その道に通じた内務官僚の力を借りざるを得なかった。加えて、戦後革命情勢と朝鮮戦争の勃発によって治安の安定化が求められ、親米反共の日本社会を形成するために内務省・警備警察(特高警察)の力を利用する必要に迫られたという事情もある。

 こうして旧内務官僚たちは内務省復活の思いを秘めながら、後継組織となった現在の総務省警察庁国交省厚労省などに分散し、またある者は地方行政官として、またある者は政府系機関や財界のシンクタンクとして、戦後社会の中に親米反共の保守的価値観を定着させるという戦略的役割を果たしてきたのである。

一方、「国家行政組織法」と同法に基づく各省庁「設置法」は内閣府以外の各省庁の任務・所管業務を細かく定めている。1948年、憲法と並行して作られたこの法律は、必ずしもGHQの主導で作られたという訳ではないが、戦前の中央集権化された内務省型の行政機構を解体し、国家による統制を分散させる結果をもたらした。

近年、自民党政権は「縦割り行政」の弊害や省益重視の官僚機構をことさらに批判し「行政改革」と称して省庁横断型の行政を進めようとしている。
しかし、それは必然的に内務省型の中央集権的な国家統制を志向するものとならざるを得ないということを忘れてはならない。


そうした中で、内閣総理大臣官房調査室として作られた諜報機関は最も旧内務省の性格を強く残した組織だと言えよう。そして省庁の所管業務や利害を超えて政府中枢の政策を左右する諮問機関としてまた権力の実体として影響力を強めることになる。

二)内閣情報調査室の歴史

① GHQの占領と朝鮮戦争の勃発

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内閣情報調査室の歴史は、1950年の朝鮮戦争勃発から1952年のサンフランシスコ平和条約の発効という情勢を背景に、GHQが日本を反共防波堤として再軍備させようとしたことと吉田茂の日本版CIA構想に遡る。
・1950年 朝鮮戦争勃発。GHQが日本の再軍 備計画⇒警察
 予備隊
・1952年 GHQ参謀2部(G2)部長のチャールズ・ウィロ
 ビーのもとに軍事情報部歴史課の特務機関として「河辺機
 関」が作られる。この「河辺機関」にはG2が認めた旧日
 本軍の佐官級幹部が集められ、その多くを保安隊(警察予備隊が改変され、保安庁のもとに作られた自衛隊の前身組織)に入隊させた。

・この時、吉田内閣の軍事顧問であり、且つCIAの協力者(POLESTAR-5)でもあった辰巳栄
 一は、吉田をGHQウィロビーと引き合わせ、警察予f:id:pd4659m:20210122195036j:plain備隊の隊
 員召集にも尽力した。

・また、辰巳は「河辺機関」ともかかわり、その後「河辺機
 関」が「睦隣会」に名称を変え「官房調査室・別班」として
 活動を開始するまでその中心的役割を担った。これが現在の「世界政経調査会」である。

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吉田茂の日本版CIA構想

サンフランシスコ講和条約の発効を目前にし、対共産圏を睨んだ総理府の情報機関設立が計
 画された。それはソ連や中国など「共産圏」の動向はもとより、軍事力を奪われた日本が情
 報を武器として外交交渉を有利に進めるために、世界の情報を収集することが重要であると
 いう考えによるものであった。
 他方、GHQは占領期間中、参謀第2部(G2)のウィロビー部長が中心になって諜報活動を行
 い キャノン機関など工作機関ももっていた。しかし、これらの活動も占領終了とともに形
 式上は終了する。そこで、その代替として、アメリカが大戦中の諜報機関を改編して作った
 中央情報局(CIA)を参考に、日本版CIAを作るという構想が持ち上がった。

・この構想は、吉田にとってはGHQが撤退した後の国内の共産党をはじめとした左翼勢力の情
 報を収集・監視する総合情報収集機関を設置したいという考えとも合致していた。

・また、当時官房長官だった緒方竹虎朝日新聞副社長)は日本版CIAとして世界水準の情
 報機関へと拡大する構想を描いていた。彼自身もCIAと緊密な関係を持っており、CIAもこ
 の構想のための財政支援もしていた。

・吉田は、この構想を緒方竹虎内閣官房長官に委ね、この調査機関を土台として、組織の拡張
 または別組織の立ち上げを行うことで日本のインテリジェンス機能を強化しようと考えた。
 当時は、戦前に大陸にばらまいてあった諜報網がまだ生き残っていた。いうまでもなく、ア
 メリカが一番知りたいのはソ連中国共産党の情報だった。占領期間中は辰巳を始め旧軍関
 係者がウィロビーたちに協力し、情報を供与していた。この中国情報と交換でアメリカCIA
 から情報提供を受けるというところまで話は進んでいた。
 ところが、敗戦前からの遺産は、時間とともに色あせ、戦後のアメリカが必要としている情
 報としては新鮮味のないものとなっていた。もう一つ決定的なことに、CIA は秘密保護法を
 もたない日本は、情報漏洩の危険性が高く情報をバーターできないと考えていた。他方、外
 務省は内調が対外情報の分野に入り込んでくることに強い警戒感を持っていた。

・緒方は内調を「世界中の情報を全てキャッチできるセンターにする」という構想を持って
 いたがこれに対して読売新聞をはじめとする全国紙が「内調の新設は戦前(世論形成のプロ
 パガンダ
思想取り締まりを行い)マスコミを統制した情報局の復活だ」として反対運動を
 展開した。
これにより一気に世論の批判が噴出する。そしてこの構想は国会で潰される事に
 なる。

③内閣情報室の設置

・結局、「弱いウサギは、長くて大きな耳を持つ」という日本版CIA構想は頓挫する。吉田は
 国家地方警察本部、外務省、法務府特別審査局にそれぞれ情報機関設置のための案を作らせ
 国警の村井順が「内閣情報室設置運用要綱」を、外務省が「内閣情報局設置計画書」を、法
 務府特別審査局が「破壊活動の実態を国民に周知させる方法等について」をそれぞれ提出し
 た。こうして採用された村井案に基づいて内閣総理大臣官房調査室(のちの内閣調査室)が
 政令によって作られ、キャノン機関の推薦もあって、初代室長には警察官僚の村井順が就任
 した。

※ キャノン機関はG 2直属の情報機関であり、多数の日本人工作員を組織し、河辺機関の他にも柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関等の工作員組織を傘下においていた。当時すでにアメリカとソ連との対立が顕在化し、また朝鮮半島での緊張も高まるなかで、主に朝鮮半島情報の収集やソ連スパイの摘発とともに、日本国内の共産主義勢力を弱体化させることを任務としていた。
当時、レッドパージ公職追放が進められる中で、共産党員やその同調勢力に対する弾圧の実践部隊

・国家警察本部の警備課長であった村井は、G2(参謀第二部、検閲や諜報)、CIC(対敵諜
 報部隊)CID(犯罪捜査局)への報告や連絡を忠実に実行したことがキャノンに評価された
 のだろう。

しかし、初代室長となった村井順は、海外出張時に外務省が仕組んだとみられるトラブルに巻き込まれ失脚する。この後、調査室が大規模な「中央情報機関」となる事はなかった。当時の世論がそれを許さなかったからである。

マスコミや世論の大きな批判と警戒の中で発足した内調は、幾度かの改変を経ながら今日に引き継がれてきた。そして現在においては、外事・公安警察公安調査庁防衛省情報本部等のインテリジェンス機構との連携を深めつつ、国家の意思決定において極めて大きな影響力を持つに至っている。
その一方で、独自の対外的情報網という点では他の先進諸国に比べて充実しているとは言えない。日本が独自の軍事戦略を持てないのはそれも大きく作用しているとは言えないだろうか。

④親米反共の国内体制―治安政策のための諜報組織

設立当初は、村井以下わずか4人(村井順、三枝三郎、岡正義、志垣民郎)ではじまった官房調査室f:id:pd4659m:20210122221431j:plain〔『内閣調査室秘録』〕の活動は、初めから国内治安を意識した反共工作、左翼的政党や戦後民主主義の推進者に転じた知識人・言論人を籠絡し、牙を抜き去ることだった。その背景には左の表に列挙したような「平和と民主主義」を求める民衆の闘いがあり、日米支配層はこれが共産主義思想と結びついて戦後革命に発展することを何よりも恐れていたのである。そして、今日に至っても内調の役割が思想統制と人民の監視にあることは全く変わっていない。むしろ、ますます旧内務省時代の特高的な動きを加速させていると見ていいだろう。

 


 三)内閣情報調査室の変遷

 このように、対外的な諜報機関としては制約された、しかし国内的には徹底した治安の観点からのインテリジェンス機構として出発したのが内閣官房調査室である。そして、これは何度かの組織改編を経て今日に至っているが、その基礎を作っているのは旧内務省特別高等警察特高であり、旧日本軍の諜報部隊出身者である。さらに、その形成過程が①に見たように、中国革命―朝鮮戦争に続く戦後革命への人民の闘いのうねり、とりわけ国労や教育労働者の闘いを軸とした労働運動の高揚に対する予防反革命としての役割を担っていた。同時に反共防波堤としての日本帝国主義がその城内平和を維持するための思想監視とプロパガンダのための組織として成長してきたのである。

そして、内閣情報調査室は今日、各省庁の情報機関、警察、公安調査庁自衛隊、さらに民間の情報組織、報道機関等、あらゆる組織の中に根を張り、それは戦前の情報局を凌ぐ組織となっていることを見逃すわけにはいかない。この組織は「平和」な時にはもっぱら世論を誘導し保守的価値観を拡散するプロパガンダを、階級対立が深まり政権が危機に陥ったときは、政権に批判的な(あるいは反米的な!)市民、及び行政職員・官僚たちの動向を監視し、これを籠絡し、潰しにかかる「特高警察」の顔として立ち現われるのである。
また、これは自民党政権下は言うに及ばず、政権の交代が行われようと変わることなく一貫して継承されてきたのである。

<冷戦時代の内調>

1952年4月 内閣総理大臣官房調査室(第三次吉田内閣)
 初代室長 村井 順(吉田総理秘書官、国家地方警察本部警備第一課長)⇒ 1953 年12
 月に更迭

1955年 国際部に「軍事班」が設けられ、元海軍中佐の久住忠男らを中心としてベトナム戦争の推移や沖縄に駐留するアメリカ軍の動向などを観察。

1957年8月1日 内閣法(法律)の一部改正、内閣総理大臣官房調査室が廃止され、内閣官房の組織として内閣調査室を設置。

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60年安保をきっかけに内調は論壇の流れをフォローするようになり、安全保障論の育成のために中村菊男、高坂正堯若泉敬、小谷秀二郎ら現実主義的な論客の結集を助け、論議を普及するなどした。現在でも内調は勉強会を数多く行っており、学識経験者や企業を招いて情勢分析を聞くなどしている。

