正道有理のジャンクBOX

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尖閣・竹島は『日本の固有領土』論のウソを暴く

 政府は「尖閣諸島竹島は日本固有の領土」(だから「中国、韓国の領有権主張は日本の主権を侵害するものだ」)と言い、殆どすべての勢力も我こそが国益を代表していると言わんばかりに国益主義・排外主義を煽っている。そしてこの『日本の固有領土』論は、恐るべきことではあるが、現行の様々な社会機構を媒介にして、また学校教育の場を経由して多くの国民に吹き込まれているということである。

   
では、この『日本の固有領土』論は正しいのか。否である。歴史に照らして考えれば完全なウソである。しかしそれだけではない。
 ここにあるのは、明治維新を契機にして後発帝国主義として東アジアに登場した番犬帝国主義日帝が積み重ねてきたアジア侵略の歴史を居直る論理である。それは自らの強盗行為を正当化する論理そのものである。そしてまた、それはヤルターポツダム宣言で敗戦帝国主義日帝に強制された領土問題における規制と、更には51年の片面講和一日本の独立を規定したサンフランシスコ講和条約における領土問題の規制をも突き破る論理である。
 
そして、現在の日本にとってそれは、東アジア貿易圏の再分割をめぐる帝国主義間争闘戦の重圧の下で、またその争闘戦の場そのものでもあり、かつその争闘戦に引きずり込まれていて、国家としての工業生産力を高めている中国・韓国との競合関係を前提として、アジア侵略に番犬帝国主義としての総力をあげて突進し始めた日本の支配層にとって、自国内で深化する階級矛盾・社会矛盾とそれに基礎づけられた民衆の闘いの爆発を予防するために、それら矛盾を対外対抗一排外主義の方向に組織し、もって挙国一致の侵略体制を築くために、自国の労働者階級と人民大衆を支配階級の侵略意志の下に結集し、動員する政策としても必要とされる侵略の論理である。

 最近になって、安倍政権は南沙諸島をめぐる中国の実効支配強化の動きに対しても、露骨な軍事介入の意思を露わにしている。これまで、国会質疑などで南沙諸島をめぐる政府の認識を述べる際、外務省の政府委員は「これは日本がコメントする立場にはない問題」と必ず前置きをしたうえで客観的事実を述べるにとどまってきた。つまり、南沙諸島はかつて日帝が支配し、敗戦の結果としてそのすべてを放棄した地域であり日本がこの地域に介入する事は認められないという立場を守ってきたのだ。しかし、安保法案を何としても成立させようとする安倍政権は、敢えて中国との対立、民族排外主義を煽ることに躍起になっているのである。

   (一)「領土領有」の国際法上の意味

 まず確認すべきことは、領土の領有とは、国家が領有意志をもって統治をし国際的にもそれが認知される事である。仮にある国の個人や有志が、無主地を私的に所有し開拓したからと言って、国家として国際的に領有を宣言し認知されない限り領土とは見なされない。
 さて、領土取得の形態は国際法的には①譲渡、割譲、②征服、③先占、④添付(地形の変化により海岸線が変更される等)、⑤時効(自国の領土ではないが長い期間、実質的統治が行われ領有国も黙認したような場合)、等が挙げられる。
しかし、尖閣諸島竹島の場合、厳密には、上記の何れにも該当しない。強いて言えば侵略戦争によって①②などとして獲得した領土を敗戦の結果として無条件で返還することになった訳であるから、領有権があるのは日清・日露戦争以前の日本固有の領土③だけになる。①④は別として、②征服は国連憲章上で適法とされていない。領土の一部を武力で征服するのは略奪に他ならないからだ。そして、現実にはこのような事が平穏には起こり得ない。イスラエルパレスチナの関係を見ても明らかなように、これは戦争に発展し、宣戦から始まり講和に至るまで決着がつかない。

 そこで持ちだされるのが「日本固有の領土」論であり、明治政府の時代から既に先占していたことを論証しようとする空しい努力である。また、竹島の領有を主張する人の中には、「GHQ占領下で日本は反撃出来なかった」(GHQが支配していなければ武力に訴えても領有していたものを)等と言う者がいる。日本自らが招いた戦争の結果なのだという事を認めようとしない人達ほど再び戦争をやりたがっているのである。

   (二)米戦略のもとで未解決にされた日本の戦後処理

 ところで、竹島をめぐっては、1952年の李承晩ライン設定、その後の日本漁船への銃撃、拿捕、拘束等が頻発する中、日本国内でも抗議運動が展開された。にも拘わらずなぜアメリカはこれを実質的に無視し続けたのか。 それは連合国・アメリカとの関係に於てはあくまで敗戦帝国主義だという厳然たる事実と、他方ではその関係は維持しつつ、アジアを「共産主義」から防衛するという戦略下に日本を組み込む狙いがあったからに他ならない。それは天皇制の存続を認めた事でも明らかなように、一般的な敗戦国に対する占領政策とは違う形をとって「番犬帝国主義」日本の復活が行われた。ここに日本が戦後賠償の問題、国境線や領海線の問題等々が曖昧なまま残されてきた根拠がある。言うなれば、日本の戦後処理はアジアとの関係においては未だ終わっていないのだ。