1977年(昭和52年)1月1日には内閣調査室組織規則の施行により、内部体制が総務部門、国内部門、国際部門、経済部門、資料部門の5部門となる。 

1986年7月1日に内閣官房組織令の一部改正により、「内閣調査室」から現在の「内閣情報調査室」となる(5部門体制は継承)

<冷戦後の内調>

 1995年 阪神・淡路大震災が発生。この際、政府の立ち上がりが遅れた教訓から1996年5月11日に内閣情報調査室組織規則の一部改正し、内閣情報集約センターを新設。大災害の際には官邸が自衛隊機を飛ばすなど、積極的な情報収集を行い、また民間との協力体制の確立、マスコミへの情報発信等の情報収集・危機管理体制の改革が行われた。

1998年10月 情報関係機関の連絡調整を図り、国内外の重要政策に関する情報の総合的把握を目的として「内閣情報会議」が閣内に設けられた。これは、内閣官房長官が主宰する次官級の会議で年2回ほど開催される。そして、その下に設置されたのが「合同情報会議」である。内閣官房副長官が主宰する隔週の会議。省庁横断的な情報関係機関の実務者による会議である。事実上、戦前のような「情報局」が法的根拠を持たないまま作られているということである。

そして、この庶務を行なっているのが内閣情報調査室である。 

【資料】

■ 内閣情報調査室

内閣官房組織令第4条によって設置された内閣官房に属する組織。内閣情報調査室194名と内閣衛星情報センター221名からなり、総勢415名である。

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内調の下部組織の内閣衛星情報センターは、情報収集衛星や外国の商用衛星の画像を用いてイミント(画像諜報)を行っている。また、アメリカ合衆国中央情報局(CIA)・イギリス秘密情報部(SIS)などの外国政府情報機関との間では対等な関係を築いている。

さらに内閣情報調査室内閣官房副長官が主宰する合同情報会議(隔週)、内閣官房長官が主宰する内閣情報会議(年2回)の庶務を担っている。

 ■民間情報組織

内閣官房予算から情報委託費が支出されている民間の情報調査、プロパガンダを担っている組織は非常に多い。その中でも主要な組織としては以下の団体がある。

【財団法人 世界政経調査会】

連合国軍最高司令官総司令部GHQ)参謀第2部(G2)所属の対敵諜報部隊(CIC)の下請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」がその後、「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクとして設立された。 

 所在地:東京都港区赤坂2-10-8
 会長 2005年7月~ 杉田和博 (現内閣官房副長官)                       
    2013年2月~現在 植松信一(三井住友銀行顧問)

 <設立時の主要メンバー>
●河辺虎四郎(陸軍中将、陸士24期、参謀次長)
●下村  定(陸軍大将、陸士20期、陸軍大臣
●有末 精三(陸軍中将、陸士29期、参謀本部第2部長、対連合軍陸軍連絡委員長)
●辰巳 栄一(陸軍中将、陸士27期、第12方面軍参謀長、第3師団長)
●芳仲和太郎(陸軍中将、陸士27期、フランス大使館駐在員、トルコ大使館付武官、ハンガ
 リー大使館付武官、西部軍管区参謀長兼第第16方面軍参謀長、第86師団長)
●山本茂一郎(陸軍少将、陸士31期、第16軍参謀長兼ジャワ軍政監)
●西郷 従吾(陸軍大佐、陸士36期、オーストリア大使館付武官、大本営ドイツ班参謀、
 南方軍参謀緬甸方面軍参謀、第23軍参謀、第20軍高級参謀)
●萩  三郎(陸軍中将、陸士29期、北部軍管区参謀長兼第5方面軍参謀長、札幌復員局長)
●真田穣一郎(陸軍少将、陸士31期、大本営作戦部長、陸軍省軍務局長)
●佐々木勘之丞(陸軍少将、陸士28期、陸軍中野学校学生隊長)
●石戸 勇一(陸軍大佐、陸士30期、太原特務機関長)
●甲谷 悦雄(陸軍大佐、陸士35期、参謀本部ソ連課参謀、ソ連大使館付武官輔、大本営戦争
 指導課長、ドイツ大使館付武官輔佐官、公安調査庁参事官、KDK研究所長)

【国際情勢研究所】

一般財団法人世界政経調査会の研究部門。内外情勢の分析、判断やそのための調査・研究。研究会等を開催。2億円程度の収入の90%以上が内閣官房から情報調査委託費。

役員には元警察官僚が名を連ねている

所在地 東京都港区西新橋3-24-9 飯田ビル7階
会長 折田 正樹(東大政治学科 外務省入省 宇野、海部内閣の大臣秘書官を経て外交官)

【一般社団法人 内外情勢調査会

株式会社時事通信社の関連団体(会長は時事通信社社長)

国内外の情報の収集・調査・分析を行い、それに基づいた啓蒙をするのが主要な目的である。世論形成のプロパガンダ機関。
政財界・官庁などの首脳、自治体首長、海外の駐日大使等の著名な専門家による講演会を開催し「国民の知識向上と理解増進」を諮るということになっている。
理事には、内閣情報調査室への出向経験がある元警察官僚、元外務官僚、元大蔵官僚が名を連ねている。

 

付録)
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「戦後日本の国家保守主義――内務・自治官僚の軌跡」(中野晃一)

この本へのレビュアーを一部転載する。

中曽根康弘正力松太郎/小林與三次(よそじ)等、特高/内務省関係者が戦後どこに異動したかを淡々と追うことで、前近代的な日本の超国家主義がどう現代に繋がっているか、そして中曽根康弘からの新自由主義がどう超国家主義を自壊させ、形骸だけの道徳/暴力国家が誕生したのか、を浮かび上がらせようという意欲作。
・小林與三次は、メディアの官報化を目指す「日本広報協
 会」会長や読売新聞/日本TV社長へ
鈴木俊一は、考えない社会を目指す「日本善行会」会長
 へ
・林 忠雄は、国畜化を推進する「地方自治情報センター
 理事長へ

・石原信雄は、ブラック労働を推進する「パソナアドバイザリー・ボード代表へ
・柴田 護/花岡 圭三/小林 実は、自治の名の元に不透明な機関を支援する「日本宝くじ協会」理事長へ
・警視庁警備局長/内閣情報調査室長/内閣情報官/内閣危機管理監を歴任した公安畑出身の杉田和博は、1994年に東電
 顧問に天下りした後、2012年末第二次安倍内閣官房副長官

中曽根康弘以降の新自由主義推進は「国家に過度な負担をかけることなく前近代的な規範の下に国民を統合する」
 国家保守主義と親和性があったが、官僚が国家の権威を傘に着て自らの権益を確保することで国家保守主義の空洞
 化を招き、第二次安倍内閣の「心のノート」等の洗脳教育である「道徳」や、杉田和博のような公安官僚登用や軍
 事費増額、そして近代憲法の廃止のような暴力による保守的国民統合が図られるようになった。

中曽根臨調や小泉靖国参拝など、国家保守主義が自滅して暴走してきた様子を、多くの人が知ることは大事なことかと思います。地味な本ですが、大事な視点でした。(Utah)


戦前の日本では、内務省は内政・民政の中心となる行政機関であり、「国家の中の国家」と呼ばれるほど権勢を振るった。
戦後、1947年に内務省は廃止されたが、自治庁(現在の総務省)、警察庁国土交通省、および厚生労働省へと人脈は引き継がれていく。本書は、旧内務省自治省等の幹部クラスの人事(本省から天下り先まで)を丹念にデータベース化し、
それを分析したものである。この分析により、戦前も戦後も変わらない「官僚主権国家」の骨格を、レントゲン写真のように見事にあぶりだした労作である。
本書は、「国家の権威のもとに保守的な価値秩序へと国民の統合を図る政治思想とその制度的な基盤」を「国家保守主義」と名付けている(「おわりに」より)。この保守思想は、1970年代末から時代の変化に合わせて、新自由主義的転換(つまり弱肉強食の推奨)を図り、現在に至っている。かつての保守主義は、「国民統合」の欺瞞を続けるために、復古的歴史認識、復古的道徳教育、軍国主義など、空疎極まりない、理念なき「保守主義」と化した。この事実は、近隣諸国ばかりか、欧米諸国からも見透かされていることは、最近の報道から明らかであろう。

税金による雇われ人に過ぎない官僚が権力を振るうには、「虎の威」を借りることが不可欠である。官僚にとっての「虎の威」は、戦前は天皇であり、戦後は対米従属である。官僚から見れば、国民は「愚民」であり、政治家などは、「官僚の掌で踊るしかない無知な木偶の坊」でしかない。本書で分析されたように、旧内務省人脈だけに限っても、得体のしれない多数の天下り団体を設立し、その幹部に天下るのが、常態化されている。「官僚主権国家」は、官僚が国民にたかり続ける「シロアリ国家」そのものである。

本書の分析を参考にすれば、日頃は無知な政治家の陰に隠れている「官僚主権国家」が、その本性を剥き出しにするのは、その利権が脅かされた時であることが分かる。特別会計の闇を暴いたことが無関係とは考えられない、石井紘基議員の刺殺事件(2002年)、西松建設の違法献金事件で「自民党に捜査が及ばない」と発言した漆間巌内閣官房副長官警察庁出身)(2009年)などはその片鱗である。最近では、警察庁出身の内閣官房副長官が中心となってまとめた秘密保護法がある。この法律こそ、「官僚主権国家」が、官僚の掌で踊る政治家達を抱き込んで成立させた稀代の悪法である。本書は、「国家保守主義」がなりふり構わず秘密保護法に突き進んでいった背景を深く理解させてくれる。(つくしん坊)

防衛予算、膨れ上がる後年度負担の陰で急速に進む自衛隊の外征軍隊化

海外での実戦訓練に重心を移した「30防衛大綱」「31中期防」

 昨年12月、安倍政権は新しい「防衛大綱」と「中期防」を閣議決定した。

 日本の自衛隊は、これまでも中東侵略戦争を想定した日米合同訓練を重ね、国際貢献を名目に参戦し、今やジブチ自衛隊の軍事基地を構えるまでに既成事実を積み上げてきた。
その上で、新防衛大綱の決定は、安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定(14年7月)を転機にして、従来の専守防衛路線から日本の安保防衛政策を大きく転換させたことを国際的にも国内的にも明確にさせたものである。
それは以下に示す流れをみれば明らかであろう。

 安倍政権は2014年4月1日に、武器輸出三原則を破棄し、これに代わる新たな政府方針として『防衛装備移転三原則』を閣議決定、同年7月には集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。歴代政権が堅持し続けてきた防衛指針に関わる原則をいとも簡単に一片の閣議決定によって捨て去ったのである。

 以降、2015年9月17日―安全保障関連法(自衛隊法の改定も含まれている)の強行採決、同年11月3日―日米防衛協力指針(ガイドライン)の改定、これを受けて2016年11月には南スーダンに派兵される自衛隊に「駆け付け警護」(改正PKO協力法3条5号)「宿営地の共同防護」(改正PKO協力法25条の7)を命令。さらに2017年4月には米艦防護のための自衛隊派遣(改正自衛隊法95条の2 )を発令した。これらの内容は、あまり報道もされないまま常態化しており、米艦防護は2018年だけでも18件に上っている。
 また、2018年9月には、改正PKO協力法3条2号に基づいてシナイ半島への自衛隊派兵の検討が始められている。これは「国際連携平和安全活動」(略せば「国連平和安全活動」となるが内容は全く違う)と呼ばれるもの。従来のPKOが国連の要請という形をとっていたのに対して、これは多国籍軍としての参戦に道を開くものである。事実、こうした実践訓練は陸自に創設された「水陸機動団」=日本版海兵隊をも伴って頻繁に行われるようになっている。

 沖縄の辺野古基地建設が安倍政権の積極的意思で進められている背景には、将来この「陸上自衛隊水陸機動団」(日本版海兵隊)の共同訓練基地として活用しようという目論みがあるからに他ならない。
 その他の動きとしていくつか挙げておくと
●2018年9月27日 核搭載可能な米空軍B52と空自戦闘機が共同訓練。東シナ海で空自那覇基地のF15
 と編隊飛行訓練。九州沖で築城基地のF2と訓練
●2018年9月8日~10月23日 米比合同訓練「カマンダク」で「水陸機動団」(日本版海兵隊)が上
 陸訓練。海外の海岸での上陸訓練は戦後初めて
●2018年10月5日~19日 「水陸機動団」が米海兵隊種子島で共同訓練。自衛隊の演習所以外の日
 米合同訓練は日本初。

 こうして安倍政権は、日米同盟の強化=米軍の指揮の下でその一翼を担うという形をとりつつ日米共同作戦態勢の強化を推し進めるとともに、防衛省自衛隊における軍令系統の権限を強化し、自衛隊の外征軍隊化=侵略のための軍隊化へと部隊編成、攻撃型兵器体系の配備、海外基地の確保、激動するアジア全域での海自の共同訓練活動(さらには中東における陸自の共同訓練)という憲法9条を大きく突き破る既成事実を積み上げ、その延長上で本格的な明文改憲を成し遂げようとしているのだ。

 これらの一連の動向は、単に安倍政権の意思としてではなく、日本の支配階級(政府・財界)がこれまでの専守防衛に特化するという立場を転換し、戦後憲法という制約を取り払い、海外の戦場・紛争地域に積極的に自衛隊を派兵して「人道支援」「復興支援」を口実としつつ自国の利権を守るために軍事力を行使する方向に大きく踏み出そうする欲求の現れである。

 では、このような衝動を強めている背景はどこにあるのか。
それは、日本経済の動向、その構造的変化の中にヒントが隠されている。

日本の経常収支の推移を見ると、2000年代前半まで続いてきた黒字は、リーマンショックが発生した2008年には大きく縮小した。それまで経常黒字の大きな要因であった貿易収支の黒字が大きく減少したためである。

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この貿易収支は、東日本大震災が発生した2011年には、原子力発電所の停止などに伴う原油などの輸入の急増と価格の上昇等により貿易収支は赤字に転化し、それ以降2014年まで4年連続の赤字が続いた。 2015年には原油価格の下落により辛うじて黒字に転じたものの、勢いは弱く小幅のまま推移している。

 このような貿易収支に代わって、経常収支の黒字を支えているのは、第一次所得収支の大幅な黒字によるものである。

第一次所得収支の黒字は2000年頃までおおむね横ばいで推移していたが、それ以降、リーマンショック後の縮小を除けば緩やかな増加傾向で推移した。
 ところで、この第一次所得収支のうち、特に規模が大きいのは投資収益で、これは直接投資収益と証券投資収益および、その他投資収益に分けられる。

そして、特に近年は輸送用機械器具製造業などの製造業を中心とした日本企業の海外進出拡大を背景に直接投資収益が増加しており、第一次所得収支の約3割占めるまでになっている。

他方、日本の経済は、GDPが520兆円弱(しかし大企業の内部留保は440兆円)、国と自治体の借金が既に1100兆円を突破し、国家財政は国債比率が30~40%を占めるまでになっており、すでにプライマリーバランスは破綻している。
 財政再建をこれ以上先延ばしすることは日本経済の危機を促進することに他ならない。
 このように国内経済の収縮に加え、経常収支の黒字縮小化傾向が常態化している中で、逆に直接投資収益のウェイトが一層高まっているのである。

つまり、この直接投資収益を維持し拡大するためには、日本の海外企業の安定的な展開、利権の確保を政府として担保する事が強く求められているのである。これが専守防衛からの転換を促す大きな要因である。

 自衛隊が侵略の為の軍隊へと変貌するとき、その任務・装備・指揮系統・部隊運用面などにおいても、従来のそれらとは次元の異なる実戦能力の高度化と作戦遂行部隊の拡充が求められる。そして何よりも、自衛隊員そのものと、その「供給源」=募兵の条件となる労働者人民の精神的な動員=意識「改革」、すなわち愛国心と国家への忠誠心を高めるために、あらゆる機会をとらえて民衆を扇動するとともに、教育行政への介入が強められていく。
 戦前と同じように「ヒト、モノ、カネ」の全てが「軍事力」として収れんされる行政の在り方へとシフトされざるを得ない。それは、やがて全人民を国家総動員体制へと駆り立てるものにならざるを得ないだろう。

19年度防衛費 ー 高価な攻撃型兵器の購入で膨れ上がる後年度負担

2019年度予算案は3月2日未明の衆院本会議で、与党などの賛成多数で可決され、19年度防衛予算も成立した。その総額は5,2574兆円であり、5年連続で過去最高を更新した。

 防衛予算は防衛大綱で確定する基本戦略(といってもそれは激動する国際情勢の動向を多方面から分析したうえでの積極的な軍事戦略とはいえず、極めて恣意的でなし崩し的な性格をもつものではあるが…)の下で作成された中期防に基づいて編成されている。

*防衛大綱(防衛計画の大綱)は1976年三木内閣が策定した「76大綱」が始まりで、当初10年を見据えた安全保障政策の基本方針だった。
この時点では「仮想敵」は想定されておらず、「所与防衛力構想」は「基盤的防衛力構想」であった。
 しかし、安倍政権になって4回目(「25大綱」=2013年)の改定からは5年毎の見直しに変更され、ここから中国と北朝鮮を名指しで警戒対象に据えたのである。そして、2018年の「30大綱」では海外派兵を見越して、より現実的な戦闘を想定した「戦傷対処能力の向上を含む教育・研究を充実強化する」という方針が新たに付け加えられた。
*中期防(中期防衛力整備計画)は防衛大綱に基づいて整備される最初の5年間
 の装備計画

 

安倍政権になってからの防衛予算の特徴は高価な攻撃型の兵器・装備項目が増加し、右肩上がりで増額し続けていることである。

 ところで、この予算の内訳を見ると、購入装備品(各種兵器・装備品など)の返済額(後年度負担として計上されている)が予算全体の4割を占め、これに人件費・糧食費・隊内生活関連費などを加えた固定経費では予算全体の8割を占める。
新規装備品の購入、諸施設の維持・建設・運用・整備、各種兵器の修理・交換、隊員の訓練・教育などの関連予算(いわゆる自由枠予算)は残りの2割である。

 f:id:pd4659m:20190504153200j:plain つまり、予算そのものは非常に硬直化していて自由度がない。
 防衛予算の4割を占める後年度負担のせいで、自由枠予算が圧縮されており、自衛隊それ自体の維持と独自的な機動戦力強化のために必要な関連予算は6割にも満たないという構成になっているのだ。
 特に、安倍政権は米国政府の「対外有償軍事援助(FMS)」に基づく、高額兵器の購入を増加させてきた。購入元は、実質的にはロッキード・マーチンレイセオン、ダグラス・ボーイングなどの軍産複合体が中心である。
19年度は最新鋭戦闘機F35A(6機・916億円)、早期警戒機E2D(2機・544億円)、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」(二基・2,352億円)などの購入契約を結ぶものとされている。

 このFMSの契約額は12年度予算(民主党の野田政権時)では1,381億円だったが、19年度予算では、12年度の5倍の7,013億円に膨らんでおり、これが後年度負担を大きく押し上げているのである。

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 防衛省にとって、兵器・装備品の購入元(発注先)は大きくいって自国の軍需企業と米軍需企業の2つである。 戦車・艦船・戦闘機・銃火器・弾丸類・情報通信装置・軍用諸施設や、兵器類の部品などのほとんどは自国の軍需企業(三菱重工IHI川崎重工三菱電機東芝富士通…)が購入元であるが、最先端・高性能の兵器・装備品とその配備・運用にいたるまでは、基本的に米軍需企業が購入元である。

 自衛隊の兵器体系は歴史的にアメリカ軍の「ミニチュア版、模倣」であり、国内の軍需企業がそれらを生産する場合は、米国の軍需企業が占有する各種軍事技術に関する特許権に基づくライセンス生産になることが多い(海自のイージス艦、空自の主力戦闘機ですらそうなのだ)。

 したがってFMS契約に基づく兵器・装備品の購入は、防衛省にとってみれば日本では生産できない高性能な兵器・装備品を調達できるという利点がある一方、それらの価格、納入時期などは米国防総省の都合で勝手に変更される(一般に契約時より高額になるし、納入時期も守られないことが多い)という不利な点がある。また、いずれもアメリカの軍産複合体が占有する特許権と軍事機密で「保護」されており、日本はその運用やメンテナンス、部品調達に関しても米軍当局の直接的管理下に置かれることになる。

 このためFMS契約では、購入した兵器・装備品に随伴してくるアメリカ軍関係技術者の人件費、コンサルタント費、滞在費、渡航費など全てをアメリカ側から要求されるままに日本政府が負担しなければならないのである。そして、こうした巨額の経費の全ては後年度負担として防衛予算に計上されるのである。

 2019年度の防衛予算案は18年度当初比1.3%増の5兆2574億円となり、5年連続で過去最高を更新した。新防衛大綱の目玉となった、海上自衛隊最大の「いずも」型護衛艦2隻を事実上の航空母艦に改修するのに必要な調査費として、7000万円が計上された。
 改修対象の護衛艦は「いずも」と「かが」の2隻。防衛省によると、短距離離陸・垂直着陸能力を持つ米最新鋭ステルス戦闘機F35Bの着艦時に発生する高熱に対応する甲板塗料の耐熱性試験や、発着時の騒音が艦内の居住空間に与える影響について調査を行うという。

同じく大綱に明記された陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」は1基1,237億円と見積もった。防衛省は7月に1基約1,340億円との見通しを公表しており批判が高まっていた。そのため巡航ミサイルの迎撃機能追加を見送り減額した。
 また搭載するシステムとレーダーは米ロッキード・マーチン社から直接購入するため、今回の売却額には含まれていない。これらの経費は20年度以降に先送りされた。
 19年度当初予算に計上されているのは、レーダーシステムを除いた1基当たりの1,237億円、それに取得関連経費を加えた総額1,757億円(契約ベース)ということである。