 ドイツに於ては第二次世界大戦に敗北すると同時に東西に分割され、文字通り東西冷戦の渦中に叩き込まれた。そうした事から平和条約の締結がないまま40年以上を経過し、ベルリンの壁崩壊と同時期、1990年の最終規定条約締結をもって国家としての戦後処理が完了する。

 日本は1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾、同年9月2日、降伏文書(休戦協定)調印、1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効 ―ここで領土や賠償問題の扱いが謳われているが、連合国との片面講和ゆえに、尖閣諸島をめぐってはポツダム宣言との関係で一貫性に欠け、竹島問題ではラスク書簡が交わされたとはいえ、一度は草案に明記された「日本の竹島領有」は外されたままとなった。そして、賠償問題は事後処理扱いとなった。以後、日本は日米安保同盟にのみ依拠し、対外的な国家としての意志決定の殆ど全てをアメリカに委ねてきた。従って、戦争責任も曖昧にされ、一方で戦後処理も曖昧なままになってきた。その結果、国内政治支配が危機に陥ると決まってナショナリズムを煽るために領土問題が持ち出されるのである(これは、中国や韓国もまた同様である)。
ちなみに、日韓基本条約(1965年)、日中平和友好条約(1972年)は戦後処理としての講和とは違い、韓国や中国を戦勝国としての地位においた賠償と和平のための交渉が行われた訳ではない。日韓併合条約が現実性を失い、更に朝鮮の南北分断体制が継続する中で日韓の和解がアメリカのアジア戦略にとっても重要であるという歴史的要請に主導されたものだった。また中国は日米共に中国経済を戦略的に重視していたのであり、日本はこの争闘戦で優位を占めるために政治的懸案を棚上げして電撃的に友好条約締結に踏み切った。それは中国にとっても必要だったからである。

 今、日本・韓国・中国が三者三様に政治的、体制的危機を抱える中で、竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚台)の問題が先鋭化している。しかし、これは民衆の為に何か利益をもたらすだろうか。これを煽っているのは、領土(領海)の領有=資源開発によって利益を得んとする一部の資本とその代弁者達である。漁民にとっても、農民や労働者にとってもお互いの民族が争うことを望んでいるわけではない。いや、寧ろナショナリズムを喧しく煽り立てる背景は、国内政治危機=支配層と人民の対立が激化し、大衆の不満が反政府運動に発展するのを防ぐためであり、民族排外主義を持ち込むことによって大衆意識の分断を図るのである。
 
まず、尖閣諸島(釣魚台列島)が日清戦争の過程で日帝が中国(当時の清朝中国)から略奪し、沖縄・石垣島(石垣村)に編入した中国領土であること、また竹島(独島)は日露戦争韓国併合の朝鮮植民地化の過程で日帝が領有化し、それを島根県編入した李朝朝鮮の領土であることを、まずは明確にしなければならない。

   (三)尖閣諸島日清戦争で一方的に略奪した領土だ 

 尖閣諸島(釣魚台列島)は中国大陸から張り出す水深200mの大陸棚の東端に位置し、大小8個の島々で構成されている。この列島の南西には、大陸棚を同じくして台湾が位置している。しかし、この大陸棚の尖閣諸島沖縄県石垣島与那国島など南西諸島の間には、水深1000~2500mの長い海溝が沖縄本島の末尾まで大陸棚の端部に沿って東北方向に走っている。このような地理的な問題からも、沖縄諸島と一体ではない。この列島周辺の海域は、潮流や風向きの関係で昔から台湾漁民の漁場であった。列島の島々は漁民の避難場所、水の補給地、休息場所として利用された。しかし石垣島の漁民がその漁場と列島の主役ではなかった。したがってこの列島と周囲の漁場は台湾漁民にとっては生活の場であった。そのことは台湾が日帝の植民地として併合され、日帝の統治下にあったとしても変わりはない。

 これは石垣島の漁民も含め、戦前の日本政府自身も認めている。例えば、1941年、尖閣諸島周辺の漁場問題に関連して台湾台北州沖縄県の間で起こった訴訟において、1944年に日本の最高裁判所が釣魚台島が台湾の台北州に属するとの認識に基づいて、釣魚台島方面に出漁する台湾漁民は台湾台北州が発行する『台北州許可証』の携行が必要であるという判断を下している。