 

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 米政府からの有償軍事援助(FMS)による調達経費の総額は7、013億円。イージス・アショアのほか、F35A6機(681億円)や早期警戒機E2D9機(1,940億円)などが含まれる。19年度の新規契約に伴う装備品の後年度負担は、今年度より2割増の2兆5781億円が見込まれている。

 防衛装備品の支払いを次年度以降に繰り越して積み上がったローンの残高が、2019年度は前年から4000億円増え、5兆円を超す見通しで、借金の返済額だけで年間の防衛費約5兆3000億円の4割を占めることになる。

このようにFMSによる調達費が増え続け、それが後年度負担となって財政全体に重くのしかかっているのが今日の姿である。

 まさに兵器のローンは順次軍需企業に返済していくのであるが、それが高額になってくると防衛予算の硬直化が進み(社会通念でいえば借金で首がまわらなくなり)、自衛隊の日常的な維持・訓練・諸作戦活動、装備品や機材の修理やメンテナンスなどに必要な「自由枠予算」を圧迫して、自衛隊の通常のルーチン活動にも支障をきたすようになる。

安倍政権は、自衛隊の攻撃型軍隊化を急ぐあまり、自衛隊員が活動する環境や人命には目もくれようとない。ここに「自衛隊員が気の毒」とか言いながら、9条改憲を主張する本質が現れている。

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安倍政権は膨張し続ける後年度負担を誤魔化すために、本予算で不足する後年度負担分を補正予算につけ回すということをやっている。本来、補正予算は災害発生時や緊急事態発生時などに編成され、防衛省関連ではこれまで災害出動などの補填として行われたに過ぎなかった。安倍政権は兵器ローンの返済を補正予算に組み込むという暴挙を行っているのである。18年度予算ではP1哨戒機、C2輸送機などの後年度負担分総額3935億円が組み込まれた。そのため19年度防衛予算では、防衛省に課せられる後年度負担は実質的には5.7兆円超ということになる。この補正予算への兵器ローンのつけ回しというカラクリ的手法一防衛省による補正予算の第2の財源化-は、表向きは防衛予算の増加率を少なく見せるという形で、今後も踏襲、増加していくであろう。

 それとは別に、19年度防衛費では在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)も1,987億円と、前年度より10億円増えている。

積極的に「米軍事力の一部」として自衛隊の外征軍隊化を狙う安倍政権

安倍政権がFMSに基づく米軍産複合体からの高額・高性能な兵器・装備品を積極的に購入し続けることが示すものは何か。

それは共通の装備、共通のシステムを整えることによって日米共同作戦態勢における米軍の指揮権の維持・強化、さらに一歩進んで日米合同指揮所体制の強化、そこでの積極的コミットを狙っているということである。

もとより、今の自衛隊の装備(「いずも」型一隻にF35Bを10機ぐらい搭載しても、空中給油機や早期警戒機、早期警戒管制機、大型輸送機などが整っていなければ制空権も、継戦能力も十分とは言えない)は独力で海外展開=侵略戦争を行えるようには至っていない。
 あくまでも「米軍の一部」として参戦し、そこでの部隊運用や指揮の実践を通して侵略軍隊へと飛躍しようとしているということだ。

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無人警戒機グローバルホーク(GH)3機一総額629億円で、20年間の維持整備費は2449億円。このGHの導入に関しては、当初、防衛省整備計画局は「実質的に導入中止」を確認・決定していたのであるが、首相官邸国家安全保障会議が「日米同盟」関係の維持・強化という観点から防衛省整備計画局の確認・決定を反故にして導入することを決定したのであった。
 ※ なお、このGHは、既に1機を導入していたドイツは運用コストが高いという理由で12年度の時点で追加導入を断念したという代物である。

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●戦闘機に搭載可能な長距離巡航ミサイル(射程900km)、高速滑空弾、極超音速ミサイル(音速の5倍)の3種類を購入・配備。

 ※ 米国防省はこれらミサイルの販売を許容していなかったのであるが、しかし日本政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことを見て、更には水陸機動団(日本版海兵隊)の創設とその陸自西部方面隊への配備、「いずも」の攻撃型空母への改造計画という防衛省の一連の動きを見て、これを容認したといわれている。

 こうしたことを見ても、米帝国主義は、目下の同盟国である日本が専守防衛の立場を転換させ、海外の「敵国」(具体的には中国と北朝鮮なのであろう)に対して共同作戦行動を担い得るパートナーとして認定したものと考えられる。
まさに「同盟国やパートナー国に対しては、防衛のコミットメントを維持し、戦力の前方展開を継続するとともに、責任分担の増加を求めている」(「30大綱」)というアメリカの要請に積極的に応えたものが「30大綱」「31中期防」だと考えてよいだろう。

レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート(第四回)

【四】経済主義者の手工業性と革命家の組織

第四章は、ロシア社会民主労働党の党組織はどうあるべきかについて述べている。

「およそ、どのような団体でも、その組織の性格は、この団体の活動の内容によっておのずから、また不可避的に決まるものである」

経済主義者たちの主張は政治活動の狭さのみならず、組織活動の狭さにも表れる。レーニンは経済主義と組織活動における「手工業性」の不可分の結びつきを明らかにすることによって、全国的に統合された民主集中的な党組織の建設を呼びかけている。

 

冒頭で革命家の組織の性格について二つの規定が与えられている。

①「政治的反対や抗議や憤激のありとあらゆるあらわれを結びつけて、一つの総反攻にする全国的で中央集権的な組織」

②「職業革命家からなりたち、全人民の真の政治的指導者たちに率いられる組織」

前者は政治的な任務との関係を、後者はその組織の内部的な性格、構成を示すものといえる。そして、『ラボーチェエ・デーロ』は「雇い主と政府とにたいする経済闘争」のためには、こうした組織などは全然必要ないと述べている、という形で経済主義者を批判している。

1)手工業性とはなにか?

 レーニンはここで、1890年代ロシアの革命的インテリゲンチャが、労働者と連絡をつけサークルを組織していった時代を描写している。青年達は全く無防備な形で、しかし精力的献身的に労働者大衆の中に入り込み組織化を展開した。彼らは労働者や社会の教養ある人々と一定の結びつきをつくり出し、宣伝や扇動に移り、他のサークルや革命家グループと連絡をとりあい、リーフレットや地方新聞を発行し、デモンストレーションに打って出ようとする。すると、たちまち「根こそぎの一斉検挙」がやってきて組織と指導者を奪われてしまうのである。  こうしたサークル的闘いは「根棒で武装した百姓の群れが近代軍隊に立ち向って出征するのにたとえないわけにはいかない。しかも驚嘆するほかないのは、戦闘員が…まったく訓練を欠いていたにもかかわらず、運動がひろがり、成長し、勝利を獲得していった、その生活力である」(P151)。これは、歴史的には避けられないことで、はじめのうちは正当でさえあるが「近代軍隊をうち倒すには、それなりの強固な革命組織の建設に着手しなくてはならない」。 

2)手工業性と経済主義

「手工業性」は、革命運動の成長につきまとう、早期に克服されるべき「病気」であった。ところが、経済主義者はその克服に反対し、これを理論的にも正当化しようとしたのである。

レーニンが述べている「手工業性」とは以下の4点にまとめることができる。

①訓練の不足

②全体としての革命的活動の範囲が狭隘であること

③そして、こうした狭隘な活動によっては、すぐれた革命家の組織などつくれるはずもないということを理解できないこと

④この狭隘さを正当化して、特別の理論にまつりあげようとしていること――この点でも自然発生性のまえに拝跪している。

→(当時のロシアにおける)危機の根本原因は大衆の自然発生的高揚にたいする指導者の立ちおくれである。しかし経済主義者は大衆運動の高揚をもって、指導者が革命的積極性を発揮する必要性を免除されたかのように勘違いしてしまうのである。彼らには労働者大衆の政治意識を高めることも、全面的政治暴露の意義も何一つ理解できないだけでなく、その必要性すら感じられないのである。

→こうした「手工業性」の克服のためには、計画性と統一性のある、理論的にも政治的にも組織的にも訓練された「確固さと継承性を保障できるような革命家の組織」が必要であり、それは政治警察との闘争を抜きには語ることができない。そのためには訓練された職業革命家の組織がどうしても必要になるのであるが、これに反対し、拒絶し、それを正当化するために特別の「理論」まで作り上げてしまうところに「経済主義」の特徴と結びつきが生まれるのである。

3)労働者の組織と革命家の組織

社会民主党の政治闘争は、経済闘争よりずっと広範で複雑である。したがって、これに対応する社会民主党の組織もまた、経済闘争のための労働者の組織とは別のものである。党は労働者階級の利益を代表はするが、理論においても、活動範囲においても、また組織それ自体においても独自性をもっている

②この、労働組合的組織と政治的組織のちがいは、もともと政治的自由の国においては、自明であり、明瞭なことである。

→「ところが、ロシアでは、一見したところ専制の圧制が社会民主主義的組織と労働者団体のあいだのあらゆる差異を消しさっているかのようである。なぜなら、あらゆる労働者団体、サークルは禁止されて」いたからだ。(P167)

経済闘争そのものが政治的性格をおび、社会民主党内の経済主義者が「政治闘争という概念を『雇い主と政府に対する経済闘争』という概念と一致するものと考え」ていたため、「彼が『革命家の組織』という概念を多かれ少なかれ『労働者の組織』という概念と一致するものと考え」るだろうことは当然であった。このような「意見の相違が明らかになるやいなや、もう総じてどのような原則上の問題についても『経済主義者』と意見の一致」をみることはできなかった。(P165)

 

【労働者の組織と革命家の組織との区別と関連

①経済闘争のための労働者の組織

一般的に言って、労働組合は労働者の直接的な経済的利益を守る階級的組織である。

・職業的組織であること

   ・できるだけ広範なメンバーから構成されていること

   ・できるだけ秘密でないものでなければならない。

②職業革命家の組織、あるいは革命家の組織

・ 第一に、また主として、革命的活動を職業とする人々をふくまなければならない。

「だから私は、社会民主主義的革命家を念頭において、革命家の組織と言っている」…レーニンが革命家の組織、あるいは職業革命家という場合、これは社会民主党の党員一般について言っているのではなく、その中心となり革命のために訓練された人々によって指導される中核組織と理解すべきなのだろう。

 権力の弾圧から組織をまもりつつ、広範な人民を党のもとに結集させるということを考えるならば、高度の秘密性が要求される任務をすべての党員に等しく与えることは不可能であり、危険なことである。これはレーニン党組織論の特異性でもあり、経済主義者が「陰謀組織」といって批判した根拠でもあろう。にもかかわらず、ボリシェヴィキが他方では、広範な労働者大衆と結びつき、多くの労働者党員・革命家を結集していたのは事実である。

 つけ加えれば、本質的に非合法である革命運動において職業的革命家が中心となり党を指導し、階級闘争の先頭にたつべきだということは、今日においても、またどの国においても何ら変わりはない。(「職業革命家」の意味については後に詳しく検討する)

・このような組織の成員に共通な標識(共産主義者マルクス主義者?)をまえにしては、労働者とインテリゲンチャのあいだのあらゆる差異はまったく消え去れねばならず、まして両者の個々の職業の差異については言うまでもない。

・この組織は、必然的に、あまり広範なものであってはならず、またできるだけ秘密なものでなければならない。

③党と労働者組織との関係

・ いろいろな国で、それぞれの歴史的、法律的その他の条件に合わせて変化するが、できるだけ緊密であり、複雑でないもの

労働組合の組織と社会民主党の組織とが一致するというようなことは自由な国では問題にならない

つまり,レーニンは,マルクスの中では漠然とていた「政治運動」を厳密に区分けし,そのことによって労働組合運動と社会主義運動との関係についての最大の難問を正しく提起したのである。

《→それを自由な国において「党と労働組合」の関係を漠然としたものに引き戻し、混同させようというグループさえ現れている、なんということだ!》

・革命的組織は労働者の組織にあらゆる援助をあたえ、社会民主主義的労働者は労働者の組織に協力して、その中で積極的に活動しなければならない。だが、社会民主主義者だけが「職業」組合の一員となることができるような条件を要求することは、決してわれわれの利益にならない。それは大衆にたいするわれわれの影響範囲をせばめることになるからだ。

・労働者の組織が広範であればあるほど、経済闘争のために役立つだけでなく、政治的扇動と革命的組織のために極めて重要な補助者としての役割を果たす。

 

専制下のロシアで労働者の組織をどう作るのか

成員が広範なことが必要なのに、また厳格な秘密活動も必要だというこの矛盾をどうやって調和させたらよいか? 職業組合をできるだけ秘密でないようにするにはどうしたらよいか?」

(前半部分は他の国においても言える普遍的な課題を含んでおり、後半は特殊ロシア的歴史的課題と言うことができる。)

そして、このロシア的特殊性において二つの道をあげているのだ。すなわち、

①職業組合を合法化する道

②秘密活動がほとんどゼロになってしまうぐらい「ルーズな」つかみどころのない組織にしてしまうこと

・職業組合を合法化する道……この決定権はツアーが握っている。そして、非社会主義的、非政治的な労働者団体の合法化はすでに始まっている。また、合法化運動はブルジョア民主主義者、挑発者らが旗を振り、労働者や自由主義インテリゲンチャにも追随者がでており、この分野を社会民主主義者が無視するわけにはいかない。

 では何をするのか。ここで、われわれが行うべきことは、この運動内の「毒麦」と闘い、「小麦」を刈り入れ、またその「刈り入れ人」たちを養成すること。

 「毒麦」とは、労働者をわなにかけるために権力が送り込んだ挑発者や、階級調停的・協調的思想を吹き込む輩を暴露すること。「小麦」とは広範な、政治的意識の低い労働者層の意識を引き上げ、政治問題に注意を向けさせること。それを労働者組織の中でおこない、労働者革命家を養成することである。

 「今日われわれのなすべきことは、室内の植木鉢のなかで小麦をそだてることではない。われわれは毒麦を抜きとり、それによって小麦の種子が発芽できるように土壌をきよめ」それができる「刈り入れ人」を養成しなければならない。(P171)

 

 「だから、合法化によってはわれわれは、なるべく秘密でない、できるだけ広範な労働組合組織をつくりだす問題を解決できないのである。…しかし、部分的な可能性でもひらいてくれるなら、われわれは大喜びするだろう」「…あとに残るのは秘密の労働組合的組織《→つまり②の「ルーズな労働組合的組織》だけである」(P172)

 

レーニンは労働者の組織と革命家の組織(つまり労働組合と党)を区別し、非合法という条件のもとで、まず革命家の組織から着手すべきこと、革命家の組織がしっかりとしたものとしてつくりあげられさえすれば、《むしろ》労働組合は「ルーズ」な形のほうがその機能を果たすであろうと述べている。

「もしわれわれが強固な革命家の組織をしっかりうちたてることからはじめるなら、運動全体に確固さを保障し、社会民主主義的な目的をも、本来の組合主義的な目的をも、両方とも実現することができるであろう。もしこれに反してわれわれが、大衆に最も『近づきやすい』と称する(そのじつ、憲兵にとってもっとも近づきやすく、そして革命家を警察にもっとも近づきやすくするところの)広範な労働者組織からはじめるなら、手工業性を脱却することもできないで、我々自身がちりちりばらばらになり、いつも壊滅状態になる……」。

 

→今日、自由主義諸国のほとんどの国で労働組合の権利が認められている。にもかかわらず、労働組合社会主義的綱領を掲げたのは、コミンテルンの指導下でつくられた赤色労働組合以外にはほとんどなかった。しかも、この政治組織と労働組合を一体化させようという誤った試みは当然のこととして失敗に終わった。そして今日、ほとんどの労働組合は例外なく「労働条件と労働者の社会的地位の向上」という、それ自体ブルジョア民主主義の枠内での活動を目的として掲げている。

レーニン労働組合の合法化が切り開く可能性について否定しなかったし、ブルジョア民主主義的権利をも積極的に利用するべきであると主張している。

しかし、同時に、労働組合の合法化にいささかの幻想も抱かなかった。確かに、ロシアの圧制という特殊歴史的条件のもとではあったが、それでは合法化された国々において社会主義運動が前進しただろうか。それどころか、経済主義と労働組合主義が革命運動の足かせとなり、妨害物にさえなってこなかっただろうか

レーニンは次のように述べ、早くから合法化されたイギリスの労働組合が「経済主義」「労働組合主義」に陥ったおかげで、マルクスの当初の期待にも反して、労働者階級を革命的政治闘争からそらしてしまったこと批判しつつ、革命のための政治闘争と経済主義的政治闘争を区別することの必要性を述べているのである。

「徹底的な学者である(そして『徹底的な』日和見主義者である)ウェッブ夫妻の著作〔『イギリス労働組合の理論と実践』〕を一読すれば、イギリスの労働組合がすでにとっくの昔から『経済闘争そのものに政治性をあたえる』任務を自覚して、それを実現しており、とつくの昔からストライキの自由のため、協同組合運動や労働組合運動にたいするありとあらゆる法律上の障害をとりのぞくため、婦人や児童の保護の法律を発布させるため、衛生法や工場法の制定によって労働条件を改善する、等々のためにたたかっていることがわかるであろう」

このことを考えるなら、ここで述べられている党と労働組合の関係が特殊非合法時代のロシアにおける戦術であり、労働組合が合法化されている現代のわれわれにとっては考察の対象ではない、と考えるのは誤りだろう。

初期のレーニンには労働組合論がなかった、労働組合を重視したのはずっと後からだったなどと、レーニン労働組合論の変遷を批判する論もあるが、労働者組織の中に党の影響力が広く深く浸透し、実質的に労働組合の意思を代表するようになれば、おのずと労働組合組織と党との緊密さが増すのは当然であり、それでも労働組合と革命党のあいだに一線を画し、労働組合を固定した概念に閉じ込めようとすることのほうが非現実的であり、反動的である。つまり「緊密な結びつき」は、労働者のなかでの革命党の影響力の程度に応じて変化するのであり、だからこそ、革命家の組織をうちたてることから始めなければならないのである。

 

4)組織活動の規模

経済主義者は「社会は革命的活動に適した人物をきわめて少数しかうみださない」「工場で十一時間半も働く労働者は扇動家としての役割しか果たしえない」と言って、せまい経済闘争の立場から、革命家は工場の労働者の中からしか生みだされないと考え、また労働者が職業革命家へと飛躍することを否定するから革命的人材を見つけることができないのだ。

「人がいない、しかも人はたくさんいる。…人がたくさんいるというのは、労働者階級ばかりではなく、ますます多種多様な社会層が、不満を持つ人々、抗議したいと願っている人々、絶対主義との闘争に応分の援助をあたえる用意のある人々を年ごとにますます数多く生みだしてくる」という意味であり、「人がいないというのは、指導者がいず、政治的首領がいず、また、どんなにわずかな勢力でもあらゆる勢力に働く場をあたえるような、広範であると同時に統一ある、整然たる活動を組織することのできる、才能ある組織者がいない」ということだ。(p189)

 

つまり、行動に適した革命的勢力の不足という問題は、人材がいないのではなく、彼らを活用する才能を持った指導者がいないということなのだとレーニンは指摘している。

そして、その結果「革命的組織の成長と発展は、…労働運動の成長に立ち遅れているだけではなく、さらに人民のすべての層のあいだの一般民主主義的運動の成長にも立ち遅れている」

そして、専門化と集中化の問題、および労働者革命家を育てることを提起している。

<専門化と集中化>について(p190-191)。

① 「政治的扇動家だけでなく、社会民主主義的組織者も『住民のすべての階級のなかにはいって』いかなければならない」(→単に扇動の対象にするだけでなく)

② 「組織活動の幾千のこまごまとした機能を、種々さまざまな階級に属する個々の人たちに分担させること(――専門化が足りないことは、われわれの技術的欠陥だ)。

  共同事業の個々の「作業」が細かくなればなるほど、この作業を果たす能力のある(そして、大多数の場合に職業革命家になるにはまったく適していない)人物をますます多く発見できるし」、警察がこれらの局部的な働き手を一網打尽にすることは不可能である。

③ 運動の機能を細分しながらも、運動の全体性、計画性を保障し、この運動そのものは細分させず、さらにこの機能を担う人々が「自分の仕事の必要性と意義とに対する信念―そういう信念がなければ彼らは決して仕事をしないだろう―」をいだくことが必要である。そのためにも「試練を経た革命家の強固な組織」によってしっかりと秘密が守られること、それが党の力に対する信念を高める。

④    運動に引き寄せられる「外部の」分子によって、運動が軌道からそれされる危険性を避けるためには確固たる理論的基礎にたって機関紙を駆使する組織が必要である。「一言で言えば専門化は必然的に集中化を前提し、また逆に専門化によって集中化が絶対の必要になる。」

→そして、このような細分化=専門化と集中化が組織できる党であるならば、こういう(職業革命家に対する)補助者をあらいざらい矢おもてに晒したり、むやみに非合法活動の中核に引き入れたりせず、逆に彼らを特に大切にし、また学生の場合には、短期の革命家としてよりも役人になって、補助者としてより多く党に貢献できる者も数多くいることを念頭において専門化を養成するだろう。

(運動は)すでに、サークル的活動では間にあわないほどに成長しているために、「サークル的活動は、こんにちの活動にとっては狭すぎるものとなり、法外な力の浪費をもたらしている。一つの党に融合することだけが、分業と力の節約との原則を系統的に実行する可能性をあたえるであろう。そして、犠牲者の数をへらし、専制政府の圧制とその必死の迫害とに抗して多少とも堅固な防砦をつくりだすためには、これを達成しなければならないのである。」(レーニン全集第4巻「緊要な問題」)