 佐藤政権以来の歴代自民党政権は、尖閣諸島の領有問題に関しては次のような立場に立ってきた。すなわち、「尖閣列島国際法上の無主地を、先占によって明治28年(1895年)1月14日の閣議決定により日本の国標を立てることとし、翌29年(1896年)4月1日の勅令第13号の規定により正式に日本領土(石垣村の所轄)に編入した」という立場である。これは、地球上で他国の直接統治が及んでいない土地は早いもの勝ちで自分のものにしてよいという帝国主義的国際規範であり、資本主義制度が世界を制覇していく歴史過程において、19世紀後半以降、資本主義的強国=帝国主義列強がアフリカ、中東、アジア、大洋州などで激烈に展開されていた領土略奪と併合-植民地への編入や、そのための侵略と侵略戦争を正当化するものに他ならない。帝国主義の規範からすれば国家主権が及んでいない「無主地」は先占権があるのだろうが、台湾漁民の立場に立てば断じて「無主地」ではなく、自分たちの生活の場そのものでもあるのだ。

 それはさておき、日本政府の論拠にはウソがある。仮に「無主地」を先占したのだとするならば、日本の「尖閣諸島の領有」がいつから国際的に認知されたのか。問題はこの点にあるのだ。そして、「尖閣は固有の領土」を主張する勢力は一貫してこの点を語らない(「無主地」の領有と言うならばこの点が重要であるにもかかわらずである)

  1.日清戦争下関条約での講和決定直前に一方的に閣議決定で盗取

 1894年4月に朝鮮東学党の乱を契機にして始まった日清戦争日帝の戦勝が確定的になった1895年1月14日、日本は下関条約での台湾割譲に先んじて尖閣諸島の領有を閣議決定した。下関条約(同年4月)では、日本は「台湾全島及其ノ付属諸島嶼」の割譲、賠償金2億両を清国にのませることで解決し、沖縄県編入した。この台湾の島嶼部に尖閣諸島が含まれるか否かは、既に盗取を決定している日本が議題にする必要もなかった。一方、日本が既に閣議決定していることなど知らない清国は台湾とその島嶼部に尖閣諸島が含まれると考えるのは自然である。そして国際的には、誰も日本が尖閣諸島を「無主地」として先占する国内手続きを行った事など知らないまま、台湾は日本領として統治され、また太平洋戦争の敗北で日本がポツダム宣言を受諾、台湾はそっくり返還されることになったが、以降も尖閣諸島アメリカの統治下に置かれてきたのであり、その間、尖閣諸島が日本領か中国(台湾)領かということは問題になりようもなかった。 つまり国際的には―少なくともアメリカを除いては―この50年間日本が一方的に閣議決定をした事実は隠されてきたのであり、したがって日本領だという認識はそもそもなかったのである。

  2. 50年後にアメリカの権威をかりて公表

 1968年、国連エカフェ(アジア極東経済委員会)の調査団によって尖閣列島周辺の大陸棚に中近東油田規模の石油が埋蔵する可能性が発見された。
 そして1970.9.17 琉球政府声明「尖閣列島の領土権について」が発表され、佐藤政権は『尖閣列島は日本のものである』とはじめて国際的に宣言したのである。 
 琉球政府の声明が領有の根拠とするのは、1953年12月25日 琉球米民政府布告第27号でこの地がアメリカと琉球政府の管轄地と記されている事。更に、同布告の説明を引用し「日本はこの地を無主地として国内的手続きを完了」と50年前にこっそり行った閣議決定アメリカの権威を借りて公表したのだ

 愛知外相は「尖開聞題で領有権についてどの国とも話し合う筋合いはない」とその略奪意志を発表した。これを契機にして、以後、世界の各地では在外中国人の激しい抗議行動が展開された。また当時進められていた沖縄返還協定の締結に伴う「北緯29度以南の琉球列島を含む「南西諸島」」(注‥米国務省の表現)の日本への施政権返還という政治状況の中で、1971年12月30日、中国政府・外交部は、『釣魚島…などの諸島は、台湾と同様、大昔からの中国の領土である。これはなにびとも変えることのできない歴史的事実である』という正式声明を発表した。かくして、日中間には、釣魚台問題が新たな政治的対立課題として浮上したのである

 しかし、尖閣諸島の領有権問題をめぐり日中両国が激しく対立している中で、1972年9月の日中国交正常化交渉の過程においては、時の田中首相と鄧小平との間で『この間題を当面は棚上げ』し、『将来世代』の協議に委ねることが確認され、それをもって日中国交正常化が実現した。

 尖閣列島は「日本固有の領土」論の中では、よく中国自身が教科書等で沖縄県の一部としての記述があるなどの傍証が引き合いに出されるが、少なくとも下関条約(1895年)からポツダム宣言までの間は、島嶼部を含む台湾そのものが日本の領有になっていたのであるから、この間の教科書にそう書かれていたからといって、それは当然のことなのである。また、尖閣諸島という呼称は、もともとはイギリス海軍の海図がルーツであり、これをもって日本の領有と言う根拠にはならない。そんなことを言う者は東シナ海が中国の海だというようなものである。