 

 <労働者革命家を育てること>

① 党活動の面で(*)インテリゲンチャ革命家と水準を同じくする労働者革命家の養成をたすけることが、われわれの第一の、もっとも緊急な義務である。だから、「経済主義者」が、労働者への政治的扇動を「中程度の労働者」にあわせると称して否定し、労働者が革命家に進む道を断ち切っていることはきわめて反動的なのである。

 *労働者革命家とインテリゲンチャは職業・知識その他の面において、おなじ水準であるとは限らないし、それを求める必要もない。だが党活動の面においてはいかなる階級、階層の出身であれ労働者革命家とまったく対等である。

→「経済主義者」は職場の中で、ときに資本との関係では戦闘的に闘いながら、労働者に向かっては政治的扇動をせず、予め自分を職業革命家から切断する点でも日和見主義なのである。

② さらに、労働者革命家も、自分の革命家としての仕事について完全な修業をつむためには、そこにとどまることなく、やはり職業革命家になることが必要である。

 また指導者は、すべての能力のすぐれた労働者革命家をたすけて、職業的な扇動家、組織者、宣伝家、配布者などにさせるという任務を自覚的に行わなければならない。

 じっさい、運動が高揚すればするほど、労働者大衆は、才能ある扇動家だけではなく、才能ある組織者や宣伝家、実践的能力をもった革命家が生み出されてくる。

 彼が、労働運動のなかで培った経験や手腕、広範な人間関係をも利用し、ひとつの職場からひとつの地方、さらに全国へと仕事の場を与え、そのために、いっそう広い見識と専門的訓練を積む機会を組織の力で保障すること。

 このような労働者革命家をどれだけつくれるかが、この事業の規模を決定づけるのである。

 →「経済主義者」は、労働者革命家となるべき有能な労働者を、狭い労働組合活動家の位置に押しとどめることで、ますます活動の規模を狭いものにしているのである。

 では、どのようにして労働者革命家をつくるのか。レーニンはドイツの例を出して次のように述べている。

 「有能な労働者と見れば、すぐさまその能力を十分に発揮し、十分にはたらかせることのできるような条件のもとに、彼をおこうとつとめる。彼は職業的扇動家とされる。その活動舞台をひろげて、ひとつの工場からその職業全体へ、一つの地方から国全体へとおよぼしてゆくよう励まされる。彼は自分の職業についての経験と手腕を獲得し、その視野と知識をひろげる。他の地方や他の党のすぐれた政治的指導者を身近に観察する」。自分でも同じ水準に到達しようとつとめ、敵の頑強な隊列にたいして闘争をおこなうことのできる職業的修練に自分を結び付けようとする。(p197)

 「われわれが、労働者にも『インテリゲンチャ』にも共通の、この職業革命家としての修業の道へ労働者を『駆りたてる』ことが少なすぎ、労働者大衆や『中程度の労働者』にはなにが『とりつきやすい』かなどという愚論によって労働者を引きもどしている場合がおおすぎる……」(こうしたことを含めて、いろいろな点で)「組織活動の規模が狭いことは、われわれの理論やわれわれの政治的任務がせばめられていることと不可分の関係があることは、疑いをいれない。」それは、自然発生性への拝跪であり、大衆から一歩でも離れてしまうことに対する恐怖があるからだ。(p197)

 

(以下第五回に続く)

レーニン『なにをなすべきか?』学習ノート  (第三回)

【三】組合主義的政治と社会民主主義的政治

『ラボーチェエ・デーロ』第10号の論文でマルトィノフは「……『イスクラ』は、……事実上、わが国の諸制度、主として政治上の制度をばくろする革命的反政府派の機関紙である。……他方われわれは、プロレタリア闘争と緊密な有機的結びつきをたもって、労働者の事業のため活動しているし、また将来も活動するであろう」といって両者の意見の違いを定式化した。

 

冒頭、レーニンはこの文章を引用し、この定式化こそ、「『ラボーチェエ・デーロ』との意見の相違を包括しているだけではけっしてなく、政治闘争の問題についてのわれわれと『経済主義者』とのあいだの意見の相違の全体をおしなべて包括している」「『経済主義者』は絶対的に『政治』を否定するのではなく、社会民主主義的な政治の見方から組合主義的な政治の見方へ、たえずまよいこんでいくにすぎない」(84~85P)と指摘している。

→この定式化はこの章で何度も引用されるので、あらかじめ、次の点を押さえておきたい。

 ここで「経済主義者」が言っている<革命的反政府派>とは、学生やゼムストヴォ議員などの「反政府諸層」を指導する「階級的見地をはずれ」た人々のことであり、それに比して自分たちは「労働者との結びつき」を保ち「労働者の事業のために活動して」いるのだから自分たちこそが、主流派(階級的)なのだと言いたいということだ。

 こうした経済主義が主流となっている現状に対して、社会民主主義者の政治的任務は何なのか、そしてプロレタリアートの階級性とは一体何なのか、レーニンはこの章でそれを提起しているのである。

 

1)政治的扇動、および経済主義者がそれをせばめたこと

当時のロシアでは、労働者の経済闘争が広範にひろまり、経済的暴露が「もっともおくれた労働者のあいだにさえ、『活字にしたい』という真の熱情が、略奪と抑圧のうえに築かれた現代の全社会制度との戦争の、この萌芽的な形態への高貴な熱情」を呼び起こしていた。

「一言でいえば、経済的(工場内の状態の)暴露は経済闘争の重要なテコであったし、いまでもそうである」(P86)

それは、「階級意識のめざめの出発点」と言えるものであった。当時のロシア社会民主主義者の圧倒的多数は、もっぱら工場内の状態を暴露するこの仕事にのみ没頭していた。しかし、この仕事は、それ自体ではまだ組合主義的な活動に過ぎない。

「実質上、この暴露は、その当の職業の労働者と彼らの雇主との関係をとらえただけで、それによってなしとげられたのは、労働力の売手が、この『商品』をより有利な条件で売ることを、また純商業取引の基盤のうえで買手とたたかうことを、まなびとったことだけであった」

「こういう暴露は、(革命家の組織がそれを一定のやり方で利用するときには)社会民主主義的活動の端初とも、構成部分ともなることのできるものであったが、しかしまた、『純職業的な』闘争と非社会民主主義的な労働運動とに導くものともなりえた」

「…社会民主主義派は、ひとりその当該の企業家集団にたいしてではなしに現代社会のすべての階級にたいして、組織された政治的暴力としての国家にたいして、労働者階級を代表するのである。これからして明らかなことは、社会民主主義者は、経済闘争にとどまることができないばかりか、経済的暴露の組織が彼らの主要な活動であるような状態を許すこともできないということである。われわれは、労働者階級の政治的教育に、その政治的意織を発達させることに、積極的にとりかからなければならない」(P88)

レーニンはこのように社会民主主義者の任務を明確に定義している。

 

【政治的扇動について】

ロシアの階級闘争に、アジテーションという手法が持ち込まれたのは、1894年であった。この年に、のちのブント創設に関わったア・クレメールという人が執筆し、マルトフが校訂した『煽動について』という小冊子が持ち込まれた。それ以前は、宣伝による社会主義思想の普及ということが社会主義者の中心的活動であった。

当時、ナロードニキがテロルによる専制の打倒を目指していたことに比して、社会主義者によるマルクス主義の宣伝はある種、穏健な活動とみられていたようである。

しかし、宣伝活動という性格(=社会主義理論を全面的、体系的に広めようとするからして、主に知識人を中心にしたサークル的なものとなり、労働者に接近して思想を広めようという試みは行われたが、ほとんどは無視され、まれに知的な金属労働者のあいだで教養として受け入れられる程度に止まっていたようである。

そうした状況を一変させたのが、この『煽動について』という小冊子の登場でした。

「自分たちの乞食のような生活や途方もなく苦しい労働や、無権利状態について、余すところなく語る新しい種類のリーフレット…」(P85) はこうして作られるようになり、ロシアの革命的インテリゲンチャナロードニキができなかった労働者との結合を初めて実現したのです。 

 彼らは工場内の暴露に熱中し、労働者もこれに応えて通信をよせてきました。

「一言で言えば、経済的暴露(工場内の状態の暴露)は経済闘争の重要なテコであったし、いまでもそうである。そして、労働者の自己防衛を必然的に生みだす資本主義が存在している限り、それは引き続いてこの意義を保つであろう」(P86)

ここで、なされた転換の重要な点は、労働者自身が日々搾取と収奪に苦しむその現場の実態を暴露し、労働者の憤激を組織することが社会主義者の手によって開始されたことである。

経済闘争の分野において画期的成功をもたらし、インテリゲンチャも労働者革命家もきわめてすぐれた手腕を磨き上げたこのアジテーション扇動という手法を政治闘争の分野に全面的に適用しようというのがレーニンの主張であった。

労働者階級が革命をとおして自らを支配階級へと高めるためには、労働者階級の政治的積極性を育てなければならない。これが、一貫したレーニンの考えです。

では、この政治的教育はいったいどういうものでなければならないか?

 レーニンは「労働者階級は専制にたいして敵対的な関係にあるという思想を宣伝するだけ」でも、また「労働者にたいする政治的抑圧を説明するだけ」でも足りない。さらに、「この抑圧の一つ一つの具体的な現れをとらえて扇動することが必要なのだ」「この抑圧は、種々さまざまな社会階級にのしかかっており、職業的といわず、一般市民的といわず、個人的といわず、家庭的といわず、宗教的といわず、学問的、等々といわず、種々さまざまな生活と活動の分野に現れているのだから、専制全面的な政治的暴露を組織する」ことなしに、社会民主主義者は労働者の政治的意識を発達させるという自分の任務を果たしえないと、暴露・扇動による組織化を経済闘争のみならず、政治闘争にも全面的に適用すべきであると述べている。(P89)

 

これに対して、『ラボーチェエ・デーロ』は「いま社会民主主義者の当面する任務は、どうやって経済闘争そのものにできるだけ政治性をあたえるか、ということである」「経済闘争は、大衆を積極的な政治闘争に、引きいれるために、もっとも広範に適用しうる手段である」等々と一貫して政治的扇動は経済的扇動のあとに従わなければならないという日和見主義的な段階論をとり、あらかじめ政治的扇動の規模をせばめるのである。

 レーニンはこう反論する。「経済闘争が-般に、大衆を政治闘争に引きいれるために『もともと広範に適用しうる手段』であるというのは、正しいであろうか? まったくまちがっている。警察の圧制や専制の乱暴のありとあらゆる現れも、このような『引きいれ』のために『広範に適用しうる』手段である点ですこしもおとるものでなく、けっして経済闘争と関連のある現れだけがそういう手段なのではない」(P90)

「労働者が…日常生活で無権利や専横や暴行に苦しめられる場合の総数のなかでは、まさに職業的闘争で警察の圧制をこうむる場合(の方)がほんの一小部分を占めるにすぎないことは、疑いがない」(P91)

「経済闘争はできるだけ広範に行われなければならないし、それはつねに政治的扇動に利用されなければならない、しかし、経済闘争をもって、大衆を積極的な政治闘争に引きいれるためにもっとも広範に適用しうる手段とみる『必要はまったくない』」(P92)

 

経済闘争とは労働力販売の有利な条件を獲得するため、労働条件と労働者の生活状態を改善するために、労働者が雇い主に対して行う集団的=組織的闘争であり、必然的に職業的闘争である。したがって「経済闘争そのものに政治性をあたえる」ということは、この同じ職業的要求、同じ職業別の労働条件改善の実現を、「立法上、行政上の諸施策」によってかちとるべくつとめることである。これはまさしくすべての労働組合が現にやっており、つねにやってきたことである。結局、彼らはもっぱら経済的な改良だけを(それどころか、もっぱら工場内の状態の改良だけを)問題にする。時として政府から譲歩が得られるとしても、それがもっぱら経済的分野に限られた諸施策であることを知っている。

「経済主義者」はつねに、社会民主主義的政治を組合主義的政治に低めようとする指向性を持っているのである。

 

「革命的社会民主主義派が『経済的』扇動を利用するのは、政府に各種の施策を実施せよという要求を提出するためだけでなく、また(そして第一に)この政府が専制政府であることをやめよ、という要求を提出するためである。そればかりではない。革命的社会民主主義派は、この要求を、たんに経済闘争を基礎として提出するだけではなく、およそあらゆる社会=政治生活の現れを基盤として提出することをも、自分の義務と考えている」

「革命的社会民主主義派は、改良のための闘争を、全体にたいする部分として、自由と社会主義とのための闘争に従属させる」(P96)

 

2)マルトィノフがプレハーノフを深めた話

この節は、次に政治的扇動について本格的に検討する前に、経済主義者が「宣伝と扇動」の差異をどのように理解し、その活動がどのような性格をもっているのかについて前提的に確認している部分である。

→まず、プレハーノフの定式(それまでの国際労働運動のすべての指導者もこの立場だった)

「宣伝家はひとりまたは数人の人間に多くの思想をあたえるが、扇動家は、ただ一つの、または数個の思想をあたえるにすぎない。そのかわりに、扇動家はそれらを多数の人々にあたえる」

→ マルトィノフの定式

「宣伝という言葉を、個々の人間にとって理解しやすい形態でなされるか広範な大衆にとって理解しやすい形態でなされるかにかかわりなく、現制度全体または部分的現れを革命的に解明するという意味に解したい。また、扇動という言葉を、厳密な意味では(……)大衆にある具体的行動を呼びかけるという意味、社会生活へのプロレタリアートの直接の革命的闘争をうながすことと解したい」

 

マルトィノフは宣伝とは社会的事象や制度全体、または一部分の表れを革命的に語ることであり、扇動とは大衆に直接行動を呼びかけることだと言っている。しかし、「一定の具体的行動を呼びかけること」は宣伝においても扇動においてもなされることである。

マルトィノフが、わざわざプレハーノフを「深めた」根拠は、ただ一点『イスクラ』が、「一定の目に見える成果を約束する」「立法上および行政上の諸施策の具体的要求を政府に提出する任務をかげに」押しやり、「現行諸制度の全面的な政治的暴露を組織する」ことしかやっていない、と言って社会民主党の任務を否定せんがためなのだ。

より深遠なマルトィノフの新しい定式化によってプレハーノフは「深められた」とレーニンは揶揄し、改めて宣伝と扇動について説明している。

(実は今日においても、この宣伝と扇動という言葉の意味があいまいにされ、ともすればマルトィノフ的な理解をしている現実がある。これはレーニン組織論の理解にとっても、大衆の信頼をかちとる上でも致命的ともいえる問題なのだ)

 

レーニンによる定式化

「宣伝家は、『多くの思想』 ― しかもそれらすべての思想全体をいっぺんにわがものとできる人は(比較的にいって)少数でしかないような 多くの思想をあたえなければならない

「扇動家は、同じ問題を論じるにしても、自分の聴き手全部にもっともよく知られた、もっともいちじるしい実例…だれでも知っている事実を利用して、ただ一つの思想、富の増加と貧困の増大との矛盾がばかげたものである(等々)の思想を『大衆に』あたえることに全力をつくし、大衆のなかにこのようなはなはだしい不公平に対する不満と債激(=人間的怒り、これこそ人間解放の原動力であり自然発生的なエネルギーである)をかきたてることにつとめが、他方、この矛盾の完全な説明は、宣伝家にまかせるであろう」(P103)

 

3) 政治的暴露と「革命的積極性をそだてること」

 マルトィノフは「労働者大衆の積極性をたかめる」ことは、経済闘争のなかで『もっとも広範に適用されるべき』ものであると宣言し、経済主義者の全部がそのまえにはいつくばっている。

「実際には、『労働者大衆の穣極性をたかめる』ことは、われわれが『経済を基盤とする政治的扇動』にとどまらないばあいに、はじめてなしとげられることである」

そして、こうした「政治的扇動の必要な拡大がなされるための基本的条件の一つは、全面的な政治的暴露を組織することである。このような暴寿による以外には、大衆の政治的意識と革命的横極性とを培養することはできない。だから、この種の活動は、全国際社会民主主義派のもっとも重要な機能の一つをなすものである」(P106)

このようにレーニンは、ドイツの党の強さの根拠は、ほかならぬ政治的暴露カンパニアを弱めなかったことにあると述べ、次のように述べている。

「もし労働者が、専横と抑圧、暴力と濫用行為のありとあらゆる事例――この事例がどの階級に関係するものであれ―― に反応する習慣を、しかも、ほかのどの見地からでもなくまさに社会民主主義的な見地から反応する習慣を得ていないなら、労働者階級の意織は真に政治的な意識ではありえない」

「もし労働者が、具体的な、しかもぜひとも焦眉の(切実な)政治的事実や事件にもとづいて、他のそれぞれの社会階級の知的・精神的・政治的生活のいっさいの現れを観察することを学びとらないなら――また住民のすべての階級、層、集団の活動と生活のすべての側面の唯物論的分析と唯物論的評価を、実地に応用することを学びとらないなら、労働者大衆の意識は真に階級的な意識ではありえない」(P106~107)

つまり労働者階級が、社会に起こっているすべてのことを正しく認識する能力とマルクス主義理論を実地に適用する能力を養成するためには全面的政治暴露が必要だと言っている。

したがって「労働者階級の注意や観察力や意織をもっぱら、でないまでも主として、この階級自身にむけさせるような人は、社会民主主義者ではない

 

【「労働過程」論と人間の意識=認識の形成についての考察】

→ここでレーニンが提起している扇動の意味を、労働者の認識はどのように形成されるのかという意識形成論として検討することは、どのような煽動が求められているのかを考えるうえでも極めて重要と思われる。

  

レーニンは、先に引用したように「労働者階級は専制にたいして敵対的な関係にあるという思想を宣伝するだけ」でも、また「労働者にたいする政治的抑圧を説明するだけ」でも足りない。さらに、「この抑圧の一つ一つの具体的な現れをとらえて」扇動するときにのみ事の真実をつかむことができる、これが労働者、労働者階級の認識のしかただと言っている。

では、なぜ労働者は「説明をするだけでは足りない」のか。反対に具体的事柄の暴露とこれに基づく扇動ならなぜ理解できるのか。問題の核心はここにある。レーニンは次のように言う。

「労働者階級の自己認識は、現代社会のすべての階級の相互関係についての、完全に明瞭な理解――単に理論的な理解だけでなく、さらに…理論的な理解よりも、むしろ、というほうが正しくさえある…政治生活の経験に基づいて作り出された理解――と、不可分に結びついているからである」(P107)

 レーニンはそうしたプロセスに従えば労働者階級は(労働者だけの問題に限らず、あらゆる階級や階層の)現代社会で起こっているすべての政治的問題とその相互関係について「明瞭な理解」ができる能力をもった階級であることを認めるとともに、ここから、さらにすべての社会問題を唯物論的に分析したり、評価できるような訓練が必要だと言っている(ここが「経済主義者」と違うところ)。

「われわれがそういう暴露を組織するなら、どんなに遅れた労働者でも、学生や異宗派、百姓や著作家を罵倒し、これに暴行を加えているのは、労働者自身をその生活の一歩ごとにあのようにひどく抑圧し、押し潰している、まさにその同じ暗黒の勢力であることを理解するか、でなければ感じるだろう。だが、それを感じた以上、労働者は自分でもこれに反応したいという願望、しかも押さえ切れない願望をいだくであろう」(P109)

つまり、労働者は社会のあらゆる問題を、自分たちの具体的な経験に即して理解するときに世界をも理解できる階級だと言っているのである。インテリゲンチャが「明瞭な理解」をする場合には、宣伝や学習は極めて有効な手段にちがいない。しかし、労働者の認識にとっては、それ以上に扇動が特別に重要な意味をもっているということなのである。

それはなぜなのか?。レーニンの組織戦術にとって、これはこれで重要な問題を提起している。

それを解明するためにも、人間の認識(意識)はどのように形成されるのかを押さえておくことが重要である。

資本論第一篇第5章では商品の二面的性格である使用価値と価値のうち、使用価値という側面について、また第7章では剰余価値を導くものとして「労働過程」について述べている。

① 人間は自己の欲求を満たし生命を維持するために、自然素材に働きかけ使用価値を生産する。労働とは合目的的な人間労働と労働対象、それと労働手段という三つの契機をもってする「労働過程」である。この「人間と自然との物質代謝」はどのような社会においても変わらない自然的必然である

 

② 資本論においては価値法則を導く視点から労働過程を論じているのであるが、それにもかかわらず、以下のような重要な示唆を与えていることに留意しなければならない。

「労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し,規制し,管理する一過程である。……人間は,この運動によって自分の外部の自然に働きかけて、それを変化させることにより、同時に自分自身の自然を変化させる

「彼は自然的なものの形態変化を生じさせるだけではない。同時に彼は自然的なもののうちに、彼の目的――彼が知っており、彼の行動の仕方を法則として規定し、彼が自分の意思をそれに従属させなければならない彼の目的――を実現する。この従属は……労働の全期間にわたって労働する諸器官の緊張のほかに注意力として現れる合目的的な意思が必要とされる」

 

③「クモは織布者の作業に似た作業を行うし、ミツバチはその臘の小屋の建築によって多くの人間建築師を赤面させる。しかしもっとも拙劣な建築師でももっとも優れたミツバチより卓越している点は、建築師は小屋を臘で建築する以前に自分の頭の中でそれを建築していることである。労働過程の終わりには、そのはじめに労働者の表象のなかにすでに現存していた、したがって観念的にすでに現存していた結果がでてくる」(資本論第一部)。 

  <人間は物質的活動、その経験の中で既に知っている方法と法則に基づいて、予め目的とする生産物の完成形態を観念的に脳裏に描き、そこから逆規定して、労働の各段階に適合する諸器官――彼の肉体にそなわる自然力,腕と脚の機能やそれを制御する神経系統に緊張と刺激を与える。同時に、自然素材の形態や性質、生産方法や方式、手順といった経験とその反省、感覚を頭脳に取り込み対象化する。また、それまで知り得た知識と比較し、修正を加え、豊富化する。つまりこれが労働過程に対応した意識の生産ということである>

 

④ 『資本論』では、「単純で、抽象的な契機」としての「労働過程」、いうなれば物質的性格に論点が絞られており、労働者の内面的、観念的な意識の形成や自己と他者との間、つまり協働によって形成される意識の問題についての論述はない。論点が散漫になるのを避け、価値法則に絞るねらいがあったのかもしれない。

   とはいえ、人間が人間として定立して以後の労働過程が、現実には全く誰の協力もなしに孤立的に行われてきたと考えることはできない。したがって端緒的な労働過程といえども、他の労働者との社会関係が考察されなければならない。意識の発現であり他者との交通形態でもある言語とともに、そうした労働過程を通じた他人との協働における意識の生産、すなわち類的存在としての自分以外の人間を認識し、そうすることで自分自身を対象化する、まさに自然素材に対する対象化、内在化と同じような意識の形成が人間対人間の関係においても行われてきたと考えられる。

 

⑤ 資本が生産手段を占有し、労働力を市場で商品として買い、生産過程では、労働過程が作り出した使用価値を投入し消費する。これが資本による商品生産の決定的な前提条件である。ところが労働力商品は、一般の生産物商品とは異なり、特殊な性格をもつ。労働力商品の使用価値をなす労働が、価値を形成するというだけではない。  第一に、生産物の価値のように、その再生産に要する労働時間によって規定されるのではない。労働力の価値を決定するのは必要生活手段の価値であり、その質と量は、歴史的・文化的条件に依存する。第二に、労働力は生産過程で支出されてはじめて価値および剰余価値を生むが、そのために労働過程は資本によって管理される。第三に、労働力の再生産には資本は介入しえない。そして第四に、このように、生産手段と労働過程が資本によって管理されつつも、労働者が労働過程の中で作られる意識――物質的素材と協働の中で形成される社会的・人間的関係を対象化し、その経験の蓄積を通して普遍性、法則性を認識、再認識するという内面的プロセス、労働者自身の脳の中に刻み込まれた知識や意識は労働者自身の属性であり、資本によっても決して支配されることはない

   労働者が「労働過程」における自然素材および、この過程でとり結ぶ社会関係の対象化、内在化=意識の形成、その経験の中から本質的、法則的なものを掴みとる能力は人間としての彼の属性であり誰も奪い去ることはできない。 

(にもかかわらず、ブルジョアジーは労働者階級が取り結ぶ社会関係を切断し、彼の人間性そのものを破壊する。資本主義のもとではこの矛盾を解決し得ない)

   ところで、人間は自分がある目的のために活動(労働)する場合、予め頭脳の中で観念的なイメージを描き、それが全面的、具体的、合目的的であればある程、自分の行動の結果に対して確信を深めるのである。

その意味で扇動そのものは労働者階級だから有効ということでも、レーニンの専売特許でもない。ブルジョアジーブルジョア的利益を満たすことができると確信させる扇動があれば、どれほど無慈悲で非人間的な手段であろうとためらうことがないのはわれわれが知っている通りである。

    レーニンは、労働者階級にとって全面的で、全社会的な政治的関係の生き生きとした暴露が必要なこと(にもかかわらず、これまでやられてこなかった)を強調しているのである。それがあれば労働者階級は自然発生的な経済闘争だけにとらわれることなく、自らの進むべき道をイメージする能力をどの階級にもまして身につけているからである。

  

4)経済主義とテロリズムには何か共通点があるか

 ここでは何が問題になっていたのか。

当時のロシアの革命運動が「経済主義」に占領されてしまったがゆえに、党が「革命的活動を労働運動に結び付けて渾然一体化する能力」を形成し得ない、あるいはその可能性を絶たれてしまった。その結果としてテロリズムが発生したということである。

そして、これについてレーニンは経済主義とテロリズムは、どちらも「自然発生性の前に拝跪する」という点で共通の根をもっていると指摘している。

「『経済主義者』は『純労働運動』の自然発生性の前に拝跪するし、テロリストは革命的活動を労働運動に結び付けて渾然一体化する能力をもたないインテリゲンチャの最も熱烈な憤激の自然発生性の前に拝跪する」(P115)。

(どのような状況が自然発生性への拝跪をうみだすのか)

経済主義  →①労働運動の停滞期。

       ②労働運動の高揚への革命党の立ち遅れ

テロリズム →①労働運動の高揚、「経済主義者」との結合。②政治的憤       

        激の高まり  

両者の共通点は、革命運動において「革命的活動と労働運動とを結びつける能力」をもった党がつくり出せないという問題である。

「問題はこうなのだ。労働者大衆はロシアの生活の醜悪事によって大いに興奮しているのだが、…人民の興奮の水滴と潮流をことごとく寄せ集め、集中する能力が、われわれにないのである。そういう水滴と潮流は、われわれの想像たり考えているよりもはるかに大量に…したたりおちている。それらはまさに単一の巨大な流れに結合されなければならない」(これは全く実現可能な任務であるのに)「テロルの呼びかけも、経済闘争そのものに政治性をあたえよという呼びかけも、ロシアの革命家の最も緊急な義務――全面的な政治的扇動の遂行を組織すること――を回避する別々の形式」なのである。(P119)

 

→逆の言い方をすれば「全面的な政治的扇動の組織化」がいかにハードルの高いものであるのか、ということであり、その意識性からの逃避、すなわち日和見主義ということなのである。

 

【われわれはテロル一般を否定する訳ではいない】

 「われわれはけっして原則上テロルを拒否しなかったし、また拒否することはできない。…

  テロルは戦闘の一定の瞬間には…また一定の諸事情のもとでは、まったく有用な…軍事行動の一つ」である。ただし、それは「闘争の全体系と密接に結びつき、それに適合させられた野戦軍の作戦の一つ」として提出されなければ、「時宜に適さない、目的にかなわないものであって、もっとも活動的な闘士たちを彼らのほんとうの、運動全体の利益にとってもっとも重要な任務からそらせる」ものである。(→「なにからはじめるべきか」)

  

5)民主主義のための先進闘士としての労働者階級

「もっとも広範な政治的扇動をおこなうことと、したがってまた全面的な政治的暴露を組織することが、いやしくも社会民主主義的な活動にとって絶対に必要な、最も緊急に必要な任務」

である理由

①「労働者階級が政治的知識と政治的教育を必要としている」という理由だけではあまりに狭く、あらゆる社会民主党の一般民主主義的任務を無視することになる。

 

②労働者に政治的知識をもたらすためには、社会民主主義者は、住民のすべての階級の中にはいってゆかなければならない。

→「階級的・政治的意識は、外部からしか、つまり経済闘争の外部から、労働者と雇い主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない。

この知識を汲みとってくることができる唯一の分野は、すべての階級および層と国家および政府との関係の分野、すべての階級の相互関係の分野である」 (P120)

 

③「社会民主主義者の理想像は、労働組合の書記ではなくて、どこで行われたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴力と資本主義的搾取とについてのひとつの絵図にまとめ上げることができ、一つひとつの瑣事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人の前で叙述し、プロレタリアートの解放闘争の歴史的意義を万人に説明する事のできる人民の護民官でなければならない」(P122)

 

→「プロレタリアートの政治的意識を全面的に発達させる必要を、ただ口先だけで主張しているだけでないなら、住民のすべての階級のなかに入っていかなければならない」

では「住民のすべての階級のなかに入っていく」とは

・どのようにやるのか? 

①「理論家としても、宣伝家としても、組織者としてもそうしなければならない」

 レーニンは、社会民主主義者の理論活動は、それぞれの階級の社会的・政治的地位のあらゆる特殊性の研究を目標としなければならない。この点で労働者の(工場)生活の特殊性についての研究に比べて、他の諸階級・諸階層の研究は立ち遅れていることを指摘し、党の理論活動のバランスの悪さを反省し、この領域での『訓練不足』の克服が必要だ、と述べている。

②「全人民にむかって一般民主主義的任務を説き、これを強調する義務があること――しかも自分の社会主義的信念を一瞬もつつみかくすことなく――を、実際に忘れるもの」「あらゆる一般民主主義的問題を提起し、激化し、解決する点でだれよりも先んじなければならない自分の義務を実践において忘れるものは社会民主主義者ではない

・人手はあるのか? ……いたるところに運動に参加したか、参加を希望しながらも、社会民主党に心をひかれながらも、余儀なく何もせずに日々をおくっている人がいる。

「われわれにこういう勢力の全部を働かせ、全員に適当な仕事を与える能力がない」ことが政治上、組織上の欠陥だ。(P131)

 そして、「労働者に真の、全面的な、生きた政治的知識を供給するためには、いたるところに、あらゆる社会層のなかに、わが国の国家機構の内面的ばねを知る便宜のあらゆる部署に『仲間』が、社会民主主義者がいること」は宣伝と扇動の部面だけでなく、それ以上に組織の部面でも必要だ。

・基盤はあるのか? ……社会民主主義者が、「もっとも焦眉の一般民主主義的な必要の表明者」であったならば、住民階級のなかで無権利や専横に不満をいだいており「これを容易に受け入れることのできる人々やグループ」が一つも存在しないはずがない。

・階級的見地から逸脱することにはならないのか?……「これらの全人民的暴露を組織する者がわれわれ社会民主主義者である点に、つまり、扇動によって提起されるいっさいの問題が、一貫した社会民主主義的精神にたって解明される点に、すなわち、この全面的な政治的扇動をおこなう者が、全人民の名による政府に対する攻撃をも、プロレタリアートの政治的独自性を守りながらおこなわれるプロレタリアートの革命的教育をも、労働者階級の経済闘争の指導をも、つぎつぎにプロレタリアートの新しい層をたちあがらせてわれわれの陣地に引き入れるような、労働者階級とその搾取者との自然発生的な衝突の利用をも、不可分の一体に結び付ける党である点に、わが運動の階級性が現れる。」(P135)

  

→「プロレタリアートが最も緊要に必要としている事柄(政治的扇動と政治的暴露とによる全面的な政治教育)と、一般民主主義的運動が必要としている事柄との結びつき、いやそれ以上だ、この一致を理解しないことこそ『経済主義』の最大の特徴の一つ」である。(P136)

 

6)もう一度「中傷者」、もういちど「瞞着者」 (略)